生きる

暗闇が友となる

「暗闇が友となる」

真夜中の街灯も届かない暗い部屋に、田中翔太は一人、膝を抱えて座っていた。窓の外では遠くに車の音がかすかに聞こえるが、それもやがて消え去り、静寂が戻る。彼の心の中も同じように深い闇に包まれていた。

翔太は、何度も自分に問いかけた。「なぜ、こんなことになったのだろう？」と。ほんの数か月前までは、平凡ではあるが幸せな生活を送っていた。小さな広告会社での仕事、仲間たちとの飲み会、家に帰れば恋人の美奈子が笑顔で迎えてくれる日々。しかし、その平穏は突然崩れ去った。

仕事のミスが重なり、上司からの叱責が日に日に厳しくなった。プレッシャーに耐え切れず、不眠が続き、食欲もなくなった。そして、ついには仕事に行けなくなり、会社を辞めることに。これで少しは楽になるかと思ったが、次に襲ってきたのは孤独感だった。

「誰も助けてくれない…」翔太は心の中で呟いた。

美奈子も、最初は心配してくれたが、次第に距離を置くようになり、ある日、彼女は翔太に別れを告げた。

「もう耐えられないの、翔太。ごめんね。でも、私も自分の人生を生きたいの…」

その言葉が頭から離れない。心の中では彼女を責める気持ちもあったが、それ以上に、自分が情けなく思えた。

「何もかもが俺のせいだ…」

翔太はそう信じ込んでいた。友達にも会わなくなり、家族との連絡も途絶え、誰にも頼れない孤独感が彼を包み込む。スマホの通知が鳴るたびに、一瞬は誰かが自分を気にかけているのではないかと期待するが、画面を確認すると、無意味な広告やキャンペーンのメッセージばかり。もう誰も彼を気にかけていないのだと痛感する。

そんなある日、翔太は一冊の本を手に取った。それは聖書だった。棚の奥に眠っていたもので、いつ手に入れたのかも覚えていない。ぼんやりとページをめくり、目に飛び込んできたのは、詩編88章だった。

「エホバ，私の救いの神+。昼，私は叫びます。夜，あなたの前に行きます。私の祈りがあなたに届きますように。」

その言葉が翔太の心に重く響いた。まるで、自分の気持ちそのものが書かれているかのようだった。翔太もまた、昼も夜も心の中で叫んでいた。誰かに助けを求めたい、けれど誰も聞いてくれない。孤独の中で苦しむ自分に、神さえも耳を傾けてくれない気がしていた。

「私は災難続きで、命は今にも墓に落ちそうだ。」

翔太は自分の心の底を見つめるように、さらに読み進める。まさに今、自分が感じている絶望感と重なる文章。何度も何度も、そのページを読み返すうちに、彼の中で何かが少しずつ変わり始めた。

「この世界に自分と同じように感じている人がいるんだ」と思うと、ほんのわずかだが、心が軽くなったように感じた。

その夜、翔太は久しぶりに涙を流した。泣くことさえ忘れていた。涙は止まらず、やがて嗚咽に変わり、彼は胸に溜まっていた苦しみをすべて吐き出すかのように泣き続けた。

翌朝、翔太はベッドの中で目を覚ました。昨夜の涙が乾いているのを感じながら、窓の外を見ると、薄曇りの空が広がっていた。決して明るくはないが、それでも夜の暗闇とは違う、わずかな光が差し込んでいる。

彼はゆっくりと起き上がり、窓を開けた。冷たい風が頬を撫で、彼の心を少しだけ落ち着かせた。翔太は深呼吸をしながら、自分に問いかけた。

「もう一度、やり直せるだろうか？」

まだ答えは見つからない。それでも、昨日までの暗闇の中で、何もかもが無意味に思えていた時とは違い、少しだけ前向きな気持ちが芽生えた。

翔太は自分のスマホを手に取り、久しぶりに家族にメッセージを送った。

「今、少しだけ話したいことがあるんだ」

それは大したことのない一歩かもしれない。だが、翔太にとっては重要な一歩だった。彼はもう一度、暗闇の中から光を見つけ出すために、少しずつ歩き始める決意をした。

「暗闇が私の友となりました。」

詩編の最後の言葉が彼の胸に深く残る。それでも翔太は、暗闇だけがすべてではないことを知っていた。