生きる

白昼夢の迷宮

白昼夢の迷宮

美佳は、静かなオフィスの一角でパソコンに向かいながら、ふと気づけばまたいつもの場所にいた。現実の仕事中でありながら、頭の中では全く別の風景が広がっている。目の前にはどこか見覚えのある田舎道。だが、その場所に行ったことがあるわけではない。そこは彼女の心の奥底にある、白昼夢の中の世界だった。

幼少期から、日中に突如として訪れるこの奇妙な夢。学校の授業中や通勤途中、さらには友人との会話中にも、現実が薄れ、無意識のうちに別の世界に入り込んでしまう。そこは、決して怖い場所ではないが、いつもどこか現実離れしていた。美佳はその世界を「夢の迷宮」と呼んでいた。

今日もまた、現実の時間が止まり、彼女は夢の迷宮へと足を踏み入れていた。目の前には、古びた洋館が立っている。以前の白昼夢で何度も見たことがある建物だ。なぜかいつも、この洋館に辿り着く。そして、必ずそこで何かが待っているのだ。

ドアを開けると、薄暗い廊下の先に光が差し込んでいる。美佳は躊躇うことなく、その光の方へ歩き始めた。廊下を抜けると、小さな庭が広がり、中央にベンチが置かれている。そこには、いつも同じ男が座っているのだ。男の顔ははっきりとは見えないが、その存在だけは確かに感じる。

「また、ここに来たのか？」男は声を掛けた。

美佳はゆっくりと頷いた。言葉は発さなくても、男は美佳の心をすべて読んでいるようだった。

「どうして私は、ここに何度も来るんでしょう？」美佳は自分の思いを問いかけた。

男は静かに首を傾げ、「君自身が知っているんだよ」と答えた。

白昼夢。心理学的には、現実からの一時的な逃避とも言える。美佳はそれを知っていた。カウンセラーに相談したこともあった。彼女は、過度なストレスが原因で意識が現実から離れることがある、と説明された。だが、美佳にとってこの現象はそれだけではなかった。夢の中の出来事はただの幻想ではなく、彼女の深層心理を映し出しているかのように、彼女に何かを訴えているようだった。

「あなたは私の何？」美佳は勇気を振り絞って尋ねた。今までこの質問をすることはなかった。自分がこの夢に囚われる理由をずっと恐れていたからだ。

男はしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。「私は君の選択だよ。」

「選択？」

「そうだ。君が見たくないもの、聞きたくないこと、逃げ出したい現実。すべてから逃避するために、君はここに来る。だが、その結果、君は何も変わらないままだ。」

美佳の心臓がドキリと鳴った。逃避――それは、彼女が無意識に避け続けてきた現実。仕事のストレス、人間関係の不満、将来への漠然とした不安。白昼夢の中では、これらすべてを忘れることができる。しかし、夢から覚めれば、何も変わっていない現実が待っている。

「でも、私は変わりたい……」美佳は小さな声でつぶやいた。

男はゆっくりと立ち上がり、美佳に近づいてきた。「変わることは恐れるものではない。現実を直視し、自分の心と向き合うことが必要なんだ。」

その言葉に、美佳は目の前が開けたような気がした。彼女がこの白昼夢に囚われていたのは、現実と向き合うことを恐れていたからだ。しかし、夢の中でさえも、その恐怖と向き合う瞬間が訪れたのだ。

突然、現実に引き戻された。目を開けると、オフィスの景色が広がっていた。パソコンの画面には、彼女が作業中だった書類が表示されている。時間はほとんど経っていない。

「また……夢か」

美佳は大きく息をつきながら、今度こそ現実と向き合う決意を胸にした。逃げてばかりでは何も変わらない。夢の中の彼が言った通り、彼女には選択肢があった。逃避するか、前に進むか。

彼女はパソコンに向かい直し、再び仕事に取り掛かった。その手は、以前よりも力強くキーボードを打っている。

夢の迷宮は、現実の恐怖を象徴していたかもしれないが、同時に彼女の成長の糧でもあった。そして今、美佳はその迷宮を抜け出す方法を見つけたのだ。