生きる

措置入院

「措置入院」

真夜中の静寂を破るように、病院の入り口が開いた。私は意識がぼんやりしているまま、車椅子に乗せられ、無言で廊下を運ばれていた。周囲の光はどこか現実味がなく、すべてが夢の中の出来事のように感じられた。

「ここはどこなんだろう……」

頭の中は霧がかかったように混乱していたが、そこに至るまでの出来事は、はっきりと覚えている。

数日前、私の中で何かが音を立てて壊れた。長い間抱えていた心の不安や恐怖が一気に押し寄せてきて、感情が爆発した。もはや自分自身を制御できなくなり、突然怒りに駆られ、大声で叫びながら家の中を暴れ回った。

家族は私を止めようとしたが、私にはその声すら届かなかった。自分の中にある何かに突き動かされている感覚で、何をしているのか、何をしようとしているのかさえ分からなかった。目の前の世界が急に狭まり、恐怖だけが全身を支配していた。

そして、気づいたときには、私は警察に取り押さえられ、拘束されていた。手錠をかけられた自分の手を見つめ、ようやく少しずつ現実に戻ってきた。

「どうして、こんなことになったんだろう……」

警察署で待たされた後、救急車に乗せられ、今度は病院へと連れて行かれた。そこで聞かされたのが「措置入院」という言葉だった。自分の意思とは関係なく、強制的に精神科病院に入院させられる。そう言われたとき、私は全く現実感が湧かず、ただ茫然とその場に立ち尽くしていた。

「私はそんなに危険な人間なのか？」

そう思ったが、答えは誰も教えてくれなかった。ただ、医師や看護師たちは私を淡々と診察し、無表情で私に対する手続きを進めた。

措置入院——それは、精神的に不安定で他者や自分に害を及ぼす可能性がある場合、本人の意思にかかわらず、行政の判断で入院させるという制度だ。私はその対象になった。

「ここで治療を受ければ、少しずつ良くなりますよ」と医師は言ったが、私はその言葉を素直に受け入れることができなかった。自分がどれほど追い詰められていたのか、理解していなかったからだ。

入院生活は、想像以上に厳しいものだった。病院の中は常に監視され、自由は一切ない。外出はもちろん、携帯電話も取り上げられ、家族との連絡も限られていた。病室は白く、無機質で、何の感情も生まれない空間だった。まるで自分が罪を犯した囚人のように感じた。

最初の数日は、何もかもが耐えがたかった。どうして自分がここにいるのか、理解できなかったからだ。誰も私を信じてくれないように思え、すべてが敵に見えた。看護師や他の患者たちと目が合うたびに、心の中で叫んでいた。

「私は病気じゃない！ 出してくれ！」

だが、声に出して叫ぶことはできなかった。もし感情をむき出しにすれば、さらに長くここに閉じ込められるだろうと、本能的に感じたからだ。

しかし、入院してから一週間が経つ頃、少しずつ私の心に変化が訪れた。毎日のようにカウンセリングを受け、投薬治療が進む中で、何かが和らいでいく感覚を覚えた。医師や看護師は常に冷静で、感情的にならない。それが逆に私に安心感を与えてくれた。

「あなたは、ずっと自分を責め続けてきたんですね」

カウンセリングでそう言われたとき、私は初めて涙がこぼれた。自分でも知らず知らずのうちに、心の中に溜め込んでいた感情が爆発したのだ。私は自分を責め、周囲の期待に応えようと無理を重ねてきた。そして、最後にはその重圧に耐えきれなくなり、すべてが崩壊した。

「自分がこんなふうになるとは思わなかったんです」

その言葉が口から自然に出た。医師は優しく頷き、私の話を静かに聞いてくれた。それまで私が抱えていた孤独感や恐怖心が、少しずつ溶けていくのを感じた。

入院生活の中で、私は自分と向き合う時間を強制的に与えられた。逃げることも、誰かにすがることもできず、ただ自分の心と対話する日々。それは恐ろしくもあり、同時に必要な時間だったのかもしれない。

「措置入院」という言葉に対して、最初は強い抵抗を感じていた。だが、次第にそれが自分の心を守るための一歩であったことに気づいた。家族や友人に迷惑をかけたくないという気持ちが私を追い詰めていたが、それがさらに私を孤独にしていたのだ。

退院の日が近づくと、医師はこう言った。

「あなたは、今自分と向き合うことができた。これからも焦らず、少しずつ歩んでいけばいいんですよ」

その言葉は、私にとって救いだった。完璧である必要はないし、失敗しても良いのだ。自分を責めるのではなく、もう少し優しく接してもいいのだと、少しずつ理解し始めていた。

退院の日、私は病院を出るとき、少しだけ外の空気が重たく感じた。自由になったはずなのに、外の世界に戻ることが怖くなっていた。だが、同時に希望もあった。自分はもう一度やり直せるかもしれないという、ほんの少しの希望。

家族が迎えに来てくれて、久しぶりに母の顔を見たとき、私は自然と「ありがとう」と言った。母は涙を浮かべ、私の手を握りしめた。

「帰ろう、ゆっくりでいいから」

その言葉に救われ、私は一歩一歩、外の世界へと歩み出した。

措置入院は、私にとって辛い経験だったが、そのおかげで自分を見つめ直す時間が持てた。これからも迷い、悩むことはあるだろうが、今は少しずつでも前に進んでいける気がする。すべてを完璧にしなくてもいい。今はそれで十分だと思えるようになった。