生きる

場所の見当識

場所の見当識

その日、私はいつものように出勤していた。毎朝同じ時間に家を出て、同じ電車に乗って、同じ駅で降りる。会社のビルに向かって歩いていると、いつもの道が見当たらない気がした。初めは気のせいだと思ったが、周囲を見渡してもなじみのある建物や景色が見当たらない。地図アプリを開いても、自分のいる位置が特定できない。

混乱したまま、私はひとまず進むことにした。時間はなるべく正確に把握しようと試みたが、時計は動いているように見えても、その時間が現実の時間と一致しているかどうかがわからなかった。人々は通り過ぎるが、誰も私には気付かないようだ。それが安心材料になることもあった。

何度か方向を変え、違う道を試してみたが、どこに行っても結局同じように見える風景ばかりだった。不安と混乱が増していく中、私は自分がどこにいるのか、自分の場所を確信できなくなっていった。

夕方になって、私は一度家に戻ることにした。電車に乗っても、どの駅で降りるべきか分からなくなってしまった。結局、適当に選んだ駅で降りて、同じように歩いて家に戻ることができた。

家に戻っても、その不安は消えなかった。テレビのニュース、インターネットの地図、どれも私がいると思っている場所を示すことはなかった。私は友人に連絡を取ろうとしたが、自分の場所を説明する言葉が見つからなかった。彼らにはどう説明すれば良いのか。

次の日も同じように出勤しようとしたが、同じ道を通ることはできなかった。新しい道を試しても、また違う風景が現れた。私は彷徨いながら、いつもとは違うところに着いた。そして、その場所がどこであるかを知っているような気がした。

数日後、私はこの状況に慣れてきた。毎日違う場所を歩き、違う景色を見て、時には見慣れない建物の中に入り、新しい人々に会う。しかし、私は自分がどこにいるのかを誰にも説明できなかった。家も、会社も、友人たちも、どこにあるのか見当すらつかないままだった。

時折、私は昔の記憶がフラッシュバックする。しかし、それらの記憶が私をどこに連れて行くのか、何を意味するのか、全く理解できない。その記憶が私をこの場所に導いたのか、それともただの錯覚なのかもわからない。

ある日、私はある場所で立ち止まった。見慣れない道路の真ん中で、周囲を見渡した。何かを探しているような気がしていた。そして、そこで私はふと、自分がどこにいるのか、何をしているのか、全てが理解できたように感じた。

その場所は新しい場所ではなく、古い記憶の中にあった場所だった。私が忘れていた場所、昔の自分が知っていた場所。そこで私は静かに立ち尽くし、時間の見当識がどういうものかを知ったのだった。