生きる

いのちということ

いのちということ

冷たい風が街を駆け抜ける12月の朝、佐々木遥はベッドから起き上がった。彼女の頭には、繰り返し流れる詩の一節がこびりついていた。「生きているということ、いま生きているということ」。その言葉が、彼女の心の奥深くに響いていた。

遥は30歳。出版社で編集者として働いているが、仕事のストレスや孤独感に苛まれ、最近では生きる意味を見失っていた。そんな彼女にとって、この詩の言葉は救いだった。

その日、遥は特別な予定があった。遠方に住む幼なじみの加藤奈緒と会う約束をしていたのだ。奈緒とは中学校時代からの友人で、遥がどんなに落ち込んでいても彼女の前では素直に笑える存在だった。

待ち合わせ場所のカフェに向かう途中、遥は周囲の風景に目を向けた。冷たい空気の中、道端の木々はすっかり葉を落とし、灰色の空が広がっていた。それでも、木々の枝には小さな芽がついており、春の訪れを待ち望んでいるようだった。

カフェに到着すると、奈緒はすでに席についていた。久しぶりに会う友人の顔に、遥の心は少しだけ軽くなった。

「遥、久しぶり。元気だった？」奈緒は笑顔で迎え入れてくれた。

「うん、まあね。奈緒はどう？忙しかったでしょ？」遥は自分の心配事を隠しながら尋ねた。

二人はコーヒーを飲みながら、近況報告や思い出話に花を咲かせた。奈緒は結婚して子供もいるが、忙しい仕事と育児の合間を縫って、自分の夢である絵本作家の道を歩んでいる。彼女の話を聞きながら、遥は自分の悩みが少し小さく感じられた。

「ねえ、遥。あなたが好きだったあの詩、覚えてる？『生きているということ』」奈緒がふと話題を変えた。

「うん、覚えてるよ。最近、その詩がずっと頭の中にあってさ。何度も読み返してる。」遥はそう答えながら、心の中で詩の一節を思い浮かべた。

「生きているということ、それはのどがかわくということ。木もれ陽がまぶしいということ、ふっと或るメロディを思い出すということ…。本当に、どれも日常の小さなことばかりだけど、それが生きている証なんだよね。」奈緒は微笑みながら語った。

その言葉に、遥は深く頷いた。生きているということは、何も特別なことではない。毎日の小さな出来事が積み重なっているだけなのだ。そして、それがどれほど大切なことかを改めて実感した。

カフェを出た後、二人は街を歩きながら話し続けた。冷たい風が吹き抜ける中、遥は奈緒と手をつなぎ、そのぬくもりを感じていた。生きていることの喜びが、少しずつ彼女の心に広がっていった。

その日、遥は奈緒と別れた後、自宅に戻ってから一冊のノートを開いた。そこには、自分の思いや考えを書き留めるためのスペースが広がっていた。彼女はペンを手に取り、詩の一節を書き始めた。

「生きているということ、いま生きているということ。それは泣けるということ、笑えるということ、怒れるということ、自由ということ。」

遥は一呼吸置いて、続けた。

「生きているということ、それはあなたの手のぬくみ、いのちということ。」

書き終えた瞬間、遥は涙がこぼれ落ちるのを感じた。自分の心の中にあった不安や孤独が、少しずつ解けていくようだった。

その後、遥は自分の生き方を見つめ直し、毎日の小さな出来事を大切にするよう心掛けた。友人との交流、仕事での達成感、自然の美しさ。どれも生きている証であり、喜びの源だった。

数ヶ月が経ち、遥は以前よりも穏やかな気持ちで日々を過ごしていた。彼女は自分の中に芽生えた新たな希望を胸に、未来に向かって歩き出していた。

「生きているということ、それはすべての美しいものに出会うということ。そして、かくされた悪を注意深くこばむこと。」

遥はその言葉を心に刻みながら、自分の生き方を再び見つけ出したのだった。彼女の心には、いのちの喜びと感謝が溢れていた。