生きる

目に見えない脅威

目に見えない脅威

2024年の夏、日本全国で溶連菌感染症、通称「人喰いバクテリア」が急速に広がっていた。通常の年よりも患者数が激増し、ニュースは連日、感染拡大の警鐘を鳴らしていた。

「今年は溶連菌感染症が例年の2倍以上増えています。皆さん、特に手洗い、うがいを徹底してください」と、テレビのアナウンサーが真剣な顔で訴えている。

しかし、その裏にはもう一つの大きな問題が潜んでいた。抗生物質の不足だ。薬局や病院では、溶連菌感染症の治療に不可欠な抗生物質が出荷調整されており、供給が追いついていない。だが、その情報はほとんど報道されていなかった。

事態の深刻さ
都内のある総合病院で、医師の山田はその深刻な現実と日々向き合っていた。診察室のドアが開き、次々と患者が入ってくる。高熱に苦しむ子どもや、喉の痛みを訴える大人たち。山田はその一人ひとりに丁寧に対応し、症状を診察していく。

「先生、溶連菌感染症ですね。抗生物質をお願いします」と、看護師が申し出る。

山田は深いため息をつき、冷静に言った。「わかっています。でも、今は在庫が限られている。必要最小限の量しか出せません。」

看護師もまた、困惑の表情を隠せなかった。「でも先生、もし抗生物質が足りなくなったら…」

「それを防ぐために、我々が最善を尽くさなければならない。感染を広げないための手洗いやマスクの着用を徹底的に指導しよう。患者たちにも自覚してもらうしかない。」

一家の恐怖
山田の診察室を後にした後、次に診察に訪れたのは、3人の子どもを連れた若い母親、佐藤恵子だった。彼女の目には、不安と恐怖が浮かんでいた。

「先生、子どもたちが高熱で…溶連菌だと思うんです。ニュースで見ました。とても怖いです…」

山田は彼女を落ち着かせるように優しく言った。「佐藤さん、大丈夫です。まずは診察をしましょう。」

診察の結果、3人の子どもたちは確かに溶連菌感染症だった。山田はそれぞれに処方箋を書きながら、現実の厳しさを感じていた。もし抗生物質が足りなくなれば、感染が広がり、重症化する患者が増える可能性が高い。

真実を伝えること
その日の診療が終わった後、山田は院長の北村と話し合った。

「北村先生、溶連菌感染症の治療に必要な抗生物質が不足していること、もっと公に知らせるべきです。今のままでは市民が本当の危険を理解していない。」

北村もその点には同意していた。「山田君、私も同じことを考えている。しかし、パニックを引き起こさないようにすることも大事だ。私たちができるのは、慎重に、しかし確実に情報を伝えていくことだ。」

その夜、山田は自宅で妻の美咲と話をした。美咲もまた看護師であり、医療現場の現実を知っていた。

「今、私たちができるのは何だろう？」山田が問いかけると、美咲は静かに答えた。

「まずは、私たち自身が正しい情報を持ち、周囲に伝えること。それから、患者さんたちに感染予防の重要性をしっかりと伝えていくことね。」

希望の光
数日後、山田は病院のロビーで一枚のポスターを見つけた。それは抗生物質の不足について正確に伝え、感染予防の重要性を強調する内容だった。ポスターには、手洗いやマスクの着用、そして症状が出たらすぐに受診することが呼びかけられていた。

「これだ…」山田はつぶやき、北村院長にそのポスターの設置を提案した。

「山田君、君の提案を受け入れるよ。今こそ、市民に正確な情報を伝える時だ。」

ポスターはすぐに病院中に貼られ、SNSでも広く共有された。その結果、市民の間で感染予防の意識が高まり、受診希望者が自分たちで電話をかけてくることも増えた。

新たな日常
数週間後、病院の診察室に再び佐藤恵子が訪れた。彼女の子どもたちは無事に回復していた。

「先生、あの時は本当にありがとうございました。あなたの言葉で勇気づけられました。」

山田は微笑みながら答えた。「佐藤さん、こちらこそ。あなたがしっかりと感染予防をしてくれたおかげで、子どもたちは元気になりました。」

その後も、山田は診察を続けながら、市民に正確な情報を伝え続けた。抗生物質の不足という問題は依然として深刻だったが、人々の意識が変わり、感染予防の徹底が広がったことで、状況は徐々に改善していった。

目に見えない脅威に立ち向かうために、医療現場と市民が一丸となって戦うことが必要だった。山田はその先頭に立ち、日々の診療を通じて希望の光を灯し続けた。