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50, 優しい嘘
しおりを挟む到着したグリファさんとエルファさん、オージと俺は、屋敷にある空き部屋に集まった。
普段あまり使っていないために特に家具もない、殺風景な部屋だ。
しかもそこに、ノルドさんとドロテオもいた。
「姉さんに駆り出されたんだ。まあ、何かあれば助けてやらをんこともない。魔女じゃないからタダ働きだけどな。」
「ご先祖のエルファ様が頼むからなんだから、感謝してよねー。」
ドロテオはともかく、ノルドさんがいるのは頼もしい、かもしれない。
エルファさんが室内で杖を振り、呪文を唱えると、地面に魔法陣が浮かび上がった。
「さ、カナト、大事なものを持って、中に立って。」
オージに言われたとおり、結婚証明書小さく畳んだ結婚証明書とマスコットに戻ったトトをズボン持って真ん中に立つ。
大事なものを持つのは、辛い時に心の支えになるからだって。
強力な呪いを解く過程では、精神的にもすごく負担がかかるとオージが言っていた。だから、大事なものを身近に用意して支えにするんだって。
「二人で手を握るんだ。」
そう言われて、持っていた紙とトトをズボンのポケットに入れる。
差し出された両手をそれぞれ握ると、オージが俺の手を引き寄せて抱きしめてきた。
「きっと上手くいくからね。心配ないよ。」
「うん。オージを信じてるから、大丈夫。」
周りの目があるから日本人の俺としてはちょっと恥ずかしいけど、こっちの世界はこんなもんだと言い聞かせて俺もオージの背中に手を回した。
少し抱き合った後、改めてオージと手を取り合って立つ。
「じゃあ、始めるとしようか。」
エルファさんが更に魔法を続ける。
杖の動きと、呪文の響きに従って、魔法陣から緑色に光る煙がゆっくり立ち上り始めた。
俺の足元に纏わりついた煙が、徐々に体表を登っていく。
それが胸元に到達すると、衣服に染みていった。
ぞわりとした感覚が胸を走り、呪いの痕が浮き出ているあたりに徐々に違和感が広がっていく。
「うっ……。」
感覚の気持ち悪さに顔を顰めていると、オージの俺の手を握る力が少し強くなった。
「大丈夫だよ。」
そう言われて気を持ち直す。
声を掛けられて意識したけど、オージの方はあまり煙が出ていないのが少し気になった。
それも胸を包む煙がだんだんと濃くなるごとに、内臓を締めあげられるような気持ち悪さが募って考えられなくなる。
思わず蹲りそうになるのを、オージの手を握って耐えた。
徐々にます不快感に、倒れそうになったとき、ずぶり、と痛みなく体を抉るような言い表せない感覚が襲い、胸からのそりと塊が滲み出てきた。
それは、呪いの痕の形をしたドス黒い塊で、胸から飛び出したそれに煙がまとわりついて引き出していく。
「うあ、あ……」
ずるずると抜けていく間の体の違和感は最高潮で、呪いが最後の悪あがきで体を蹂躙しているのかもしれないと思った。
ようやくずるり、と胸に浮かんでいた形全体が抜け出ると、体がふと楽になる。
これで、俺の呪いは無くなるのか?
そんな考えが頭を掠めていると、抜け出た呪いの塊がのそりと動いてオージに向かっていった。
「だ、ダメだ!待って!だめ!」
慌てて塊を掴んで止めようとしたら、オージが俺の手を強く抑えて阻止した。
何も出来ないままに、オージの体に俺に掛かっていた呪いが沈んでいく。
「ど、ゆこと……?」
混乱しながら呪いが入っていったオージの胸元と顔を交互に見つめる俺と対照的に、オージの表情は変わらない。
まるで最初からこのつもりだったみたいに。
「お別れだよ、カナト。」
オージがそう告げた後、俺の頭を引き寄せてキスをした。
何が何だか分からないうちに、軽く突き放されて体が離れる。
「だから!どういうことだって!」
ようやく反応が追いついてオージに詰め寄ろうとしたら、見えない壁に阻まれた。
手探りで進めそうなところを探しても、俺の周りをぐるりと囲っているようで、魔法陣から出ることもできない。
「先生がカナトを元の世界に帰してくれるよ。そうしたら、呪いはもう君に届く事はない。本当は僕が送り帰してあげたかったけど、対価に魔力を差し出してしまったからできないんだ。」
壁はあっても声は届くみたいだ。
全然訳がわからないけど、今帰ったら二度とオージに会えないのは知ってる。異界人が次元を渡るのに耐えられるのは、一往復程度らしいから。
「待って!何でだよ!俺、帰らないよ!!」
必死に訴えるけど、オージの表情は変わらない。
決めてたんだ。最初から、こうするつもりだったんだ。
どうしてなのか何も分からないけど、それだけはオージの態度からわかった。
「先生、もう大丈夫ですから、お願いします。」
「本当に良いのか?何も知らなかったようだし、もう少し説明してやったら?」
ノルドさんが杖を構えながらもオージを諌めてくれる。
オージが僕を見つめた。
「カナト、どうか笑っていて欲しい。それが、僕にとっての一番のハッピーエンドだから。」
オージがそれ以上何も話す気がない事は何となく分かった。同じく察したノルドさんが諦めた顔で杖を振る。
「待てよ!そんなの何の説明にもなってない!なんで!!いやだ!」
力一杯見えない壁を叩いて、引っ掻いてもびくともしない。
見えない壁の中に、虹色の光が満ちていった。
「やだ!やだぁ!!オージ!」
目の前にいたオージの姿が見えなくなる直前、泣きそうな顔をしているのが分かった。
俺もすごい悲しくて、ずっと目の前の壁を叩いていた。
「やだぁぁ!!!」
突然叩いていた壁がなくなって、前のめりに倒れ込む。
「わっ!お客さん、落ち着いて!竜巻消えたみたいだから、怖がらなくて大丈夫ですよ!」
床から目線を上げたら、馴染みがない人だった。
「大変申し訳ありませんが、まだ時間ありますけど安全確保のために中止して降下しますね。」
徐々に記憶が呼び起こされてきて、あの日、オージにで会う前、日本で乗っていた気球にいることを理解する。
泣いているのを竜巻にびびったからだと思っているのか、気球を操縦する添乗員がやたらと気を遣って大丈夫と連呼していた。
「き、今日何月何日ですか?」
「へ?◯月×日ですけど、あと、あの……何か、服違くないですか?手品、ですかね……。」
俺はもう、何にも誰にも反応することができなかった。
それは、俺が異世界に行ったのと同じ日付だったから。
気球を降りた後あまり記憶がないままに自分の狭いワンルームのアパートに戻って、会社からの何件もの着信も全て無視して、あまりの体のだるさに気絶するように寝た。
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