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◇エコルシェ 紳士の復讐は絶対零度で微笑む◆
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◇エコルシェ
紳士の復讐は絶対零度で微笑む◇
ネオン輝くいつもの夜。
アンジュ・ロアエクは、嫌味なほどピカピカで胴長短足な車から、有閑な未亡人のローレン伯爵夫人をエスコートし、その手の甲に艶やかなキスを落として、レストランのコンシェルジュに未亡人の腰を押し付けた。未亡人はアンジュに未練を残しながら、三十は年下の若いコンシェルジュに腰を抱かれてレストランに入って行った。
アンジュの胸は高鳴っていた。
美しくオールバックにセットされた黒髪はキングオブロックンロールスターのように誰もが振り返り、整った外見に魅了されて心射抜かれる男も女も、全てを手にする男アンジュ・ロアエクが、たった一人の女性の為に心乱されているとは思いもよらない。
今宵のパーティにはもう一人どうしてもエスコートしなければならない女性がいる。
アンジュは胸の高鳴りを楽しむように撫で下ろす。
長かった。本当に。やっとこの胸に刺さっていた棘が抜ける。
ローレン伯爵夫人の夫は七年前に不慮の事故で亡くなっている。ローリー・ローレン伯爵はアンジュにとって尊敬する師であり、心の父であり、唯一の呵責である。
ローリー・ローレン伯爵は大金山を持つ世界有数の資産家だった。今その資産はローレン伯爵夫人が管理代理人を勤めているが、子供がいないので夫人亡き後は国庫に入ると予想されていて、夫人の縁者が異議申し立てて国を相手に何年も騒いでいる。
アンジュはハイエナのような彼等が大嫌いだった。
ネオン輝く高層ビルと街路樹。酔っ払いが行き交う車道に丸く可愛いビートルが止まる。
ビートルはその丸く可愛いフォルムからカブトムシとも呼ばれる車だ。
特殊な水色のカブトムシはこの国に数台しかなく、アンジュの愛車のひとつだ。
華奢で白い足がカブトムシから降りてくる。
まだ十代の初々しさはピンクのドレスがとても良く似合っていた。確かまだ十三歳になったばかりのピンクが似合う少女にアンジュは手を差し伸べた。
「お姫様。お手をどうぞ。」アンジュのセリフに弾かれたように上がった少女の左手は、少し照れたように拳を握る。
「大丈夫。僕に任せて。」アンジュは慣れたようにふわりと微笑むと、拳に手を重ねた。
拳に込められた力がゆるりと解かれたのを確認し、少女の手をアンジュの腕にのせる。
「今日の君は魔法にかけられた完璧なお姫様さ。魔法使いの僕を信じて。パーティを楽しもう。」
アンジュがウインクすると、軽薄な親戚のお兄ちゃんを見るような目で少女は笑った。
アンジュがエスコートしレストランの入り口を照らすスポットライトに照らされると、レストランに並ぶ客がざわざわと色めき立った。
ロアエク男爵よ。ため息がこぼれちゃう。
一度でいいから私もエスコートされたいわ。
レストランのガードマンが当たり前のようにアンジュと少女を、順番待ちする客の目の前で扉を開け放ち招き入れる。
文句を言うような客は並んでいない。並ぶことさえステイタスとされるアンジュ経営のカジノレストランだからだ。
アンジュにエスコートされた少女は街のネオンよりも眩しい店内に目をぱちくりとさせて驚いている。
くるくると回るスロットマシンや天井に輝くネオンボール。
一段高い舞台には有名なポーカープレイヤーが高額なチップを高く積んで、ショーダウンの瞬間を見届けようとその周りを取り囲む大勢の人集り。
ルーレットやブラックジャック、歓喜と絶叫のビッグシックスに瞳孔の開いた大人達。
見たこともないような大人達の乱行に少女が圧倒されているのを見てアンジュはくすくすと笑っていると、それに気付いた少女が顔を赤くしてアンジュの足の甲に靴の爪先をぶつけた。
対して痛くもなかったアンジュだが、痛いよごめんと微笑んで、更にレストランの奥へと少女を連れて行く。
パーティを楽しむ前に会わせたい人がいるんだ。
そこから扉を二つくぐると、豪華な料理をのせたテーブルにつくローレン伯爵夫人がいて、コンシェルジュが軽く会釈して出て行った。
ローレン伯爵夫人は初めアンジュを見てパッと表情を明るくし、後ろから現れた少女を見て訝しく眉を寄せた。
睨みつけるような夫人の視線に少女はアンジュの腕をギュッと握る。
けれど、夫人の瞳が大きく開き、間抜けなほどぽかりと開かれた口から転がった言葉は、固く握られた少女の拳から緊張を逃がしていた。
ローリーと同じ天然パーマの金髪、ローリーと同じ団子鼻、ローリーと同じ長いまつ毛と垂れた瞼、愛するローリーを小さくしたような少女。
「私の可愛子ちゃん。」
それはローリーの口癖だった。夫人は毎朝、目覚めのミルクティーと甘い囁きでローリーに起こされた。
それは少女にとっても特別なおまじないだった。
そしてハッとした夫人がアンジュを見て言った。
「フィユノワールは?」と、夫人はまるで昨日のことのようにローリーの笑顔を思い出した。
黒い葉っぱとは、ローリーと夫人が揶揄で使う言葉だった。
ローリーの額には葉っぱ型の痣があった。黒く霞んだ痣は前髪で隠しても風に晒されて、DVやハラスメントの心無い噂を嫌って化粧で隠していたローリーが「フィユノワールという品種のワインでも作って飲むのも面白そうだ」と笑うのだ。
少女がピンクのドレスの裾を持ち上げる。
左足の太ももに、ローリーと同じ葉っぱ型の痣があった。
十三年前誘拐されて行方不明になったままだった我が子との再会に、夫人は崩れ落ちて泣いた。
少女はゆっくりと夫人に歩み寄り、お母さん、とその呟きに顔を上げた夫人は子供の名前を呼ぶ。
「ローラ!」
抱き合う親子の再会にアンジュは甘いマスクで微笑んだ。
その一ヶ月後、伯爵夫人の親戚が次々と逮捕されて、その裁判の証人として現れたのは死んだはずのローリー・ローレン伯爵だった。
弁護士でもあるアンジュ・ロアエクが語るには、これは長い長い復讐計画だった。
伯爵夫人の親戚によって誘拐された赤ん坊の行方は何年もわからなかった。伯爵夫人の親戚の犯行であることは突き止めたが、証拠が無いし子供の行方もわからないので下手に手出し出来ない。
伯爵に、犯人達の油断を誘うために死亡偽装することをアンジュが提案すると、伯爵はそれを実行してしまった。伯爵もアンジュに言われるまでもなくわかっていた、獲物を狩るには餌がいることを。一番魅力的な餌で誘い出し、逃げ道を塞いでとどめの一撃で粉々にする。伯爵が好んで使う戦術であり、弟子のアンジュの得意技でもあった。
しかし、流行病と飢饉が重なり、伯爵の財産を国も回収に乗り出し、欲の皮の突っ張った親戚連中も粘りに粘り、それから七年という月日が流れた。ちなみに、伯爵側の親戚は遺言で信託財産が決まっているので、川のせせらぎのように静かだったことは言うまでもなかったか。
そうして、誘拐されて六年、死亡偽装して七年、アンジュの呵責となって長い年月は過ぎた。
敵を騙すにはまず味方から。伯爵夫人には気の毒だったがローラを見つけ出す為には必要な犠牲だったし、後に誘拐犯が自分の身内であった事で伯爵夫人は伯爵を許している、それどころかローラと伯爵に対する罪悪感が自分も騙された被害者だというおかげで軽くなったのも事実だった。
ローレン伯爵の死は、莫大な財産の一部でも貰えれば遊んで暮らせる人生の始まりに浮かれる犯人達の油断を誘うには十分過ぎた。
手に入るかもわからない大金の為に無垢な赤ん坊を殺すことまでは出来なかったか、人質として生かしておけばヘタに手出しできないだろうと踏んだのか、犯人達はローラを他国の修道院に送った。しかし国と長く交渉してもうすぐ大金が手に入るという段階になり、ローラを生かしておいて万が一にも伯爵の財産がローラに渡ってしまったら、伯爵夫人の親戚である犯人達の手元には一銭も入ってこない。
念には念をと、犯人の一人がローラのいる修道院へと向かった。
居場所がわかったアンジュは犯人よりも間一髪、先にローラを引き取り、死亡偽装して隠れていた伯爵のもとへとローラを連れて行った。
父だと紹介された白髪で痣のある老人は少女を見るなり私の可愛子ちゃん、と優しい涙を流した。ローラにとって、その言葉はずっと欲しかった親の愛情そのもの。愛し愛される魔法のおまじないがかけられて、生きることを諦めかけていた目に光が灯る。
砂漠のオアシスが緑の大地をよみがえらせるようにローラの無表情だった瞳に涙が溢れ出していた。
修道院でローラは病死したことになり、ローラを殺そうとした犯人の人脈を洗い誘拐犯を絞り込んでいくアンジュ。
財産を手に入れようと国と争っていた親戚は全員が犯人では無かったが、そのうちの四人が実行犯であり、密に群がる蟻のように集っていた十数人の親戚達は、事件の真相が明るみになると皆いなくなって静かになった。安心してほしい、アンジュはそこまで冷酷ではない。アンジュは。
証人席に立つ伯爵に飛び掛かろうとした犯人の一人が、伯爵の足元にカチンコチンになって転がった。伯爵の持つ水属性のスキル、絶対零度。
伯爵は不敵な笑みを浮かべつつ、座っていたパイプ椅子を持ち上げ、振り下ろした。
粉々に粉砕された氷の欠片が渦を巻いて一箇所に集まる。残された三人の誘拐犯達の目の前に。
しゅうしゅうと蒸気する何かの気体は遺体の皮を溶かし血液は凍結乾燥、表皮の下に隠されていた筋肉や骨を露出し、まるでバラバラになった人体模型だが、骸骨化した頭蓋骨は青より白く怯える三人の前でカタカタと揺れていた。
裁判長が判決を読み上げる。
犯罪者には永久機関による強制労働と毎日の反省文の提出、誘拐された少女の殺害未遂に関与した者の死刑執行は既に成され、復讐による死刑執行代理または正当防衛により伯爵は無罪とする、異論は一切を却下とする、控訴は一切を却下とする、新たな証拠による不服申し立てのみ不服申し立てる乙の関係者の死刑執行を代価として甲のローレン伯爵が執行代理する事で受理する、これにて閉廷。と締め括った。つまり文句あるやつはローレン伯爵が氷漬けにしちゃうからねって事だ。めでたしめでたし。
現実を受け止めきれていない犯人達は目隠しと耳栓をされて連行されていく。
静まり返った法廷に、犯人達が出て行った扉が閉まる音が不気味に響いた。
ギイ イイイイ イウイー バタン
◇簡単に各話の称号の解説とイメージを語るメモワール◇
エコルシェ
皮膚を除いて筋肉を露出している人体模型のこと 絶対零度のカッコ良さをフランス語で簡潔にあらわしたかったので使いました。凍結、劣化、解凍することで細胞が溶けたり蒸発したり乾燥したり、もっと残酷に表現したかったけれど自粛。
紳士の復讐は絶対零度で微笑む◇
ネオン輝くいつもの夜。
アンジュ・ロアエクは、嫌味なほどピカピカで胴長短足な車から、有閑な未亡人のローレン伯爵夫人をエスコートし、その手の甲に艶やかなキスを落として、レストランのコンシェルジュに未亡人の腰を押し付けた。未亡人はアンジュに未練を残しながら、三十は年下の若いコンシェルジュに腰を抱かれてレストランに入って行った。
アンジュの胸は高鳴っていた。
美しくオールバックにセットされた黒髪はキングオブロックンロールスターのように誰もが振り返り、整った外見に魅了されて心射抜かれる男も女も、全てを手にする男アンジュ・ロアエクが、たった一人の女性の為に心乱されているとは思いもよらない。
今宵のパーティにはもう一人どうしてもエスコートしなければならない女性がいる。
アンジュは胸の高鳴りを楽しむように撫で下ろす。
長かった。本当に。やっとこの胸に刺さっていた棘が抜ける。
ローレン伯爵夫人の夫は七年前に不慮の事故で亡くなっている。ローリー・ローレン伯爵はアンジュにとって尊敬する師であり、心の父であり、唯一の呵責である。
ローリー・ローレン伯爵は大金山を持つ世界有数の資産家だった。今その資産はローレン伯爵夫人が管理代理人を勤めているが、子供がいないので夫人亡き後は国庫に入ると予想されていて、夫人の縁者が異議申し立てて国を相手に何年も騒いでいる。
アンジュはハイエナのような彼等が大嫌いだった。
ネオン輝く高層ビルと街路樹。酔っ払いが行き交う車道に丸く可愛いビートルが止まる。
ビートルはその丸く可愛いフォルムからカブトムシとも呼ばれる車だ。
特殊な水色のカブトムシはこの国に数台しかなく、アンジュの愛車のひとつだ。
華奢で白い足がカブトムシから降りてくる。
まだ十代の初々しさはピンクのドレスがとても良く似合っていた。確かまだ十三歳になったばかりのピンクが似合う少女にアンジュは手を差し伸べた。
「お姫様。お手をどうぞ。」アンジュのセリフに弾かれたように上がった少女の左手は、少し照れたように拳を握る。
「大丈夫。僕に任せて。」アンジュは慣れたようにふわりと微笑むと、拳に手を重ねた。
拳に込められた力がゆるりと解かれたのを確認し、少女の手をアンジュの腕にのせる。
「今日の君は魔法にかけられた完璧なお姫様さ。魔法使いの僕を信じて。パーティを楽しもう。」
アンジュがウインクすると、軽薄な親戚のお兄ちゃんを見るような目で少女は笑った。
アンジュがエスコートしレストランの入り口を照らすスポットライトに照らされると、レストランに並ぶ客がざわざわと色めき立った。
ロアエク男爵よ。ため息がこぼれちゃう。
一度でいいから私もエスコートされたいわ。
レストランのガードマンが当たり前のようにアンジュと少女を、順番待ちする客の目の前で扉を開け放ち招き入れる。
文句を言うような客は並んでいない。並ぶことさえステイタスとされるアンジュ経営のカジノレストランだからだ。
アンジュにエスコートされた少女は街のネオンよりも眩しい店内に目をぱちくりとさせて驚いている。
くるくると回るスロットマシンや天井に輝くネオンボール。
一段高い舞台には有名なポーカープレイヤーが高額なチップを高く積んで、ショーダウンの瞬間を見届けようとその周りを取り囲む大勢の人集り。
ルーレットやブラックジャック、歓喜と絶叫のビッグシックスに瞳孔の開いた大人達。
見たこともないような大人達の乱行に少女が圧倒されているのを見てアンジュはくすくすと笑っていると、それに気付いた少女が顔を赤くしてアンジュの足の甲に靴の爪先をぶつけた。
対して痛くもなかったアンジュだが、痛いよごめんと微笑んで、更にレストランの奥へと少女を連れて行く。
パーティを楽しむ前に会わせたい人がいるんだ。
そこから扉を二つくぐると、豪華な料理をのせたテーブルにつくローレン伯爵夫人がいて、コンシェルジュが軽く会釈して出て行った。
ローレン伯爵夫人は初めアンジュを見てパッと表情を明るくし、後ろから現れた少女を見て訝しく眉を寄せた。
睨みつけるような夫人の視線に少女はアンジュの腕をギュッと握る。
けれど、夫人の瞳が大きく開き、間抜けなほどぽかりと開かれた口から転がった言葉は、固く握られた少女の拳から緊張を逃がしていた。
ローリーと同じ天然パーマの金髪、ローリーと同じ団子鼻、ローリーと同じ長いまつ毛と垂れた瞼、愛するローリーを小さくしたような少女。
「私の可愛子ちゃん。」
それはローリーの口癖だった。夫人は毎朝、目覚めのミルクティーと甘い囁きでローリーに起こされた。
それは少女にとっても特別なおまじないだった。
そしてハッとした夫人がアンジュを見て言った。
「フィユノワールは?」と、夫人はまるで昨日のことのようにローリーの笑顔を思い出した。
黒い葉っぱとは、ローリーと夫人が揶揄で使う言葉だった。
ローリーの額には葉っぱ型の痣があった。黒く霞んだ痣は前髪で隠しても風に晒されて、DVやハラスメントの心無い噂を嫌って化粧で隠していたローリーが「フィユノワールという品種のワインでも作って飲むのも面白そうだ」と笑うのだ。
少女がピンクのドレスの裾を持ち上げる。
左足の太ももに、ローリーと同じ葉っぱ型の痣があった。
十三年前誘拐されて行方不明になったままだった我が子との再会に、夫人は崩れ落ちて泣いた。
少女はゆっくりと夫人に歩み寄り、お母さん、とその呟きに顔を上げた夫人は子供の名前を呼ぶ。
「ローラ!」
抱き合う親子の再会にアンジュは甘いマスクで微笑んだ。
その一ヶ月後、伯爵夫人の親戚が次々と逮捕されて、その裁判の証人として現れたのは死んだはずのローリー・ローレン伯爵だった。
弁護士でもあるアンジュ・ロアエクが語るには、これは長い長い復讐計画だった。
伯爵夫人の親戚によって誘拐された赤ん坊の行方は何年もわからなかった。伯爵夫人の親戚の犯行であることは突き止めたが、証拠が無いし子供の行方もわからないので下手に手出し出来ない。
伯爵に、犯人達の油断を誘うために死亡偽装することをアンジュが提案すると、伯爵はそれを実行してしまった。伯爵もアンジュに言われるまでもなくわかっていた、獲物を狩るには餌がいることを。一番魅力的な餌で誘い出し、逃げ道を塞いでとどめの一撃で粉々にする。伯爵が好んで使う戦術であり、弟子のアンジュの得意技でもあった。
しかし、流行病と飢饉が重なり、伯爵の財産を国も回収に乗り出し、欲の皮の突っ張った親戚連中も粘りに粘り、それから七年という月日が流れた。ちなみに、伯爵側の親戚は遺言で信託財産が決まっているので、川のせせらぎのように静かだったことは言うまでもなかったか。
そうして、誘拐されて六年、死亡偽装して七年、アンジュの呵責となって長い年月は過ぎた。
敵を騙すにはまず味方から。伯爵夫人には気の毒だったがローラを見つけ出す為には必要な犠牲だったし、後に誘拐犯が自分の身内であった事で伯爵夫人は伯爵を許している、それどころかローラと伯爵に対する罪悪感が自分も騙された被害者だというおかげで軽くなったのも事実だった。
ローレン伯爵の死は、莫大な財産の一部でも貰えれば遊んで暮らせる人生の始まりに浮かれる犯人達の油断を誘うには十分過ぎた。
手に入るかもわからない大金の為に無垢な赤ん坊を殺すことまでは出来なかったか、人質として生かしておけばヘタに手出しできないだろうと踏んだのか、犯人達はローラを他国の修道院に送った。しかし国と長く交渉してもうすぐ大金が手に入るという段階になり、ローラを生かしておいて万が一にも伯爵の財産がローラに渡ってしまったら、伯爵夫人の親戚である犯人達の手元には一銭も入ってこない。
念には念をと、犯人の一人がローラのいる修道院へと向かった。
居場所がわかったアンジュは犯人よりも間一髪、先にローラを引き取り、死亡偽装して隠れていた伯爵のもとへとローラを連れて行った。
父だと紹介された白髪で痣のある老人は少女を見るなり私の可愛子ちゃん、と優しい涙を流した。ローラにとって、その言葉はずっと欲しかった親の愛情そのもの。愛し愛される魔法のおまじないがかけられて、生きることを諦めかけていた目に光が灯る。
砂漠のオアシスが緑の大地をよみがえらせるようにローラの無表情だった瞳に涙が溢れ出していた。
修道院でローラは病死したことになり、ローラを殺そうとした犯人の人脈を洗い誘拐犯を絞り込んでいくアンジュ。
財産を手に入れようと国と争っていた親戚は全員が犯人では無かったが、そのうちの四人が実行犯であり、密に群がる蟻のように集っていた十数人の親戚達は、事件の真相が明るみになると皆いなくなって静かになった。安心してほしい、アンジュはそこまで冷酷ではない。アンジュは。
証人席に立つ伯爵に飛び掛かろうとした犯人の一人が、伯爵の足元にカチンコチンになって転がった。伯爵の持つ水属性のスキル、絶対零度。
伯爵は不敵な笑みを浮かべつつ、座っていたパイプ椅子を持ち上げ、振り下ろした。
粉々に粉砕された氷の欠片が渦を巻いて一箇所に集まる。残された三人の誘拐犯達の目の前に。
しゅうしゅうと蒸気する何かの気体は遺体の皮を溶かし血液は凍結乾燥、表皮の下に隠されていた筋肉や骨を露出し、まるでバラバラになった人体模型だが、骸骨化した頭蓋骨は青より白く怯える三人の前でカタカタと揺れていた。
裁判長が判決を読み上げる。
犯罪者には永久機関による強制労働と毎日の反省文の提出、誘拐された少女の殺害未遂に関与した者の死刑執行は既に成され、復讐による死刑執行代理または正当防衛により伯爵は無罪とする、異論は一切を却下とする、控訴は一切を却下とする、新たな証拠による不服申し立てのみ不服申し立てる乙の関係者の死刑執行を代価として甲のローレン伯爵が執行代理する事で受理する、これにて閉廷。と締め括った。つまり文句あるやつはローレン伯爵が氷漬けにしちゃうからねって事だ。めでたしめでたし。
現実を受け止めきれていない犯人達は目隠しと耳栓をされて連行されていく。
静まり返った法廷に、犯人達が出て行った扉が閉まる音が不気味に響いた。
ギイ イイイイ イウイー バタン
◇簡単に各話の称号の解説とイメージを語るメモワール◇
エコルシェ
皮膚を除いて筋肉を露出している人体模型のこと 絶対零度のカッコ良さをフランス語で簡潔にあらわしたかったので使いました。凍結、劣化、解凍することで細胞が溶けたり蒸発したり乾燥したり、もっと残酷に表現したかったけれど自粛。
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