聖女と魔女

蘭爾由

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「甘いなシャクター卿は。馥郁ふくいくと撒き散らすその甘さに愁苦しゅうくしてついつい、愚痴を言いたくなってしまったよ。実を言うとね、シャクター卿とキャンディス・ノラックの関係性がまだ解き明かせていないのだよ。」

「ちっ……何の事かわからんな。疑われているようで不快だ。失礼する。」
立ち上がろうとしたシャクター卿だったが、ルフィーリアは扇をゆっくりと閉じながら、

「ああ、言い方が悪かったかな、マルティネス男爵?」
手の中に扇を握る。

「!……謀(たばか)ったな。」

「人聞きが悪いな。私は二人の関係は知らないとは言ったが、シャクター卿の悪事を掴んでいないとは一言も言ってはいないよ?ただ貴方がこの場から逃げられるチャンスをうかがっているようだったから、逃げても無駄だと言っておきたくてね。」
ニッコリ(ルフィーリア)。

浮いた尻を下ろすシャクター卿。

暗躍を繰り返した御大おんたいは悪運もこれまでかといった表情で、自虐気味に口角を上げ、それを見たルフィーリアもまた、この男とはまだまだ心理戦を楽しめそうだ、と事後の駆け引きを予想して心が躍った。

「架空の男爵を作り上げ資金横領、隠匿、反皇族組織への資金援助、いや、その親玉かな?まあいいや。時間はいくらでもある。ゆっくりと聞き出すとしよう。とても楽しみだ。」

反皇族組織とはハバ下ハグを悪用する闇組織のことだ。ルフィーリアは、絶対に逃さない、という目で会場を見渡し、招待客の中で不穏に騒ぐ者達を記憶していく。


キィ……非常出入り口の扉から男が入ってきて扉を閉めた。細目の男だ。

握った左腕を直角に折り胸の前に、右手を後ろに回して、男は頭だけを下げた。

これはシャングリラ王国において、腕で相手との間に結界を作り、神聖な相手、敬意を払う相手に挨拶をする場合に行う作法。ちなみに女性の場合は扇を使う。

(そう、契約は履行されたのね、お疲れ様、ミシェル。)
ルフィーリアは表情を変えず、欲しかった対価を得られたと知って心が凪いでいく。

(最良ではないけれど、上々よ……さあ、私の番ね。)

くるりと身を翻し、ただ白く座り込むジャックに歩み寄るルフィーリア。

「ジャックが私に目もくれずキャンディス・ノラックを追いかけていてくれたおかげでこの一年は楽に過ごせたよ。よーく見なければソフィーリアと見分けがつかないと言われているのに、君は私をひとめ見て別人だと気付いたね。ジャック?」

ルフィーリアがかがんで膝を抱え、ジャックと目線を合わせる。

だが目線は合わない。ジャックの意識はここにはない。

「キャンディ……僕はここにいるよ……」
小さな声で呟いている。

「かくれんぼかい?……でておいで僕のキャンディ……」

「そうか。君はかなり深く洗脳されているんだね。」
ルフィーリアは悲しげにジャックを見つめる。

「暗示は自発的に考え方を変えるよう仕向けるものだから、暗示にかかっている事を自覚させれば解けやすい。対して洗脳とは、物理的・社会的圧力による操作により思想や価値観を強制的に改変させる。だから洗脳を解く事はとても難しいとされているんだ。」

ルフィーリアが語る横で、キャンディスがジャックを揺さぶって、私はここよ!、とアピールしている。
「ん!んん!」

「キャンディス・ノラック。無駄だよ。殿下が見ているのは理想のキャンディさ。淫乱悪女のきみじゃあない。」

「んんん!んんんん!」
(失礼ね!誰が淫乱悪女よ!)

「ジャック。私を見て。ジャック。」
キャンディスを無視してジャックの頬に手を伸ばすルフィーリア。

「一度でいい。私の目を見るんだ。ジャック。ジャック……。」

ルフィーリアはジャックの頬を両手で包み、ジャックの名を呼び続けた。

ジャック……ジャック……ジャック……

そうして刹那。

ジャックの瞳に光が戻ってくる。

「……だれ?」

「ルフィーリアよ。ルフィーリア・カヌカ・フェイン。」

「ルフィーリア・カヌカ・フェイン。」

「そうよ、いい子ね。貴方とソフィーリアの婚約は白紙になったわ。婚約していた事実さえ消えたから、貴方はソフィーリアに対して罪悪感を抱く必要はないの。ソフィーリアは今後、私の祖国の王子と結婚して幸せになるわ。素敵でしょ?」

「素敵だね。」

「ジャック……貴方のミルキーブロンドはとても柔らかくて甘くて素敵……透き通るミルキーアイを見ていると食べてしまいたいくらい愛しい気持ちがあふれてくるの……私ね、貴方が好きよ。貴方の顔、声、仕草、少しバカなところも可愛いわ。ジャック……私にしなさい、ジャック……私と結婚しましょう。」

「結婚するよ。ルフィーリア。君と結婚する。」

「安心して、ジャック、私達は既に婚約済みよ。学院を卒業したらすぐに式をあげましょうね。可愛いジャック私の可愛いひと。」

「可愛いルフィーリア。僕の可愛いひと。」

頬を染めた夢見心地でうっとりとルフィーリアを見つめて、ルフィーリアから差し出された手をギュッと握るジャック。

「ん……んん……」
(何を……したの……)
腰を抜かしてひっくり返るキャンディス。

「教えてほしい?簡単よ。」
にっこり。

「貴方の洗脳よりも強力な洗脳をかけたのよ。私がただソフィーリアに似ているだけで選ばれるわけないでしょう?

私はね、この魅了の魔法のせいで隣国の地下牢に一生閉じ込められて終わる運命だったの。こんな強力な魅了魔法、怖いでしょ?私だって怖いもの。

皆が私を怖がって閉じ込めるのはしょうがないと思っていたわ。倫理観は人並みにあるから暴れる気にもならなかったし。

そうしたら、この国の使者がいらしてね?ジャック皇太子殿下を救ってくれたらジャック皇太子殿下の皇妃に迎えてくれるっていうじゃない?

おまけにジャックって私の好みドストライク。」
ぽっと頬染めるルフィーリア。

「んん……んんんんんんんん……」
(やめて……ジャックは私と結婚するのよ)

「私、貴方みたいなおバカさん、嫌いじゃないのよ。でもね、貴方、殿下の心、壊してしまったでしょう?

殿下に理想のキャンディス像を植え付けて操り、実際のキャンディスは淫乱悪女と知って殿下の心は壊れてしまった。

洗脳は拷問よ。キャンディス・ノラック、貴方はノラック家から除籍、除名され、たった今から、反逆者キャンディスとして裁かれます。

ね。どうやるか知りたい?魅了ってね、あまりにも強力だと、心が消えるのよ?」

「んん……んん……」
(いや……ごめんなさい、ゆるしてくださいごめんなさいごめんなさい……)

「残念だわ、キャンディ。こんなかたちで貴方が終わるなんて。」
くす。
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