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四章 どうしてこなるんだ

2 ずぶ濡れで帰宅

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 ものすごい不安の中、雨に打たれながら移動し城の大扉の前に着いた。はあ……どうしよ。ここまで来る直前に雨は小雨になり、雲の隙間から日差しが見え始めた。足元には服から滴る雨水がポタポタと落ちる。

「ハイネ、この扉開けるの怖い」
「うん。ごめんね。がんばれーっうふふっ」

 軽いハイネにムカつきながら、扉の取っ手に手を掛けたら勝手に開いた。あれ?

「あのどなた……ぎゃあああ!化けて出た!」

 うん。正しい反応だ。執事のマルクルは腰を抜かしアワアワ。その声に近くにいた文官も集まりギャアアーッと叫んだ。パニックの家臣を見つめ、精一杯の微笑みで、

「リシャール、ただいま帰りました」
「え?生きてるの?」
「うん」

 これは大変と、マルクルは腰抜かしたまま匍匐前進。なんか虫がバタバタしてるようになって腰があ!と叫ぶ。はいはいマルクルはいいから、僕がロベール様呼んでくると一人の文官が走り出す。

「もうだめかと……よかった」

 マルクルは虫のように向きを変えて、僕に縋り付いて泣き出した。トリムはあなたが消えたときから城から消えました。ミュイも術者がいないならと、姿を消した。もう、もう生きてないかと……よかったとすすり泣く。ごめんねとしゃがんだ。

「リシャール!」

 僕は声の方に頭をあげた。俺のリシャールが生きてたと、呆然と立ち尽くし駆け出した。

「リシャール!どこにいた!なぜ消えた!」
「ごめんなさい。ちゃんと話します」

 みんなが葬式をするんだって言ってたのを止めてたんだ。死んでるなら死体があるはずだからって。それが見つかるまではやめろって。よかった……きつく抱きながらロベールは泣いてくれる。僕も一緒に泣いた。縋り付いて泣いた。この腕に帰りたかったのに出来なかったんだ。

「会いたかったロベール」
「うん。俺もだ」

 ミレーユは僕の帰りを信じていてくれた。きっと精霊絡みだから死んでない!拐われただけだって。みんな諦めてた中、彼はロベールと共に信じてくれていたそうだ。

「さあ、こんなドロドロで体も冷たいでしょう?お風呂入ってご飯食べてそれからです」
「うん」

 ロベールとミレーユに抱えられて、ロベールの部屋に入った。僕の感覚ではひと月も離れてなかったのに、この部屋は僕が一年いなかったことを教えてくれる。

「ほら」
「うん」

 お風呂に向かうとなぜかロベールも服を脱ぐ。え?

「一緒に入る」
「うん。ありがとう」

 ふたりで体を洗い浴槽に浸かる。あったかいくて気持ちもほぐれた。雨で本気で身体冷えてたよ。それに背中のロベールが嬉しい。

「少し痩せたか?」
「そっかな」

 元々細かったが、少し太っていい感じになってたのにと腰を擦る。僕あちらでなに食べてたんだろ。ハイネに問いかけても返事はない。

「今日はもう仕事をしない。一緒にいる」
「ありがとう」

 どこにいた?話せとはロベールは言わない。何か知ってるのか、それとも労ってくれてるのか。後者だろう。よくあったまってから部屋に戻ると食事があった。食堂には行かなくていいって二人分が簡単に食べれるようにってね。このメニューなら遅いお昼か。雨で時間の感覚がなかったよ。
 テーブルに並べられた食事。見たことない野菜がサラダにあった。いない時間は数日ではないと食事すら僕に時が経っていると教えてくれる。スプーンを持ちスープをすくい口に入れる。

「美味しい」

 すると記憶が蘇る。豆とか木の実しか食べてなかったんだ。……よく死ななかったな。僕はゆっくりと味わうように食べた。

「美味いか?」
「うん」

 ロベールの目は赤いまま。たぶん僕も。

「お前がいなかった期間、体調不良で実家で療養してることになってる。だから民は知らない」
「ありがとう」

 それだけ痩せてれば誰も疑わないよって。そうか、それほどか。

「食事の後に侍医が来るから」
「うん」

 ゆっくり時間を掛けて食事をして、少しすると侍医のおじさんが来て診察。特に悪いところはないが、痩せていると、唸る。

「栄養のあるものを食べてなかったのですね」
「そうかも……」
「ならば以前くらいには戻るように食べて下さいませ」
「はい」

 魔力は以前と変らないというか、増えてるからまあって。大人になっても増えるとか精霊は不思議な生き物ですねって。犯された跡もないし大丈夫って。その言葉に全身から汗が出る気がした。隣で見守るロベールに動揺が伝わらないように、必死で笑顔を貼り付けた。

「体はなんともないでしょうが、これだけ痩せていますから、体力が落ちてる可能性があります。ひと月は静かに過ごして下さいませ。それと、これ。栄養クッキー。おやつに食べて下さい。早く体が元に戻りますから」
「はい」

 そして侍医は下がり、ロベールはとりあえず横になれってベッドに寝かせようとする。いえ、そこまででは。

「ふたりっきりになりたいんだよ」
「ああ、はい」

 寝室で横になるとミレーユたちは外に出てふたりっきり。ロベールは僕を抱いて離さない。

「実はみんなには言ってなかったが、つい最近だ。トリムが突然現れて、リシャールがそろそろ戻ると教えてくれたんだ」
「ああ」

 トリムはごめんねロベール。俺はリシャールの眷属であってお前のじゃない。それに精霊王は絶対なんだ。なにも言えないけどリシャールは無事に帰ってくるからなって。

「疑ってたけど、それからすぐにお前は帰って来た。トリムは主の不利になることは話せない。自分で聞けってさ」
「そう……」

 長くなるけど聞いてって僕は話し始めた。ロベールは話の途中、時々ビクッとしたりギューッと僕を締め上げたりしながら黙って聞いてくれた。

「国としては大義であったと褒めるところだな」
「ごめんなさい」

 お前が精霊王に会った、中に愛しい妻がいるのが分かる。そうなればこうなることを予想しなくてはならなかったんだ。トリムは俺に警告してくれた。俺が甘かったんだと首筋にチュッとする。

「でも、ほとんどハイネの記憶はないんだ。さらわれたところと赤ちゃんが生まれて、ハイネが僕から分離したところくらいで、感覚的には数日なんだ」
「そっか」
「その間のこと聞きたい?聞けるけど」
「いや、俺はハイネの気持ちは分かるからいい」

 どれほどの愛情を兄に向けていたか分かるから。お前を兄に差し出したのは許せないが、それほどまでに愛して、ふたりの子が欲しくて堪らない気持ちは否定できない。俺がお前に持っている愛情と同じ。人と同じ強い愛を精霊のくせに持っていたんだなって。

「体はなにもなかったようにしてくれたんたろ?」
「うん。侍医にも分からなかったからね」

 ならいい俺のところに戻ってくれたから。戻ればもういいと、少し寝ようって胸に入れてくれる。

「ひとりは辛かった。みんな後妻をもらえとうるさくてな」
「そう……」

 信じてたんだ。お前が俺を裏切るはずはないって。裏切るにしても話してくれるはずだと信じてたそうだ。

「うん。きっと話したはずだよ」
「だろ?だからだな」



 時を一年前に戻す。
 僕は今のようにロベールに抱かれ眠っていた。疲れていたロベールは、僕を抱くことなく就寝。久しぶりになにもない穏やかな睡眠をむさぼっていたんだ。眠りから覚めると僕は精霊の城。ロベールが目を覚ますと、僕は腕にいなかったんだ。

「リシャール?もう起きたの?」

 ロベールは、クオールが起こしに来る前にリシャールが腕にいないとはトイレ?とか思ってそのまま寝ていた。しかし、クオールが起こしに来てもいない。自室かと覗いてもいない。

「リシャールどこいったんだ。子ども部屋か?」
「見てまいります」

 当然僕はいなくて城の中をくまなく探す。そしてどこにもいない。トリムはどこだ!と探すけど彼もいなくて、ミュイも分からないという。リシャールの気配を城に感じないとミュイは不安そうだった。ミュイはロベールのために親にも頼み、探させたが見つけられず気配もない。どこにもいない。ロベールになにか腹を立てて実家にでも戻ったかと、モーリッツに聞いても来ていない。何事となって国中を探したが見つからず。

「どこに行ったんだ!トリムはなぜいないんだ!」

 トリムはその頃精霊の城にいた。ハイネにこれはリシャールだから止めてって、頑張ってくれていた。ふたりの世界になってる横で叫んでくれていたのは聞こえてた。だけど、王たちからみればこわっぱが何か言ってるくらいで、ハイネもディオの気持ちを知り止まらなかった。そこから僕の記憶は赤ちゃん産むまでない。
 お昼寝から覚めて、ロベールの方の話をきちんと聞いたんだ。いなくなった翌日……

「ロベール様、リシャールが失踪とはどういうですか!」

 父上は慌てて東の城に駆けつけた。ロベールは苦しそうに、

「寝ている私室からリシャールは……忽然と消えました」
「な、なんだそれは」

 ロベールはこれは東では手に負えんと、西に応援を頼んだことで父上の耳に入り、駆けつけたそうだ。

「リシャールの眷属のトリムが消えました。たぶん精霊絡みのはずです。リシャールは精霊王に会っていましたから」
「ああ、それは聞いてるが」

 俺とリシャールしか知らないことがありました。精霊王とハイネは夫婦でした。二人で精霊王なのですと。

「ロベール様、それはどういう?」
「俺が甘かったんです。離れ離れになっていた夫婦が千年ぶりに会ったのですよ。どうなるか予想するべきでした」

 父上は察したのか、体の力が抜け床に座り込んだ。あの時聞いていたし、リシャールから詳細な手紙も受け取っていた。俺も迂闊だったとロベールに頭を下げた。

「我が家の事情にあなたを巻き込んだ。やはり、我が家との縁談はよくなかったのだ」
「いいえ。俺は結婚に後悔などありません」

 きっとリシャールは帰ってくる。俺はそう感じてますと、父上に言い切ったそうだ。それから半年近く各地の衛兵、近衛兵など兵士に森での訓練ついでに探させたが足取りはは掴めず、その後は父上ですら次の妻をと言い出した。

「ロベール様、王に妻がいないなどと通らないのですよ。嫌なら愛人を仮にでも作って」
「ふざけるな!リシャールは帰ってくる!」

 ロベールは頻繁に言われるようになると、西の城に行かなくなった。こちらも細々と僕を探していたが見つからなかった。

「精霊の城は強い結界があるんだ。人には見つけられない」

 ロベールの話しを聞いている時不意に聞こえた。でも、ハイネはそれっきり話さない。ロベールにそのことを言うと、やはりなって。
 ロベールは東の城に引きこもるようになり、いつ僕が帰ってもいいように視察は全部側近にやらせた。どうにもならないもの以外城から出なかった。

「お前が帰った時、俺はその場にいたかったんだ」
「うん」

 僕がいなくなり城は静かになった。僕うるさかったからね。それにトリムやミュイが城の人と遊んでたからいつも賑やかでね。それがなくなり、子どもたちも母がいなくなって不安定になった。王都の学園に行っていたリーンハルトも休学して戻っていた。が、勉強の遅れはまずいとひと月もせず追い返して、王族の子は強くあれと、不安そうな彼を励まして送り出した。

「毎日、今日か明日かと待っていたよ。どこかに現れるかもと、お前が遊んでいた池や森にも出かけたが、精霊は俺の顔を見るとみんな逃げた。確信したよ、お前は精霊に拐われたって」
「うん」

 よく見れば、ロベールには深い目の下のクマがあるし、少しやつれて痩せてもいる。

「ごめんなさい。心配掛けたね」
「うん」

 僕はロベールの頬を撫でる。こんなになるまで信じてくれたんだね。ロベールは僕の手に自分の手を重ねて目を閉じた。

「この手は俺のもの」
「うん」

 みんなが諦めてしまったこの半年は特に辛かった。誰もリシャールは生きてはいないと言う。きっと精霊に食われたんだとか、森にばかり行ってるから大型の魔獣に食われたんだとかね。正式には公開してなかったから、耳にした者は言いたい放題だった。新しいお嫁さんは侯爵家からか?丁度いい年頃の姫がいたはずだとかね。俺の心を抉る話しをしていた。

「仕方ないがな。ここにいる臣下はほとんど叔父上の臣下だ。俺個人が連れてきたり雇った臣下は数えるほどしかいない」
「うん」

 そうなんだ。新たな領地開発の責任者はロベールだから、この地をよく知っている者たちでないと仕事にならないんだ。叔父様のふたりの公爵がかなり手伝ってくれて、なんとかなってるらしい。

「まあ、そのうち臣下は代替わりすれば変わるだろうが、まだ先だな」

 年配の臣下は確かに定年して代わってるけど、その子どもたちだからまあね。忠誠心は王にあり、ロベール個人ではない。少しずつ認められてはいるけど、まだまだなんだ。

「そんな日々を耐えていたら、寝れなくなってな」

 ロベールは完全に体調を崩していた。だけど誰にも言わず、自分で眠りの魔法を掛けて寝ていた。それでも夜中何度も目が覚めてしまう。そのうち深酒をするようになり、さらに眠りは浅くなる。暇を見つけては森に探しに行き、僕がいないと池で泣いていたそうだ。

「王が人前で泣けないだろ?」
「ごめんなさい」

 でもそんな日々は終わった。帰ってきたからなって笑ってくれた。

「さっきの昼寝、久しぶりに魔法無しで寝れたよ。お前の匂いでな」
「うん」

 そうだ。この部屋は僕がいない一年を教えてくれる。僕の記憶とは物の配置が違い、新たな何かも増えているし、減っている。人にとっての一年は長いんだよ。精霊にはこの一年間の時の大切さが分からない。

「ごめんね。気持ちが人里に降りる前になってさ。数日の気分だったよ」

 こういったところが精霊との感覚の違い。死のない生き物との違いなんだ。

「死がないとは言うけど、消滅すると二百年近く復活出来ないし、記憶も必ずある訳じゃないんだ。別人になるんだよ」

 時々解説してくれるけど、人を体験したハイネですらこんなだ。根本的に分かり合えることはないのだろう。その時その時の出会いと協力で関わり、それだけの方がいいと感じた。

「そこは否定しないよ。時のない精霊と、とても短い人では求めるものも違うから、感覚の違いは埋められない」

 数十年人になっても、それでもなりきれはしないんだよって。そんな心の声のような感じでハイネと会話しながら、ロベールの苦悩を聞いていた。

「もうな、半年過ぎてからは文章読んでも頭はいらないんだ。目が滑る。何度も何度も読んで……やめよう。俺の苦労なんてたかが知れてる」
「そんなことない!」

 もう拐われることはないだろうが、今度はどこからこの話が漏れるかは分からない。それにお前は病弱なイメージもついた。人の口には戸は建てられないから心してくれって。それは覚悟してる。しなくちゃならない。

「そんなことはどうでもいい。僕がロベールを傷つけたことが辛いんだ」
「気にするな。こんなことがあれば実家に逃げ帰ってもおかしくないのに、俺の元に帰って来た。叱られたりするかもって思っただろうに、それでも帰って来たからいいんだ」
「嘘つきたくなかった。あなたには誠実でいたかったから」

 ああ、その気持ちがあればどうでもいい。お前が産んだ子はハイネとデュオの子だ。俺たちは感知しないし、精霊として生まれたなら人ではない。お前の子じゃないんだよとスッと唇が触れた。帰って来て初めて……んっ

「リシャール……ふふっ馴染んだ唇だ」
「うん」

 落ち着いたら抱かせてねって頭を抱えるように抱き締める。うんと僕は答えた。

「眠いんだ。一緒に寝てくれ」
「うん」

 帰ったその日は、お昼から今までを話しただけで終わった。ふたりの側仕えたちは一切口を挟まず、お茶や食事の世話のみで傍にいてくれたんだ。感謝しかない。

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