朱の緊縛

女装きつね

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四面の翁

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「じゃあ、おやすみなさい」

「うん、貴方も帰り道に気をつけてね」

 今日に特別何があった訳でも無い。むしろ随分と楽しい一日だったけど、私達がそれを付け足す事を躊躇ちゅうちょするのは知る者同士の変に律儀な敬愛なのだろう。

 互いの背中に紫煙しえんが遠く絡まった頃 『ばかだな、幽霊が “ またね ” なんて言わないだろ』と聞こえた気がしてかかとをコツンと悪戯に響かせた。

 楽しい一日をありがとう。また無事に逢える約束は出来ないんだ。明日生きているのは当たり前じゃないのだから。


――平成十七年七月――

 目眩めまいを誘う程の色彩。ロータス城塞じょうさい、平田さん達の背押しで一足先に脚を踏み入れた。一体どうゆうつもりなのだろうか、敵どころか人の気配が無い。疑心のまま奥へと引き込まれて行った。

 鏡子さんの話では本丸だと思っていた敵は義平では無いらしい。過去の記憶が蘇ったとしても今だ全てないと言う事なのだろう。しかし誰であれピコさんを誘拐した奴はこの奥に鎮座ちんざしている。過去も世界も関係ない、友人を返してもらう、それだけだ。

 十五分位を進んだだろうか、目前に現れた高く天井までそびえる程の黒緑こくりょくの扉。その観音かんのん開きに飾るカオダボのシンボルはあざけるように眼を見開いている。まるで案内されたよう、私達等足元にも及ばないと言われているようだ。

 押し退けるよう奴代ちゃんが扉に手をかける。いつもなら嬉々と我先に先陣を切る鏡子さんの横顔は随分と曇りがあった。対する相手は余程なのだろうか。

 片方の壁を剥がす様に大きく観音を開く正面にはまるで神楽かぐらの舞台のよう篝火かがりびが昇り三体のころもがゆるりと舞っている。猿の様な初老の男性、角を見せる白い鬼神、髭を蓄えたおきな。面を被り踊る姿はしろを探す魍魎もうりょう、まるで百鬼夜行ひゃっきやこうだ。


――「敦盛あつもりかよ、随分とふざけやがって……義平もな、利用されたんだよ金比羅こんぴら、元々人ならざぬ物ノ怪モノノケ “ 翁” にな。策はある、安心して後方に下がっていろ。ピコさんを救出するのが優の役目だ」

 ほだす鏡子さんの顔は知らぬ程愛慕あいぼに充ちていた。ゆっくりと開いたまぶたにふわり香気こうきを残した鏡子さんは奴代ちゃんを連れ背を向けると篝火揺らぐ舞台へと進んでいく……嫌な予感とかじゃないっ、二人を止めないと二度とっ、

 幾多もの風鈴が奏でているような鈴音が鏡子さん達が舞台に近付く程に音を消してゆく……二人のなび漆黒しっこくが毛先から逆立っていくのと比例するようだ。

 舞いの音が完全に消えた瞬間、鏡子さんは驚く程の飛脚から太刀を奮った。その速さや動きは全く私の想像を凌駕りょうがしている。まるで温存してたモノを躊躇ちゅうちょ無く使い切るかのようだ。

 奴代ちゃんの氷結が相手の動きを止め、鏡子さんの太刀が斬るのだから即座に終るはずだ……相手が生きとし人間なのならば。

 三体の怪は二人の攻撃に多少はひるむのだけど、鏡子さんの太刀はまるで水を斬っているよう。二人の体力が次第尽き始めているのは端目にも分かる程だ。

 その状況に思わず飛び出し自分の怪異を一体の怪に向けた。左腕を挿ざしそいつの首を掴み縛る、父からもらった唯一の武器だ。

 しかし足らないのだろう、締め上げる指は押し返され幻影を放つ腕からはウロコのように皮膚が崩れ始める。鼻先にまで鬼神の面が寄った時、突如ヤツの右肩が中に舞った。

「遅れたな、傾国けいこくなおひいさん」

 十五年は経っただろう。だけど蜜飴みつあめのような甘い香りはあっさりと記憶を戻した。長身にさらりと流れる漆黒。知っている、美穂さん……私の母だ。

「待たせたっ、烏帽子えぼし丹生都比売にうつひめっ!」

「っ、常磐ときわっ! 終わらせようぞっ」

 窮地、敗色濃い状態は流暢りゅうちょうに再会を喜ぶ時間を持たず、直ぐさま母は振り返り二人の元に駆けた……しかし援軍と思いきや揃い募った三人はまるで理解不能な行動を取ったのだ。円陣の様に向かい合うと躊躇無く太刀で互いを貫いた。揺らぐ漆黒が三つ、ぱらりと重なり崩れ堕ちる。

「 借りるぞ、優っ」

「 少し我慢してねパパ」

「 私のおひいさん」


――一瞬だった。身体を離れ思念体となった三人が次々と私の中に入ってきた。薄れ酔ったような意識はまるで宇宙を外から眺めているようだ……そして膨張しきった世界がポツリと消滅した時、物ノ怪、面の三体はパラパラパラとすすとなり熱風に砕けその姿を消していた。


 『死は悲しいものじゃない』何度も鏡子さんから聞かされた言葉だ。わかっている、わかっていますよ……でもっ……でも


「 ……うっ……うあぁぁああっあぁ」
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