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過去編〜イリスside〜

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 季節は巡って再び、梅雨を迎えようとしていた。イリスが夫ジョナサンと破局したのは一年前の梅雨の時期、既にあれから一年が経つ。急転したイリスの人生は、ようやく落ち着きを見せようとしている。

 一つは、本来の生家であるエシャール伯爵家に戸籍上も戻り、イリス・エシャールとなったことだ。
 西の都にてせっかく借りた一人暮らし用の賃貸住宅だったが、実母マカダムたっての願いでイリスはエシャール邸で暮らすことになった。錬金術師の専門学校には通えない距離ではなく、車による送迎が出来たため、むしろ安全に通いやすくなったと言える。

「イリス、今日は午前中は専門学校で講義、夕方はギルドでポーションの納品でしょう。大変じゃない。無理しないでね」
「大丈夫よ、お母様。専門学校の実習で作ったポーションを学生の試作品としてギルドで販売するだけだから」

 忙しい生活を送る娘を案じて、マカダムがあれこれ世話を焼くがイリスはそれが嬉しくもむず痒い。本来は学生をする年頃ではなかったが、青春時代と家族との交流をここで取り戻すかのような流れだ。
 見習いとして働くギルドとの距離もそれなりで、最近ではイリスが調合したポーションをギルドショップで販売してもらえるようになった。僅かながら錬金術師としての収入を得られるようになり、将来の展望が拓けている。

「そうなの。なら、いいんだけど。結婚を控えているのだから、体調管理は万全にね。いってらっしゃい」

 そしてもう一つの大きな転機は、ラッセル公爵と正式に婚姻の約束を交わしたことだ。異母妹ハンナに前夫のジョナサンを奪われた時は、生きているイリスに対してこじつけのようなソロレート婚を前に出していたが。
 今回のラッセル公爵との婚約は正真正銘、ソロレート婚と呼ばれる状況だった。亡き姉のセリカの夫であるラッセル公爵に嫁ぐこの状況こそが、きっとイリスが予言として受けたソロレート婚に違いないと皆納得していた。

 噴水が輝く庭を通り抜けて車が待つエシャール邸正面入り口まで歩くと、珍しく特別郵便を持った配達員に声を掛けられる。

「あの……もしかして、イリスさんですか。実は、ハンナ・メサイアさんから大切なお手紙を預かっておりまして」
「ハンナから……何かしら」

 サインをして手紙を受け取り、そのままの足で車に乗り込む。異母妹ハンナからの手紙の内容は、子供が産まれたという報告とイリスの結婚を祝うメッセージだった。

(ハンナ……本当にジョナサンの子を産んだのね。でも、結局私はエシャール家に戻る運命だったし、神のご意思を汲んで生きていくだけだわ)

 普段は干渉して来ない車の運転手が珍しく、イリス宛ての手紙について質問を問う。

「お手紙は、養親先の妹さんだったんですか」
「ええ、子供が産まれたという報告を今更。きっと私の状況が落ち着くまで報告しづらかったんでしょうね」
「一応お返事を書いたり、何か贈り物をする予定は?」

 喧嘩別れとなったイリスと異母妹ハンナが、直接会って口を聞く機会は二度と訪れないだろう。何より、イリスは養子だったことすら知らされず、ハンナにジョナサンを誘うようにけしかけたのは養父だったというのだから。
 もうイリスはあの家に戻ることは永遠にないし、ハンナも手紙を送るのが精一杯で直接会える状況ではなくなったことくらい理解しているはずだ。だが、礼儀として返事を出したり贈り物くらいはするべきだろうか……とふと考える。

「私自身も亡き姉セリカの夫であったラッセルさんに嫁ぐわけだから、異母妹を祝わないのも良くないんでしょうね。産まれて来た子供には罪はない訳だし。けど、贈り物をどうして良いのか思い浮かばないの」
「では、錬金術で何か作られてみては? 一人前になった証拠にもなりますし、養親もきっと安心されますよ」
「いいアイデアね、早速今日学校で何か良い錬金レシピがないか調べておくわ。アドバイス、ありがとう!」

 何も出来なかった自分が、少しずつ成長していく姿を養親や異母妹に見せるのも悪くないだろう。と、イリスは心のわだかまりに折り合いをつけて、本当の意味で大人になるための一歩を踏み出した。

 予定通り、学校でギルド納品用ポーションと異母妹への贈り物を錬金術で作ると、その足で近隣のギルドへと移動。実母マカダムが心配するように、なかなかハードなスケジュールだ。

「やあ、イリス。キミの作ったポーション、廉価なのによく効くと評判が良いよ。上手くいけば、将来は錬金ショップのオーナーかな」

 早速ギルドで納品をして、昨日の売り上げを確認して……夕刻分の陳列作業が済んだところで婚約者のラッセルが現れた。

「まぁ! 随分と気が早いのね。けど、将来的には自分の錬金ショップが持てるくらい頑張るわ」
「うん、元気そうで安心した。今日に仕事が終わったら、ちょっといいかい。渡したいものがあるんだ」
「えっ……渡したいもの? 分かったわ」

 ギルドは基本、所属する冒険者のために二十四時間営業である。もちろん、クエストに欠かせないアイテムを取り扱う錬金コーナーも夜間営業をしている。
 夜の分の陳列を確認して今日の当番を終えると、ギルド内のカフェでラッセルと落ち合う。いつの間にか定番となった二人のデートコースだが、今日はいつも以上に緊張をしてしまう。

「お待たせ、ラッセルさん。あの、渡したいものって」
「イリス……遅くなってしまったが、この指輪を。虹色に輝くアレキサンドライトの婚約指輪、いろいろとどの宝石にしようかと迷ったんだが、虹の女神イリスの名を持つキミにはこの宝石が一番似合うと思ったんだ。受け取ってくれるかい」

 赤い小箱には、不思議な虹色に輝く天然の宝石がきらりと輝いていた。イリスの華奢な指にピッタリと収まった指輪は、まるで最初からイリスのために存在していたかのようだ。

「素敵……私、育ての親に虹の女神様と同じイリスなんて綺麗な名前を貰ったのに、全然そんな人生を歩めなかったけど。今日からは、イリスの名にふさわしい生き方が出来そうだわ」
「そうだね、僕もキミに相応しい男になれるように努力するよ」

 ようやく手に入れた幸福に、何処かで赦せていなかった異母妹と前夫のことをようやく忘れられる気がして、その目からは涙が溢れていた。
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