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第5章
第08話 彼が拭う乙女の涙
しおりを挟む最初はどうなることかと不安だったデイヴィッド先生の来訪も、ごく普通に橋の修繕スケジュールを組んで夕刻頃に解散となった。パラレルワールドを往き来出来る人が身近にいたことが判明し、リーアさんはホッとしたのか安堵の表情だ。
綺麗な夕焼けを背に帰路につくデイヴィッド先生を聖堂正門まで見送った後、リーアさんも帰るのかと思いきや何か用件がある様子。まず先にクルルに書類を手渡しして簡単な説明、それから私にもお話があるみたい。
「ではクルーゼ、こちらの世界での教会庁には既に話をつけてありますので、安心して仕事に励んで下さい。入会書は書類の最後のページになります。それと……サナ、ちょっとお話宜しいですか? 長くなりそうなので、出来ればこれから談話室で」
「あっはい。クルル、用事は就寝前でも平気?」
「ええ、リーアさんの方を優先された方がいいですよ。僕は晩御飯の準備をしておきますから」
クルルはデイヴィッド先生と接触してから、何だか会話少なめだしぎこちない雰囲気。受け取った書類を無言でカバンにしまい、見ようによっては落ち込んでるようにも見える。リーアさんから貰った書類はこちらの世界の教会庁の入会案内で、エクソシスト業務がしやすいように計らってもらったはず。
本来なら喜びそうな内容なのに、表情がイマイチ優れないのはやはりデイヴィッド先生とのミーティングからだ。
「いつもは二人で晩御飯を作るのに、今日はクルルに任せちゃってごめんね。埋め合わせに明日は私が作るから」
「平気ですよ、お構いなく……。それでは」
何かクルルのモチベーションを削ぐようなことをデイヴィッド先生は仰っていたっけ……と対話を懸命に思い出す。
(うーん。ミーティング中にクルルとデイヴィッド先生は一度も会話をしていないのに、そこまで状況が変わることもないはず。それとも、パラレルワールドを行き来出来る人物の登場で、今までの疲れが出たのかも)
自信ありげに聖堂を後にしたデイヴィッド先生とは対照的に、寂しげな背中で自室へと戻るクルル。外の人達と親しくなるにつれて、だんだんクルルとの距離が生まれつつあることを感じ始めていた。
(でも、狭い聖堂で二人っきりで身を寄せ合っても、いずれ限界が来るし仕方がないよね)
そう自分に言い聞かせてリーアさんの待つ談話室へと向かう私は、既に【鏡の中の世界】が【自分の中の本物の世界】になってきていることに気付かなかった。
* * *
日が降りてきた夕方の談話室は早めにカーテンを閉めたせいか、外の目から守られて内密の話し合いにぴったりだ。
「普段ならメインディッシュ込みのハイティーの時間ですが、クルーゼとの食事の時間を妨げてはいけませんし。胃に負担がかからない、軽いものだけを用意しました。スコーンのブルーベリージャムは、ゼルドガイア所有庭園の手作りですよ」
「ふふっ。これから書類をたくさん読むのなら、目に優しいブルーベリーはベストチョイスだわ」
晩御飯を作って待っているというクルルに配慮してか、リーアさんが軽食になるように紅茶とスコーンのみを用意してくれた。リーアさんの気遣いは王族らしからぬ細かさだが、よく考えたら彼は大人になってから王族入りしたのだということに気づく。
「書類はここからが本番ですからね……さて、こちらの世界での知り合いが確認出来たことで活動しやすくなりましたし。クルーゼには引き続きエクソシストとしての業務を、サナには聖堂関係のギルドに仮所属をしてもらいましょう」
「ギルドに仮所属? こちら側でも剣士として活動出来るようになるということかしら。まだ正式な乙女剣士になれていないのに、違う世界で試験なんて不安だわ」
何度もタイムリープしているせいで、ギルドには一旦所属しているつもりになっているけど。実は今回の時間軸では、正式にギルドに所属出来ないでいる。
「大丈夫。仮所属者のジョブは【見習い冒険者】ですから、推薦状だけあれば所属可能です。まぁ推薦と言ってもギルドマスターは私自身なので」
「えぇっギルドマスター? やっぱりリーアさんって、エリートなのね。何から何までお世話になりっぱなしで、お礼を何度しても足りないくらいだわ。いずれ御恩を返せればいいんだけど」
「はははっ。ではサナにはギルドクエストで、恩をきっちり返してもらいましょう。正式所属になれば、高ランクのクエストにも挑戦出来ますし。私個人の意見としては、こちら側の世界で定住するルートをオススメします」
まるで仮所属から正式所属への移行を後押ししているような感じに違和感を覚えていると、こちら側の世界に定住することを勧めてきた。昨日は検討を促すのみだったのに、定住ルートを強く勧めてくるとは……意外である。
「えっ……昨日も仰っていたけど、定住って」
「はい。デイヴィッド先生から大まかな話は聞きました。あちら側の世界は繰り返されるタイムリープの輪から抜けることも出来ず、最悪の場合は公爵令嬢は無実にも関わらず断罪されると聞きました」
伏し目がちに断罪について語るリーアさんからは、私が住む世界について嫌悪感を抱いているように見えた。もしかすると、もう少し平和な世界だと思い違いしていたのかも。クルルは私に遠慮して、断罪される運命については語ろうとしなかったが。
第三者的立場のデイヴィッド先生ならそう言ったデリケートな話題も、し易いのではないだろうか。
「リーアさん……じゃあ私がいずれ断罪されると知ってしまったの。ごめんなさい、隠していて……」
これまで私は幾度となく繰り返されるタイムリープで断罪されてきたことを、同情的な目で見られたことがあまりなかった。仮にも公爵令嬢という立場上、死ぬ運命を周囲の人達も認めるわけにはいかなかったのだろう。
「我々の世界ではブランローズ公爵家かなり昔にお家が断絶していますが、何処かでパラレルワールド同士が似た世界線となるように調整されるのでしょう」
「調整、そうだったの。両方のパラレルワールドのバランスを取るために、私は消されるんだわ」
気がつけば私の瞳からは、ポロポロと涙が零れ落ちていた。哀しいという気持ちをずっと隠していたから、それがリーアさんに同情されて抑えられなくなったのだ。
「サナ、泣かないで。いずれサナがあちら側で消えてしまう設定なら、今回を機に我々の世界に定住すればいい。ブランローズ公爵家のご令嬢としてではなく、誰でもない【神に選ばれた乙女剣士】として」
ようやく流れた乙女の涙を、リーアさんの長い指がそっと拭う。優しく微笑む彼は確かに、この世界の王子様だと私の心が早鐘を打った。
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