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第2章

背徳の賢者ヒストリア目線:01

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 腹違いの弟であるアルサルが、反新国家樹立組織に討たれたと連絡が入った。偶然が重なり、一人の女性を奪い合うような形となった彼と僕の関係は、ひと言では表せないほど複雑で。上辺は仲の良い兄弟を演じながらも、本音ではお互いギクシャクとしていた。
 そんな関係だったから、そのアルサルが倒れたとなれば僕に疑いの目が行くと思ったのだが。出張中のアルサルが倒れた隣国では、彼を襲撃した集団はそれなりに有名な暗殺団体らしく、僕が疑われる余地すらなかった。


「ヒストリア王子。実は、何度蘇生呪文を試みても、アルサル様の魂を呼び起こすことは出来ませんでした。魔法の香油を用いて、アルサル様は仮死状態となっています。最善は尽くしたのですが」
「そうか。まだ、助かる見込みがあるはずなのに、治癒魔法が効かないとなると、魂が抜き取られたか? 最後まで手を講じなくてはいけないし、表向きは隣国で病気になり倒れて、入院中ということにしておこう。ご苦労だったね、下がっていいよ」
「はっ! そのような内容で、関係者には通達しておきます!」

 一応、僕はアルサルの兄であると同時に、彼が所属するギルドのマスターでもある。今回の一件は、兄というより所属ギルドのマスターとして、関わることになった。
 我がゼルドガイアと隣国の王家の血を引くアルサルが亡くなった情報は、極秘扱いとなり世間への公表はしばらく避けなくてはならない。東の都に伝わる秘術を使えば、魂を呼んで肉体が蘇る可能性があったからだ。
 ――ほぼ不可能に近い夢物語のような仮説だが、魂を天国へと送り届けることは出来るはずだ。

「紗奈子は、哀しむだろうな。一緒に、地球から転生してきたアルサルが倒れて。せっかくタイムリープの呪縛から逃れたのに、結局こういう運命を辿るのか……アルサル」


 感傷に浸る間も無く、アルサルの棺を転移魔法で、彼の拠点であるブランローズ庭園へと送る。アルサルと婚約中だった紗奈子は、彼の死を聞いてショックのあまり倒れてしまった。

 愛しい彼女の軽い身体を抱き上げて、ベッドルームまで運び休ませてやる。

 仕方なく、その日はブランローズ邸の使用人に紗奈子の面倒を任せて、一旦ギルドへと帰還。未練がましい僕の腕には、紗奈子を抱き上げた時の感触がまだ残っていた。

(あぁ紗奈子、気を失うほどアルサルのことが大事だったのか? アルサルは、かつて君に片思いしながらも、他の女を大勢抱いていた薄情者なのに)


 * * *


 その翌日、回復した紗奈子を伴い、彷徨えるアルサルの魂を守るための会議が香久夜御殿で行われた。何の因果か、紗奈子と僕はアルサルの魂を救うという名目で、数ヶ月の間一緒に旅することになった。守護天使様が同行するものの傍目から見れば、元婚約者の二人がよりを戻すために旅行するよう見えるだろう。

「旅の間は、いろいろとお世話になるけど。よろしくね、ヒストリア王子」
「ああ、お互い助け合っていこう。けど、辛かったら戦わずに僕を頼っていいからね。紗奈子」
「うん……ありがとう。私、私……頑張るから」

 東の都への旅が決まった当日、紗奈子はまだ心が傷ついている様子だったが、涙目になりながらも旅への決意を固めていた。

 紗奈子・ガーネット・ブランローズ嬢は、かつては僕の婚約者であった人だ。
 彼女は女神像に変えられた本来のガーネット嬢に成り代わる形で、ブランローズ公爵の養子となった。体裁上は、本来のガーネットとは別人ということもあり、一旦僕との婚約は解消となったのだが。
 政略が絡んだ婚約解消なんて、僕にとってはどうでもいい。本当は、涙を零す彼女を抱き寄せて、口付けて自分のものにしてしまいたかった。

(……駄目だ。僕は、紗奈子のことが好きだ! 彼女の心には、未だアルサルの影があるというのに。僕は、アルサルが消えた隙間を埋める役割でもいいから、彼女を欲してしまう)

 溜息をついて与えられた客間へと戻り、長旅の支度を始める。すると、会議の場では干渉してこなかったゼルドガイア王国の幹部が、国王からの伝言を伝えに訪れた。

「ヒストリア王子。国王様が仰るには、新国家の王となるはずだったアルサル様が倒れたのは、とても哀しいこと。ですが、これも神の思し召しではないかと。アルサル様の未練を断ち切るためにも……やはり紗奈子嬢とヒストリア様がご結婚なさるのが、一番なのでは……。といったことを」

 僕とアルサルの父、つまりゼルドガイア国王の夢は、自国と隣国の架け橋となる新国家を樹立することだった。その新国王には、両方の王家の血を引くアルサルを……と語っていて、ブランローズ公爵の娘との婚約は足掛かりとなるものだ。
 公爵といえば、かつてゼルドガイアがまだ大きくなる以前であれば、大公として王に近しいポジション。最初は、第三王子である僕がブランローズ家と婚約の話があったのも、王家を離れてからも安定した地位を得るためである。即ち、政略結婚というものが、僕達の縁を繋いでいた。

 しかしながら、若い男女がお見合いとはいえ婚約者という形で引き合わさせられれば、特別に意識するのは当然だ。結果として、僕もアルサルも……そして紗奈子も、政略結婚の枠を超えた男女の歪な愛憎劇を演じることになったが。
 その因果も、このような形で幕引きになるとは、人生とは呆気ないものだ。

「父上が、僕と紗奈子の結婚を? アルサルの魂が、この世に未練を残さない最善の策ということか」
「ええ。アルサル様復活が絶望的である以上は、新国家樹立は遠ざかります。けれど、アルサル様本人の魂は、悪魔に魅入られることなく、無事に過ごせるやも知れません」

 アルサルは、おそらく再び生きた人間として蘇ることは出来ないだろう。だが、せめて悪魔から彼の魂を守り、きちんとした形で成仏させてあげたいと、兄としては願っていた。おそらく、父も同じ気持ちなのだろう。
 この世の未練となりうる紗奈子への想いを、兄である僕が成就することで、アルサルの魂は迷うことなく天に行ける。

「僕としては仕方がないとはいえ、紗奈子を腹違いの弟に奪われた立場だし。三角関係の噂もいろいろ面倒だし、元の鞘におさまって、紗奈子と結婚出来ればこの上ないよ。紗奈子の心が、次第にアルサルを諦めてくれたらの話だけどね」
「心の傷は、時間が解決してくれるとされています。紗奈子嬢は、もともとヒストリア王子のことが好きだったはずですし。その流れが平和的解決かと」

 転生者である紗奈子が、万が一の確率で地球に戻る可能性も否定出来ないが。紗奈子と同じ事故で転生したアルサルの魂が、行方知れずのところを見ると、地球へと戻れる可能性はもはや潰えたと見えていいだろう。
 地球の肉体が健在であれば、微かとはいえ魂の存在を魔法で感知できるはずだから。

(これ以上、不幸を重ねないためには……。僕と紗奈子が夫婦になって子供を作り、幸せになるのが一番良いのかも知れない。けど、きっと時間がかかるだろうな)


 * * *


 紗奈子がアルサルへの想いを断ち切るきっかけは、割とすぐに意外な形でやってきた。東の都へと渡る船に乗るため、普段は利用しない一般旅行者向けの『船着場行きのバス』に乗り込んだ時のこと。
 国王の隠し子であるアルサルが倒れたことは、すでに国中で噂になっていて、アルサルの過去の女遊びについても話題となっていた。

 僕と紗奈子が静かに乗り込んだバスの中で、チラホラ聞こえてくるアルサルの悪い噂が紗奈子の心を抉る。

『聞くところによると、ブランローズ邸のメイド達数人と、アルサルさんは肉体関係にあるらしい』
『他の貴族と一緒に、娼館通いしていたこともあったとか』
『今思えば、アルサルさんとブランローズ公爵の養女の婚約は白紙となってよかっただろう。正式なものでは、なかったみたいだし』

 かなりのショックを受けたのか、紗奈子は酷く落ち込んだ様子で涙を流し始めた。可哀想な紗奈子を慰めるように、僕は自分の側に抱き寄せて『大丈夫』と優しく囁いてやる。お互いの頬をくっつけて、頭を撫でて彼女の傷を癒す。

 まさか、こんな形で紗奈子がアルサルの過去について、知ることになるとは。僕の口から、アルサルの女遊びについて告げたことは、一度もなかったが。心の奥底では、納得出来なかった部分でもある。

 本当は、何度だってアルサルに言いたかった。僕の心はいつだって、『他の女を抱けるのなら、紗奈子は僕に譲ってくれ』という気持ちで一杯だった。そして紗奈子に対しても、『あんな女好きは諦めて、僕と一緒になろう』と伝えたかった。

 バスを降りて、船着場へと急ぐ。すでに船が到着していたため、紗奈子の手を繋ぎ離れないように配慮しながら。湖を渡る船は、これを逃すと今日は来ない。

 そして、混雑する船着場でありえないはずの人物の姿をふと見かける。緩やかにウェーブがかった亜麻色の髪、くっきりとした栗色の目元、スタイルの良い一際目立つ美青年。

(あれは、見間違いでなければまさか……アルサル?)

 いや、アルサルは現在仮死状態で、魂は行方不明のはずだ。僕は霊能力者ではないし、死人の魂を目撃したことは一度だってない。よく目を凝らすと、見覚えのない長身の男が彼の傍にいて、同行者のようだった。

(そうだよな、アルサルがこんなところにいるはずないし。きっと僕は疲れているんだ……今日は、部屋で早く休もう)

「ヒス、サナ、早くしないと船が出ちゃいますよ!」
「ああ、今行く! サナも早く」
「うん……」

 ぼうっとしていた僕を正気に戻すかのように、守護天使様から声をかけられる。けれど、不安な気持ちが拭えないのも事実で、アルサルに連れて行かれないように紗奈子の手をしっかりと握り船の客室へと急いだ。
 僕と紗奈子が泊まる客室には、思わず魔が差してしまいそうなダブルベッドがひとつ。本能的に、喉をゴクリとならす。

(今夜、紗奈子を抱いてしまうのはさすがに良くない。せめて、アルサルが倒れた日から数日はあけないと)

 意気地の無い僕には、今夜中に彼女の純潔を奪うような真似は、出来ないのだろう。けれど、何度も一緒に夜を共にすれば……男の欲望を抑えられないかも知れない。罪悪感と背徳の感情が、恋心に飲まれて僕の倫理観を崩落させていくようだ。

 ――ふと気がつくと、出航を知らせる汽笛の音が聞こえた。その頃、腹違いの弟アルサルの魂が、悪魔と契約を結んでいたとは夢にも思わなかった。
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