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第2章

36話 儚い楽園と呼ばれても

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 何食わぬ顔で訪問して来た相手は、長い間行方不明になっていたブーケ姫の婚約者だった。ブーケ姫の愛犬であるパピリンを連れ去った張本人である可能性も疑われているが真実は分からない。ただ、オレの嗅覚が正しければ彼からは、魔族ではなく人間と近しいにおいが漂っている。
 そう……ちょうど連れ去り犯達も、そのようなにおいを漂わせていたじゃないか。万が一、犯人本人じゃないとしてもその仲間の可能性が高いだろう。

 普段なら来客相手に脅かすような吠え方はしないオレだが、パピリン連れ去りの関係者だと思うだけで本能的に威嚇してしまう。

「うーきゃんっきゃんっグルルきゃんっ(来るな! ブーケに近づくなっ)」

 珍しくけたたましい声でワンキャンと吠え始めたオレにビックリしたのか、ブーケ姫は慌ててオレを宥め始める。

「あら、ハチどうしたの? 珍しいわね。こんなに吠えて……知らない人が来たから怖いのね。大丈夫よ」

 普段とあからさまに様子が違うオレを優しく撫でるブーケ姫は、オレに対して怒るわけでもなくいつも通りの接し方を貫く。本来ならば、飼い犬が突然来客相手に吠え始めたらお叱りの1つでもありそうだが、それすらない。案外、ブーケ姫本人も突然帰ってきた婚約者に対して警戒しているのかも知れないが、こういう時に彼女は本音を表に出さないタイプらしい。
 飄々とした態度のブーケ姫は、やはり魔王城を仕切る一族の血が流れているのだろう。いざという時は、ポーカーフェースというものを取るタイプの女性のようだ。今のところそういう態度なだけで、無理しているのかも知れないけれど。

「おやおや、すっかり嫌われてしまったようだ。嫌、けれど番犬としてはその方が正しいのか……。今の僕はもう、魔王城直属の騎士ではない。人間や精霊達が設立した『中立国』所属の騎士なのだから……」

 確か、聖なる獣テチチを所有する地域こそが神に選ばれていると主張し始めた国が中立国だ。立場上は中立ということになっているが、内部に魔族のことを快く思っていない者が多いとの評判だった。まさか、魔族の騎士であったブーケ姫の婚約者が、その国である程度のポジションを確立するとは……。

「中立国所属……行方不明になっている期間が長いし、他所の所属になっている方が自然なのでしょうけれど。わざわざここを訪問したということは、中立国の使いとして現れたと解釈しても良いのよね」
「ああ、それで構わない。だが、今回の用事は、あなたにだけ内密でお話ししたいことなんだ。少しお時間を頂けるかなブーケ姫」

 不敵に笑う彼は、敵とも味方ともつかない態度で、メイドに促されるままにリビングのソファにどっしりと腰掛けた。騎士とはいえ今回は平常の装いなのか装備は黒いマントと銀の胸当て、それから剣というシンプルな装備だ。戦いを仕向けて来たようにも見えないし、内密の話を伝えに来ただけなのかも知れないが、警戒心が高まる。

 ――静かなるお茶会が幕を開けた。


 * * *


 相手が他国に寝返った元同族であるとしても、形式上は来客としてもてなす主義なのか、カモミールティーとハチミツ、クッキーがテーブルに用意される。
 メイドのリオが、淡々と今回のティータイムの品について説明し始める。

「このカモミールティーは、我が魔王城内では珍しく清浄な状態を保っている中庭で取れたカモミールを使用しております。お好みでハチミツを足せば、甘いテイストが味わえます。クッキーは、修道院で作られている自慢の一品です」
「ほう。魔王城内は殆どの空間が魔の瘴気に汚染されているとの噂だったが、清浄な場所が残っていたのか。貴重なカモミールティー、ありがたく頂くとしよう」

 ソーサーとカップを手に、お茶を飲む姿は流石はブーケ姫の元婚約者といった上品さ。だが、一度は死んだ扱いとなっていた彼との婚約はもちろん無効となっているだろうし、なにしろ他国からの使いという立場なのだ。今更、どんな内密の話があるというのだろう?

「どうかしら、カモミールティーは。我が魔王城もまだまだ見捨てたものじゃないでしょう?」
「そうだね、カモミール自体の素材の良さが伝わってとても美味しいし、修道院のクッキーともマッチしているよ。けどね……いや、じゃあ取り敢えずは本題に入ろうか。中立国からのお誘いがブーケ姫にあるんだ……魔王城は、今後『中立国の領地』に入らないかっていうね」
「なっ……中立国の領地? 冗談じゃないわ! 騎士様、あなただってそんなお誘い私が受けないことくらい分かっているはずでしょう!」
「ははは。当たり前だよ……でもね、僕は10年間異界を放浪している間、未来の魔王城周辺も見てきたんだ。時を越える冒険っていうのを我が部隊は少しだけ経験してね。もちろん、未来の魔王城や魔族達の様子も見てきた」

 未来という単語にオレもブーケもリオも、思わず表情が強張る。やはり彼は、オレと同じく時代を超える旅をして来たタイムトラベラーだった。問題は、いつの未来へタイムワープをしていたかということだ。

「今の時点で中立国の領土になるお誘いが来るというのは、未来の魔王城に何か不満な点があったというの?」
「不満というか、魔王城そのものはそれなりに順調だったよ。瘴気に包まれた闇の森は、偉大なるブーケ姫の手によって美しい森へと生まれ変わっていた。ただし……それには『大きな犠牲』が伴っていたんだ……。さらに、魔法力を用いて仕上げた森だから、その清浄な空気も期間限定のもの。いずれは消えて無くなる儚い楽園。だから僕は、その未来を良くない未来だと判断した。今の時点で歴史に介入すれば、大きな犠牲を出さないで済むかも知れない」

 それなりに順調な魔王城という未来は、オレの良く知る未来に似ている。ブーケ姫が森を復活させて伝説の人物になっている点も同じだ。けれど、何故彼はその未来を知って、良くないと判断したのか。やはり、魔法力を使った期間限定の楽園というのが引っかかるのか……それとも?

「期間限定の楽園、尚且つ大きな犠牲……。その未来の内容を内密に伝えるために来たの」
「ああ、単刀直入に言おう。ブーケ姫、君は魔王城周辺の闇の森を復活させるために身を酷使して……短命に終わる。未来のお伽話ではブーケ姫は、心優しい聖なる姫君と伝えられて森が復興したその後の詳細は伏せられているものが多いが。つまり、君は自らの命と引き換えに魔王城周辺を復興させたと言えるだろう。どうだい、そんな方法……間違っていると思わないか?」

 ――ブーケ姫はその生涯を短く終える。闇の森を復興させるための犠牲となって……。

 愕然とするような事実に、オレは小さな足や体を震わせた。オレの本来の飼い主であるブルーベルは、森を復興させた伝説の姫ブーケに少なからず憧れていたと思う。
 だが、ブーケ姫が短命だったなんて情報は、ブルーベルにはもたらされていない。不都合な情報だから消去されているのか、それともまだ子供であるブルーベルが読むようなお伽話には詳細が載らないだけで、大人向けの書物にはどこかに記されているのか。何はともあれ、不吉な未来であることには変わりなくなってしまった。

「短命、死ぬの私……。森を復興させて、すぐに……自分の魔力と引き換えに?」
「そっそんなっ! 姫様が自らの命を犠牲にするなんて……そんなことをした上での未来なんて、良いはずないですよ。姫様……お気を確かに」

 黙って話を聞いていたはずのリオが、思わず身を乗り出して頭を抱え込むブーケ姫を支える。

「ふっ……怖がらなくても大丈夫だ。その未来を防ぐために、わざわざ内密の話としてここに来たのだからな。どうだ? 魔王一族の人間として中立国の領地となる仲介役をしてくれないか。そうすれば、この森に拘らずとも条件の良い土地へ移動のしやすくなる。国境を越えて、空いている土地で公としてやり直すという提案もあるぞ。民のことを思えば、悪い話とは思わないが……」
「……証拠は? 私が短命に終わるという証拠はあるの。証拠もない未来の話で条件を飲むことなんて、魔王一族の娘として受けられるはずがないわ」

 すると、ブーケ姫が証拠を差し出すように言ってくるのは想定通りと言わんばかりに、騎士は鞄から本を二冊取り出した。

「証拠ならここに……現在から二百五十年間の歴史で起こる大まかな年表。そして、ブーケ姫をモデルにした伝記小説『テチチの紋章・初版』だ。テチチの紋章は初版のみブーケ姫の最後を描いてあったが小さな子供が読みやすいようにと、姫の最後を語らない復刻版が後から発行された。まずは、二百五十年の年表が近い将来当たるか否かで真実を判断すれば良い」

 テチチの紋章はオレがタイムワープするきっかけとなった伝記小説だが、初版はとっくに廃盤になっていて読むことは困難だ。まさか、初版と復刻版で内容が異なっていたとは……。それに、年表を確認して判断するというのは、近い将来大きな変化があるということなのだろう。

「えっ……それって、もうすぐ年表に残るような出来事が起こると言いたいの?」
「今回は、これくらいで失礼するよ……。美味しいカモミールティーとクッキーありがとう」

 ブーケ姫の質問には答えず、騎士はソファから立ち上がり去っていった。残された2人と1匹の間には沈黙がしばらく続いたが、ブーケ姫は思い切って年表を手に取り未来を確認するべくそのページを開いた。
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