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第2章

28話 彼女に届け、子犬のひと声

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 未来でブルーベルがオレを必死に探している頃……過去では特にバトル展開もなく無事にロッジまで辿り着いた。想像よりも大きなロッジの周辺には魔除けの呪術が施されており、先程のカラクリ兵も侵入出来ないらしい。

(ジャーキーは美味しかったけど、なんだか魔法をいっぱい使って疲れたな。早く休みたい)

 コンコンコン! ブーケ姫が、ライオンの形をモチーフにしたドアの飾りを叩くと、室内からガタゴトと音が聞こえる。

「私よ、ブーケよ。パピリンの様子を見にきたんだけど、いいかしら?」
「はいっただいま。ブーケ姫様、よくご無事で! ささっパピリンが待ってますよ。あら、可愛いワンちゃん、新しい使い魔ですか?」

 ここの管理をしている人は意外なことに女性で、しかも色っぽい感じのお姉さんだった。話によると住み込みで働いているのは庭師だということだったので、てっきり男性だと思っていたけど。
 大きく胸の空いたカットソーにジーンズという服装は、もしかすると作業着の上着を脱いだ状態なのかもしれないが、天然の色香が漂っている。よく考えてみれば、ブーケ姫もメイドのリオも両方女性だし、庭師も女性で構成されているのかも。
 さらに言えば、部屋で休んでいるパピヨンのパピリンもメスだし、男はこの場でチワワのオレ1匹だけだ。か弱い女性陣を守るために、男として懸命に働きたい気持ちが芽生えそうになる。が、残念ながら最もか弱い扱いを受けているのはオレ自身だった。

「ええ、ハチっていうの。チワワっていう種類のルーキーで、さっきバトルしたばかりだから休ませてあげて」
「こんなに小さいのに戦って大変だったわね。大丈夫よ……ここの小屋で私達が守ってあげるからね」

 頭を撫でられて子犬の本能で甘えた声を出してしまうあたり、やはりオレはアクティブに戦うよりも可愛がられるのに向いているのだろう。なんと言っても、癒し系で有名なチワワだし。

「クゥーン(よろしくお願いします)」
「うふふ、良かったですねブーケ姫。ハチもなんだか落ち着いたみたいですよ」
「ええ、あとはクエスト達成のスタンプを貰えばいいだけね」

 犬好きだという庭師のお姉さんに迎えられて、無事にクエスト達成。山小屋内部にはクエスト認定のスタンプコーナーがあり、スタンプラリーのノリでクエストポイントを貯められるようだ。たった徒歩15分の距離の移動なのに、バトルをしたせいで疲れがどんどん襲ってくる。

(ふう……これから毎日、こんな感じでカラクリ兵達と戦うのかな? ブルーベルは今頃どうしているんだろう。まだ、スヤスヤとベッドで眠っているのだろうか……)

 ロッジの犬用ソファでひと休みする頃には、時代設定に合わない怪しい乾電池のことなんてすっかり忘れてスゥスゥと眠りの世界へと誘われていた。


 * * *


 その日の夢の中は、未来も過去も関係ない不思議な空間だった。真っ白いノートの上で目を覚ましたオレ……歩くとインクで描いたように、チワワの肉球の跡が残る。他にも文字や魔法陣が所々に書かれているみたいだが、隣のページの様子は詳しく分からない。おそらく、今いる場所は本の『余白と呼ばれる余りページの部分』なのだろう。

 オレはいわゆる伝記と呼ばれる本の中にいるようで、伝記が置かれた机の向こう側には本来の飼い主ブルーベルが身支度をしている最中だった。
 いつものハツラツとした様子ではなく、ヒックヒックと泣きじゃくりながらメイドさんに髪を結われている。

「ハチ……ハチ……何処にいるの?」

 ブルーベルがいなくなったオレを求めて泣いていることは明白で、小さなチワワのハートがズキズキと痛みだす。

(ブルーベル、そうか……未来の時間軸でオレは行方不明なんだ。きっと突然オレがいなくなってびっくりしているに違いない。あんなに泣いて……どうにかしてオレの無事を知らせないと)

 夢の中とは思えないほどリアルなブルーベルの泣き方に、オレは自分が時間軸のない『別の何処か』に飛ばされたことを感じていた。形式上、伝記の中に存在しているが、おそらくとても不安定な時空の何処か……だが、今の問題はそこではない。
 大好きなブルーベルをどうやって安心させてあげるか、オレが過去の世界と伝記の中を行ったり来たりしていることをどのようにして教えるか……そちらの方が重要だった。


「くぅーん(どうしよう……犬語じゃブルーベルと会話出来ない)」

 尻尾をたらんと垂らして、『くぅーん』と鳴いてうなだれていると久しぶりに聞き覚えのある老犬の声がオレに呼びかける。

「どうした、ハチ。ふむ……今度は伝記を通して過去の世界へと飛ばされたのか。やはり、あのSSランク魔法が悪い奴らに目をつけられたのかのう?」
「犬の神様! あれっ……どうやってこの場所に。っていうか、ここは本の中なんでしょうか。どうにかして、ブルーベルにオレがここにいることを伝えたかったのだけど」

 元が人間とはいえ、今のオレはただの子犬。それは、時間軸が変わろうが伝記の中に移動しようが揺るぎない事実で。直接言葉で、オレの居場所を彼女に伝えるのは不可能……そう諦め始めていたのだが。犬の神様なら、何かヒントをくれるかも知れない。

「ふむ。正確には過去と未来をつなぐ中継地点となる魔法陣が『伝記の中に存在する』といった具合じゃな。流石のわしも、過去の時間まで魂を飛ばしてお主に呼びかけることは無理じゃが。この伝記の中にお主の魂がいる間なら、こうして意思疎通が出来る。おそらく、ブルーベルもそうじゃろう」
「ブルーベルとオレもこの伝記に魂があるうちは、意思疎通が……でも犬語と人間語の壁があるし」
「そうかのう? 何、人間と犬の間にある言葉の壁なんぞ小さなものじゃ。犬は人間語が話せなくても仕草や態度で意思疎通が出来る。特に、絆で結ばれた犬と飼い主なら尚更……」

 絆で結ばれた犬と飼い主……そうだ、犬には犬のやり方で伝えるしかないのだ。

 哀しみに暮れるブルーベルに届くように、伝記の世界から彼女の心に届くように息を大きく吸い込み……そして思いっきり、ひと声……。


「きゃんっっっ(ブルーベル!)」


 その呼び声は紙の世界を超えて、過去の時間を超えて、ブルーベルの寝室に届く。

「えっ……ハチ? 今、ハチの鳴き声がしたよね。ブルーベルって、呼んでいた気がするの」
「ええ。私もたしかに聞き届けました。チワワ特有の高い声で、飼い主を呼ぶような鳴き声が……」

 子犬の願いが犬の神様に届いたのか、それとも勇気さえ出せば最初から声は届くように出来ていたのか。どうやら、伝記の外に呼びかけることに成功した様子。しかも、ブルーベルだけにとどまらず、メイドさんにも声が聞こえたようで、空耳扱いはされなさそうだ。

「ハチはこの部屋にいるの? けど、ベッドの下もクローゼットも探したし。ハチが隠れてられるところなんて、他には何処も……あら?」

 ブルーベルが、パラパラと自動で捲られ続ける伝記を調べに立ち上がる。彼女が愛犬ハチの所在が何処であるか、その真実に気付くまで――あと僅か。
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