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第2章 二周目

第02話 天使のような少年時代の彼

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 一晩経って、目が覚めると何やら身体が縮んでいる。慌てて鏡台の前に立ち、やや背伸びして顔を確認すると、鏡の向こう側には可愛いらしい小学二年生の少女。記憶を頑張って辿ろうにも、黒いモヤがかかっていまいちタイムリープ前のことは思い出せない。

 困惑するわたくしをメイドさんは、具合が悪いと勘違いしているらしくただの病人扱い。昨日倒れた経緯からも今日の学校は、休むようにと促して来る。

「とにかく、今日はお医者様の言うことを聞いて、学校はお休みなさってくださいね。休みとはいえ、洗顔や歯磨きはしておいて下さい」
「うぅ。分かりました」

 よく考えてみれば現在の状況も理解していないのに、いきなり小学校に通えるとも思えない。今日は、風邪という設定でお休みとなり、ちょうど良いのだろう。洗面で顔を洗い歯を磨き、ブラシで髪を整える。ウェーブがかった長い髪は、十七の頃と変わらない。

 わたくしは、十七歳のヒルデ・ルキアブルグは一体どうなってしまったのだろう。ジークとフィヨルドの間を行ったり来たりと心が揺れ動いたばっかりに、まさか滅亡の世界線を引いてしまうとは。

(あのジークからの口付けが、わたくしをふらふらとした女に変えてしまったのかしら? それともフィヨルドの口移しが、いけなかったの)

 神殿のお告げは、我が帝国の滅亡する度合いによって、わたくしの相手を変動させていたらしい。なんとなく、熱に浮かされながらフィヨルドの語りを聞いていたから、理解していた。
 結局、2人のイケメンに傾いて心定まらずの状態になってしまったわたくしは、こうやって人生のやり直しを強制されたのだ。

「はぁ一体、これからどうすれば良いのですの? ジークに誑かされたのが原因で、まさかもう一度人生をやり直す羽目になるなんて」

 まだ、『悪役令嬢』なんて、悪口を言われる前のピュアなわたくしは、くるくると表情を変えても幼い風貌だ。眉間にシワを寄せて、悩んでばかりいた十七の頃とは違う。

「あぁ。この頃はまだ、見るからにピュアでしたのね。まずは一周目を振り返り、対策を練ることから始めないと。ジークになんか騙されるからあんなことになったのです」

 物思いにふけるわたくしを嘲笑うかのように、突然機械的な音声が部屋に鳴り響く。

「ユーガットメール!」


 ふと気がつくと、昨日設置したてのパソコンに一通のメールが届いていた。

(おかしいな、まだこのメールアドレスは誰にも教えていないのに。業者かしら?)

 おそるおそるメール画面を開くと、差出し人は『神殿の神』。

「まぁ! もしかすると、誰かの悪戯メールかしら? まったく……えっ」

 メールのタイトルは『二周目の悪役令嬢』とだけ書いてあり、肝心の中身は健闘を祈るとだけ。

「誰ですのっ? こんなタチの悪い悪戯をっ。わたくし、小学生に戻ってしまって本気で悩んでいるのに……本気で……あれっ?」

 残念ながら、このタイムリープの記憶を持つ者はわたくし以外誰もいないはず。本当はいるのかも知れないけれど、確認出来る範囲では、わたくしを取り巻く人々からはその話は聞かれない。

 背筋が思わずゾクッとしながらも、わたくしが二周目であることを知るメールの主に思わずこんな内容で返信を出す。


『Re:二周目の悪役令嬢。王子様と勇者様、どちらが運命の相手ですの?』


 一応、思い切ってメールを送信したものの、返事は期待しない方が良さそうである。


 * * *


 ため息をついてパソコンを閉じると、タイミングよく下宿人のフィヨルドがわたくしのお見舞いにやってきた。彼も見た目はかなり縮んでいて、小学五年生ほどの少年になっていた。

(子供の頃のフィヨルドって、金髪碧眼のせいか本物の天使様みたいね。ふわふわしてて、可愛いらしい……)

 手には今日の朝食を乗せたトレーがあって、ご飯を届けに来てくれたことが分かる。優しい……相変わらずフィヨルドは優しい。わたくしなんかに、申し訳ないくらい。

「失礼するよ、具合はどうかなヒルデ。今朝のご飯は、食べやすいように卵のリゾットにしてくれたんだ」
「わたくし、あんまりお腹が空いておりませんの。すぐには食べられないから、テーブルの上に置いて下さいな。フィヨルドは学校があるでしょう?」

 胃がキュッとなってしまい、食事が喉に通らないのは本当だ。けれど、ここで悩んでいても一向に時間軸が元に戻る兆しすら見えない。
 
「それが、風邪が本格的に流行っているみたいで、学級閉鎖なんだよ。だから、オレは今日一日、ヒルデちゃんの面倒を見ることにしたんだ。ほら、何かしらお腹に入れないと。お薬飲めないよ。はい、あーんして」
「……食べなきゃダメですのね。あーん……」

 パクッ。
 フィヨルドがちょっとだけ息を吹きかけて冷ましてくれたリゾットは、柔らかなテイストでとても食べやすかった。

(柔らかくて、ほんのりと温かくて……まるでこの卵リゾットは、フィヨルドみたい)

「ふふっ。ちゃんと、食べられるじゃないか。この分だと、お薬も飲めそうだね」
「ええ、おかげさまで。ありがとうフィヨルド。迷惑かけて、ごめんなさい。知恵の輪大会の準備で、練習もあるはずなのに」

 わたくしの記憶が確かなら、クリスマスシーズンに開催される知恵の輪大会まであと1カ月。この大会はフィヨルドにとって、我が国に無償で長期間留学するための試験のようなものだし、練習が忙しいはず。
 一応その辺りの事情から気を遣ってみると、フィヨルドは想定外のことを言い始めた。

「まだ大会まで1ヶ月くらいあるし、マイペースに練習するよ。そうだ! 低学年の部があるんだけど、ヒルデも出場してみるかい? 参加賞だけでも、もらう価値があるよ」
「ふえぇえっ。わたくしが、知恵の輪の大会に? わたくし、不器用ですし、人前で色々やるなんて無理ですわ」

 タイムリープ前の記憶を辿ると、フィヨルドが我が家に来てから毎年、知恵の輪大会に誘われては断っていた気がする。わたくしは、自分の苦手なことは、極力やらない主義の子供だったようだ。

「まぁまぁ、そう言わないでさ。ほら、この参加者全員サービスの【ゴルディアスの結び目知恵の輪セット】なんか。非売品でなかなか手に入らないんだよ」
「えっ? ゴルディアスの結び目って、あの神話に出てくる伝説の……」
「うん。今回の参加者賞は、【ゴルディアスの結び目くらい難しい知恵の輪】って設定で作ったサンプル品らしいけど」

 ゴルディアスの結び目……十七歳のあの日に御神籤に書かれていたヒントには、『運命を変えたければ、ゴルディアスの結び目を解いてみよ』と書かれていた。もしかすると、タイムリープをして一周目のわたくしとは違う人生を歩んでみろ、という旨だったのかも知れない。
 初心者のわたくしが大会に出たところで、結果は芳しくないだろうけど。参加賞の結び目を手に入れるだけでも、多少何かが変わるきっかけになるのかも。

「……わたくし、出てみようかしら? その、知恵の輪大会に」
「うんっ。一緒に出よう! 良かった。これで共通の趣味が持てるねっ」

 思い切って大会参加の意思を告げると、フィヨルドはパッと表情を輝かせて、わたくしのことを抱きしめた。思わぬリアクションと無邪気にもたらされるフィヨルドの体温に、わたくしは思わず鼓動がドキドキと高まるのであった。
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