82 / 94
第二部 第二章
第10話 夢見の世界が変わる時
しおりを挟む耳に残るほどの鳴り止まない拍手。
特にレンカとカルミアの独唱対決は、リハーサルとは思えないくらいの気迫。両方の伴奏を担当したルクリアは、ひと仕事終えた達成感で胸がいっぱいだった。
「カルミアさん、お疲れ様。貴女の歌声、初めて聴いたはずなのにとても懐かしくて心に響いたわ。本番では別チームだから、私は伴奏をしてあげられないけど。カルミアさんがこれだけ素晴らしい歌声なのだから、きっと伴奏の方も大丈夫よね」
演奏終了後、ステージを降りてからルクリアは本来は別チームであるカルミアに労いの言葉をかける。すると、その言葉に驚いたのかカルミアは目を大きく見開いてから、考える仕草をして……少しだけ切なそうに笑った。
「……はい! ありがとうございます。あの……ルクリアさん、私の歌を懐かしく感じた理由……そのうち気づく日が来ると思います。それまで、私……頑張りますから」
本当は、ルクリアからもっと違うセリフが聞きたかったのかも知れない。労いでも励ましでもない別の何かが……。だが、カルミアの言葉を裏返した通り、今のルクリアはカルミアの歌声を懐かしく感じた理由に気づいていない。
「えっ? それってどういう。カルミアさん、やっぱり貴女……以前、私と何か関わりが」
「ふふっ内緒、です。それじゃあ……」
金色のボブヘアを揺らして駆け足に立ち去る後ろ姿は、過去にルクリアは何度も見送ったはずのものだった。けれど、ルクリアが彼女について思い出そうとしてもこの世界の理(ことわり)に反するかのように、記憶が拒否するのである。
(内緒、か。きっとカルミアさんは私と違って、この世界の秘密を知っているのね。でも、何処かで私はこの閉ざされた世界に満足している。まるで、夢の中に逃避するかのように)
ルクリア自身も、世間の噂通りこの世界は何処かおかしいことに気付いていた。気付きながら、見ないように思い出さないように、心地良い夢が終わらぬようにしているのだ。
叶わない願いを、せめて夢の中では見続けたいと願う愚かな行為。そして、その愚かな夢こそがこの古代地下都市アトランティスを形成する礎であると、誰もが気付き始めていた。
* * *
残念なことに、夢はいつか覚めるものである。今現在の夢見の主であるレンカにとっての『目覚め』は、想像以上に早く急かすように訪れた。
レンカの恋人であるオニキスが、カルミアの記憶を部分的に思い出してしまったのである。
音楽ホールから立ち去る生徒達をかき分けて、カルミアの腕を掴んだのはオニキスだった。
「カルミアさん! ちょっと、待ってくれないか? キミに……どうしても話がある」
突然の呼び出しにカルミアはひどく動揺していたが、相手は今回の音楽イベントの運営に携わる生徒会長だ。大人しく呼ばれるままにオニキスについていくと、人の気配がほとんどない楽器の保管室で彼の話を聞くことになった。
「オニキス生徒会長、ですよね。えぇと……私、さっきの独唱で何かダメなところでも?」
「ダメなはずないさ! カルミアさん、キミは……キミの別れの曲は完璧だっ。いや、正確には僕が知っている別れの曲は確かにキミの歌声だった。以前、別れの曲を歌ったのは……カルミアさん、キミだったのではないか?」
夕刻の落ちる陽がガラス窓から射してきて、オニキスの真摯な表情を半分隠した。
本当は、この古代地下都市には昼も夜も存在しない。太陽も月も錬金術で生み出した人工物で、だからオニキスの背後にある夕陽は幻のようなものである。
だが、それでも……今、二人が存在するこの空間は彼らの人生における夕刻だった。昼が終わり夜が来る前の、ふと心が寂しい瞬間がこの時だ。
「……! オニキス、生徒会長。貴方、風精霊の加護持ちだったかしら。記憶は何処まで? それとも、記憶をメモしている風精霊の使い手から何か訊いたとか」
「はは……図星か。いや、風の精霊の加護を持つ生徒達は、僕らと違って消えたはずの記憶を一部持ち合わせているんだったな。残念ながら僕は土精霊の加護だし、記憶保持者達からも何も訊いていないよ。でも、僕の魂がキミがあの歌を歌った本人だと叫んでいる」
泣いているのか怒っているのか、彼の背後から逆光が真実を遮るようにカルミアの心を襲う。
「私の歌で、失われた記憶を取り戻したというの? 本当に……?」
「もちろん、すべてではないさ。けれど、僕にとってキミの歌声はかけがいのないもので、それは本当なら忘れてはいけないものだったんだ。ごめん……隠していることがあるならこれ以上は追及しない。けど、これだけは言える。きっと、僕は……キミにとても惹かれていた」
「オニキス、生徒会長……」
それ以上、二人の会話は続かなかった。
この夢見の世界がひび割れて壊れてしまうから、きっとこれ以上は話せないように創造主の手によってプログラミングされているのだろう。
そして、皮肉なことに二人の会話はすぐさま創造主に聴かれてしまうことも運命だった。楽器保管室に譜面をしまいに来たレンカが、タイミング悪く部屋に居合わせていたのだ。
(オニキス生徒会長が、記憶を少しだけ取り戻した? 嘘だ……嘘でしょう!)
レンカのいる空間とカルミア達のいる空間は譜面を収めるための本棚で区切られていた。背の高い棚は部屋の間仕切りとしての役割を果たし、まるで個室が二つあるかのようだった。
それ以上は追及しないという言葉通り二人は話を終えたらしく、先にカルミアが立ち去りしばらくしてオニキスが部屋を出て行く。その場からも状況からも、全てにおいて取り残されたのはレンカだけだ。
「嫌だ。このままでは終わってしまう! 私の夢見が、この架空の世界が……! それだけは絶対にイヤ、存在しなくなった未来からやって来た私にはもう夢見の世界しか居場所がないのにっ」
本当に誰もいなくなった空間で、レンカは一人きりで泣き叫ぶ。彼女の叫び声は、この世界を形成する夢見の基盤を脆くするのに充分な悲痛さだった。
* * *
「お帰りなさいませ、ルクリアお嬢様。レンカお嬢様はご一緒ではなかったのですか」
「ええ。レンカは生徒会の仕事があるし、帰りは元から別々の予定だったけど。今日は忙しかったし帰りが遅いのかしら。これ……どうしよう。私、夕飯が済んだらピアノのレッスンなのよね」
ルクリアがレグラス邸に帰宅すると、未だレンカは帰っていないとのことだった。今日のリハーサルで、レンカが歌った独唱のアドバイスシートを歌の先生から預かっていたが、すぐに手渡しとはいかなそうである。
「歌の先生からのアドバイスシートですか、レンカお嬢様が戻られたら渡しておきますよ」
「悪いわね、ありがとう」
行き違いにならないように、今日の出迎えの当番のメイドがレンカ宛のアドバイスシートを預かる。ルクリアはホッとして夕食を摂りに食卓へと向かった。
だが、レンカはその日も次の日もレグラス邸へと戻ることはなく、それどころかレンカという少女が存在していたすら忘れ去る者が増えていく。
(どうして、レンカは一体何処に消えてしまったの?)
着実に、ルクリアを取り巻く夢見の世界は変貌を遂げようとしていた。
0
お気に入りに追加
344
あなたにおすすめの小説
【完結】薔薇の花をあなたに贈ります
彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。
目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。
ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。
たが、それに違和感を抱くようになる。
ロベルト殿下視点がおもになります。
前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!!
11話完結です。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました
群青みどり
恋愛
国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。
どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。
そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた!
「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」
こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!
このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。
婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎
「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」
麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる──
※タイトル変更しました
【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。
王命を忘れた恋
須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
神託を聞けた姉が聖女に選ばれました。私、女神様自体を見ることが出来るんですけど… (21話完結 作成済み)
京月
恋愛
両親がいない私達姉妹。
生きていくために身を粉にして働く妹マリン。
家事を全て妹の私に押し付けて、村の男の子たちと遊ぶ姉シーナ。
ある日、ゼラス教の大司祭様が我が家を訪ねてきて神託が聞けるかと質問してきた。
姉「あ、私聞けた!これから雨が降るって!!」
司祭「雨が降ってきた……!間違いない!彼女こそが聖女だ!!」
妹「…(このふわふわ浮いている女性誰だろう?)」
※本日を持ちまして完結とさせていただきます。
更新が出来ない日があったり、時間が不定期など様々なご迷惑をおかけいたしましたが、この作品を読んでくださった皆様には感謝しかございません。
ありがとうございました。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる