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第二部 第二章

第10話 夢見の世界が変わる時

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 耳に残るほどの鳴り止まない拍手。
 特にレンカとカルミアの独唱対決は、リハーサルとは思えないくらいの気迫。両方の伴奏を担当したルクリアは、ひと仕事終えた達成感で胸がいっぱいだった。

「カルミアさん、お疲れ様。貴女の歌声、初めて聴いたはずなのにとても懐かしくて心に響いたわ。本番では別チームだから、私は伴奏をしてあげられないけど。カルミアさんがこれだけ素晴らしい歌声なのだから、きっと伴奏の方も大丈夫よね」

 演奏終了後、ステージを降りてからルクリアは本来は別チームであるカルミアに労いの言葉をかける。すると、その言葉に驚いたのかカルミアは目を大きく見開いてから、考える仕草をして……少しだけ切なそうに笑った。

「……はい! ありがとうございます。あの……ルクリアさん、私の歌を懐かしく感じた理由……そのうち気づく日が来ると思います。それまで、私……頑張りますから」

 本当は、ルクリアからもっと違うセリフが聞きたかったのかも知れない。労いでも励ましでもない別の何かが……。だが、カルミアの言葉を裏返した通り、今のルクリアはカルミアの歌声を懐かしく感じた理由に気づいていない。

「えっ? それってどういう。カルミアさん、やっぱり貴女……以前、私と何か関わりが」
「ふふっ内緒、です。それじゃあ……」

 金色のボブヘアを揺らして駆け足に立ち去る後ろ姿は、過去にルクリアは何度も見送ったはずのものだった。けれど、ルクリアが彼女について思い出そうとしてもこの世界の理(ことわり)に反するかのように、記憶が拒否するのである。

(内緒、か。きっとカルミアさんは私と違って、この世界の秘密を知っているのね。でも、何処かで私はこの閉ざされた世界に満足している。まるで、夢の中に逃避するかのように)

 ルクリア自身も、世間の噂通りこの世界は何処かおかしいことに気付いていた。気付きながら、見ないように思い出さないように、心地良い夢が終わらぬようにしているのだ。
 叶わない願いを、せめて夢の中では見続けたいと願う愚かな行為。そして、その愚かな夢こそがこの古代地下都市アトランティスを形成する礎であると、誰もが気付き始めていた。


 * * *


 残念なことに、夢はいつか覚めるものである。今現在の夢見の主であるレンカにとっての『目覚め』は、想像以上に早く急かすように訪れた。
 レンカの恋人であるオニキスが、カルミアの記憶を部分的に思い出してしまったのである。
 音楽ホールから立ち去る生徒達をかき分けて、カルミアの腕を掴んだのはオニキスだった。

「カルミアさん! ちょっと、待ってくれないか? キミに……どうしても話がある」

 突然の呼び出しにカルミアはひどく動揺していたが、相手は今回の音楽イベントの運営に携わる生徒会長だ。大人しく呼ばれるままにオニキスについていくと、人の気配がほとんどない楽器の保管室で彼の話を聞くことになった。

「オニキス生徒会長、ですよね。えぇと……私、さっきの独唱で何かダメなところでも?」
「ダメなはずないさ! カルミアさん、キミは……キミの別れの曲は完璧だっ。いや、正確には僕が知っている別れの曲は確かにキミの歌声だった。以前、別れの曲を歌ったのは……カルミアさん、キミだったのではないか?」

 夕刻の落ちる陽がガラス窓から射してきて、オニキスの真摯な表情を半分隠した。

 本当は、この古代地下都市には昼も夜も存在しない。太陽も月も錬金術で生み出した人工物で、だからオニキスの背後にある夕陽は幻のようなものである。

 だが、それでも……今、二人が存在するこの空間は彼らの人生における夕刻だった。昼が終わり夜が来る前の、ふと心が寂しい瞬間がこの時だ。

「……! オニキス、生徒会長。貴方、風精霊の加護持ちだったかしら。記憶は何処まで? それとも、記憶をメモしている風精霊の使い手から何か訊いたとか」
「はは……図星か。いや、風の精霊の加護を持つ生徒達は、僕らと違って消えたはずの記憶を一部持ち合わせているんだったな。残念ながら僕は土精霊の加護だし、記憶保持者達からも何も訊いていないよ。でも、僕の魂がキミがあの歌を歌った本人だと叫んでいる」

 泣いているのか怒っているのか、彼の背後から逆光が真実を遮るようにカルミアの心を襲う。

「私の歌で、失われた記憶を取り戻したというの? 本当に……?」
「もちろん、すべてではないさ。けれど、僕にとってキミの歌声はかけがいのないもので、それは本当なら忘れてはいけないものだったんだ。ごめん……隠していることがあるならこれ以上は追及しない。けど、これだけは言える。きっと、僕は……キミにとても惹かれていた」
「オニキス、生徒会長……」

 それ以上、二人の会話は続かなかった。
 この夢見の世界がひび割れて壊れてしまうから、きっとこれ以上は話せないように創造主の手によってプログラミングされているのだろう。

 そして、皮肉なことに二人の会話はすぐさま創造主に聴かれてしまうことも運命だった。楽器保管室に譜面をしまいに来たレンカが、タイミング悪く部屋に居合わせていたのだ。

(オニキス生徒会長が、記憶を少しだけ取り戻した? 嘘だ……嘘でしょう!)

 レンカのいる空間とカルミア達のいる空間は譜面を収めるための本棚で区切られていた。背の高い棚は部屋の間仕切りとしての役割を果たし、まるで個室が二つあるかのようだった。
 それ以上は追及しないという言葉通り二人は話を終えたらしく、先にカルミアが立ち去りしばらくしてオニキスが部屋を出て行く。その場からも状況からも、全てにおいて取り残されたのはレンカだけだ。

「嫌だ。このままでは終わってしまう! 私の夢見が、この架空の世界が……! それだけは絶対にイヤ、存在しなくなった未来からやって来た私にはもう夢見の世界しか居場所がないのにっ」


 本当に誰もいなくなった空間で、レンカは一人きりで泣き叫ぶ。彼女の叫び声は、この世界を形成する夢見の基盤を脆くするのに充分な悲痛さだった。


 * * *



「お帰りなさいませ、ルクリアお嬢様。レンカお嬢様はご一緒ではなかったのですか」
「ええ。レンカは生徒会の仕事があるし、帰りは元から別々の予定だったけど。今日は忙しかったし帰りが遅いのかしら。これ……どうしよう。私、夕飯が済んだらピアノのレッスンなのよね」


 ルクリアがレグラス邸に帰宅すると、未だレンカは帰っていないとのことだった。今日のリハーサルで、レンカが歌った独唱のアドバイスシートを歌の先生から預かっていたが、すぐに手渡しとはいかなそうである。

「歌の先生からのアドバイスシートですか、レンカお嬢様が戻られたら渡しておきますよ」
「悪いわね、ありがとう」

 行き違いにならないように、今日の出迎えの当番のメイドがレンカ宛のアドバイスシートを預かる。ルクリアはホッとして夕食を摂りに食卓へと向かった。
 だが、レンカはその日も次の日もレグラス邸へと戻ることはなく、それどころかレンカという少女が存在していたすら忘れ去る者が増えていく。

(どうして、レンカは一体何処に消えてしまったの?)

 着実に、ルクリアを取り巻く夢見の世界は変貌を遂げようとしていた。
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