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正編 最終章

第03話 消える恋歌

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 予定よりもずっと早く隣国へと移動することになったルクリアの出発の日が、間近に迫っていた。元婚約者のギベオン王太子にも、出発の日は見送りをして欲しいと、王宮関係者の一部が提案をする。
 地下都市工事のために連日ゴーレムを監修しているギベオン王太子は疲労気味で、すぐには返事をしなかった。王宮に戻ると、改めてお付きの執事から見送りについて問われる。

「ギベオン王太子様、ルクリア様が出立する際には見送りに行かれるんですか?」
「迷っているところだ。表向き、僕達は合意の元で婚約を解消し、何のわだかまりもないことをアピールしなくてはいけない。けれど、僕も普通の人間だからね。他の男と隣国へと向かう元恋人を見送るなんて、嫌だよ」

 一年前までは確かに子供だったネフライトは、他の男と呼ばれるくらいには見た目も中身も成長していた。身長はスラリと伸びてルクリアの背を追い越し、そのうちギベオン王太子にも追いつきそうだ。彼のお兄さんのアレキサンドライトさんを見れば、そっくりにはならなくても近い外見になることは想像出来ていた。
 最初はチグハグに見えていたルクリアとネフライトのツーショットは、今ではお似合いの二人に見える。元服年齢を採用する法改正の関係で、数ヶ月先には戸籍上も夫婦になるだろう。ギベオン王太子が割って入る隙間は、与えられなかった。

「左様でございますか、少しばかり安心しました。ギベオン王太子がまだ本音を言える状態で」
「そんなに僕は無理して見えるか、そうだよな。未来人のレンカさんが来てくれなければ、今回の地下都市発見と移住計画はあり得なかった。レンカさんがネフライト君とルクリアの娘である限り、二人の婚姻を阻めない。レンカさんが、未来からやって来た時点で運命が定まってしまったんだ」
「もう、貴方の心にはもう彗星は降らないのでしょうか? いえ、一説ではギベオン王太子様を常に無理させたせいで、彗星の魔法が発動し隕石が国に堕ちると言われていたんです」

 不思議とタイムリープの度に、この国のみを狙って堕ちてくる彗星には様々な説があった。古代人が国を滅ぼすために仕掛けた時限式魔法だという説が有力だったはずだ。けれど、ギベオン王太子の心の揺らぎによって発動する説の方が、辻褄は合っている。

「そうだったのか、初耳だな。しかし、ぼくの心が揺らいでやがて彗星が降ったとしても、国民は皆地下都市に避難済みだ。僕の影響力もその程度まで落ちたということだ」
「揺らぐのは、いつもルクリア嬢と別れた後なのでございます。ルクリア嬢は国民が地下都市へと移住する前に、隣国へと旅立ってしまう。彗星も予定より早くギベオン王太子様の心に降り注ぐかも知れません。それでは、国としては困るというもの」

 既にギベオン王太子の心は揺らいで乱れており、ルクリアとの別れをしてしまったら、押し込めていた心が彗星となって地上に降り注いでも不思議ではない。

「何が、言いたいんだ」
「いえ、出来れば国のためにルクリア嬢を引き留めて頂けたら……本当の意味で今回のタイムリープが終わるのではないかと。実は、もう一つだけ地下都市への入り口が見つかりそうなのです。わざわざ、隣国からルクリア嬢に戻ってもらうのは手間ですので」

 国のためにルクリアと婚約破棄させられたのに、国のために今度はルクリアを引き留めなくてはならない。

「分かった……ネフライト君には悪いが、二人の隣国行きスケジュールを少し伸ばしてもらおう」

 心の何処かで、この決断にほっとしている自分にギベオン王太子は気づきながらも、万が一の復縁の方法を模索しようとする未練がましい自分を情けなく思った。


 * * *


 ルクリアの出発延期の情報は、すぐに王立メテオライト魔法学園の生徒会にも連絡が入った。特殊な理由で国を出て行く生徒の情報だから、ということもあるがルクリアの異母妹であるカルミアに、この情報を知らせる意味もあるだろう。

「えっ……ルクリアお姉様の出発が延期になった? 本当ですか、生徒会長」
「うん。実はね……もう一箇所だけ、地下都市への出入り口が見つかったらしくて、封印をルクリアさんに解いて欲しいんだって。このまま、お姉さんも一緒に地下都市に移動出来たら良いのにね。ネフライト君のこともあるし無理か」
「お姉様が、まだこの国に……」
「カルミアさんも、まだお姉さんといろいろとお話し出来るチャンスが増えて、良かったじゃないか。地下に移住してしまったら、そうそう地上の人達と気楽に会えなくなるからね。思い残すことがないようにしておくといいよ」

 カルミアが生前、想いを寄せていたオニキス・クロード生徒会長は、レンカのことを本物のカルミアだと思っているらしい。それとなくカルミアの方から恋心を伝えていたようで、生徒会長はいつも優しく接していてくれた。状況を見つつ、カルミアと婚約でもするつもりだったのだろうか、とレンカは胸が痛くなる。

(ごめんなさい、カルミア伯母様。私ばっかり生徒会長と親しくしてしまって。ごめんなさい……)

 実のところ、生徒会長に想いを寄せていたのはカルミアだけではなかった。レンカもまた、生徒会役員で広報補佐を務めていくうちに、生徒会長へ淡い恋心を抱いていた。

「もう日がこんなに暗く……そろそろ寄宿舎に帰らないと」
「女の子の一人歩きは良くないよ、送っていく」
「生徒会長……ありがとうございます。嬉しい……」

 まだ、誰もカルミアだと思われている人物が、未来人レンカだと気づいていない。レンカはこのまま生徒会長と恋仲になれるので有れば、レンカだった自分を捨ててカルミアになってもいいくらい、レンカの心はオニキス・クロードに依存していた。

 たわいもない会話をしながら歩き、寄宿舎の門に着く。その手前で、オニキスは眼鏡越しに切れ長の美しい目を揺らし、名残惜しそうにレンカを抱き締める。まるでごく普通の恋人同士のようで、レンカの心は泣いていた。

「カルミアさん、もし地下都市に移住してもずっとキミといたい。キミが一緒だから、僕は生徒会長として移住計画に携われた。レンカさんがいなくなって寂しいだろうけど、僕が側でキミを支えるよ。好きだ……」
「嗚呼、会長……会長……。私も、私も貴方のことが、好きです……!」

 初めて与えられた生徒会長からの口付けは、レンカの理性を失わせた。

(カルミア伯母様、ごめんなさい。私、私も生徒会長のことが……好き! 例え彼がレンカを見てくれなくても……)

 自分が生まれてくる確実な未来を失ったレンカは、もう縋る人はオニキス生徒会長しかいなかった。

 カルミアがあの日、歌ったショパンの【別れの曲】がレンカの脳裏に響く。彼女にとってあの歌は、生徒会長に捧ぐ恋歌だったはずだ。けれど、カルミアの想いごと未来人のレンカが奪う形になった。

(やれることはただ一つ、私が本物のカルミア・レグラスになることだけだわ)

 その日、レンカとしてのキャラクター性は完全に消えた。
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