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正編 第二章
第05話 一生残る額の傷
しおりを挟む「もしかして、氷魔法の欠片が当たって額に傷が残っているんじゃないかしら? だとしたら、私の責任だし。もしかすると過去に戻ってでも傷が出来ないようにしようとするかも知れないわ」
「ルクリアさん、これは……その。まだ、完治していないから分からないよ。傷痕は残らない可能性もあるし、貴女に負い目を作らせて結婚したように思われたくない」
嫌な予感は当たっているようで、顔面蒼白のネフライト君は頭の包帯を抑えて傷を隠そうとした。そっと手を添えて優しく包帯をはずすと、黒髪の前髪の間にやはり氷魔法特有のフィヨルドのような傷痕が出来始めていた。
「負い目だなんて、多分そんなことで結婚しないわよ。そっか……お兄さんが回復魔法をかけてくれたのに、絶対零度の傷が出来てしまったのね」
「ごめん、こんな早く気づかれちゃうとは思わなかった。やっぱりオレ、身体に合わせて感覚が何処か幼くなっているのかも」
「きっと感覚が幼くなっているのだとしたら、そうやって肉体が今の自分を守ろうとしているんだわ。大人のつもりで無理なことして、身体がこれ以上傷付いたら大変だもの」
ネフライトの頭を隠そうとしていた手を握ると、まだ柔らかさがあり子ども特有の体温が感じられた。中身は大人の男なのにこのままでは本当に子どもになってしまうと彼が悩む通り、ルクリアも彼を恋愛対象ではなく護る相手として見てしまう。
「ごめん、なさい。オレ、元通りにしっかりしたいのに。貴女を護りたいのに、心と身体がチグハグで時々おかしいんだ。本当に子どもに戻ったみたいに、泣きたくなったり勝手に涙が出てきたり……まるで思春期みたいだ」
「私の前くらいでは無理しないで、泣いてもいいのよ。ほら、ここには私と貴方とそれからミンクのモフ君しかいない。誰も気にしないわ……」
既に泣き始めている彼をルクリアは抱き寄せて、あやすように背中を優しく撫でた。きっと夫婦や恋人の抱擁とは程遠いが、哀しみや不安を癒すことが出来たらそれでいい。将来家族になる人だと思えば、今のネフライトをルクリアが抱きしめても違和感はないのだ。
「うぅ……ルクリア、オレ……オレ。うぅっひっく……ずっとこのままだったら、どうしよう」
「大丈夫よ、きっと解決策が見つかるわ」
(ネフライト君は温かい、私の頑なになった氷が溶けていくようだわ。ネフライト君の心の氷も、私が溶かしてあげられたらいいのに)
未来の夫だという今は子供の彼の涙を受け止めて、お互いの温もりで心の寂しさを補う。
いつか、少しずつネフライトが成長するにつれてルクリアの気持ちが変化し、異性として意識するのかも知れない。だが、ネフライトがその年齢に辿り着く前にこの世界はタイムリープしてしまう。
――それはルクリアが永遠に初恋のギベオン王太子のことだけを、異性として意識するように掛けられた呪いのようだった。
* * *
「今頃、ルクリアお姉様は年下の財閥ご子息君と楽しく遊んでいるのかしら? ねぇお父様、もし本当にお姉様が財閥のご子息に見初められて、我が国もそっちの方が利益になると判断したら、お姉様を財閥に嫁がせちゃうの?」
「おいおい、カルミア。ちょっと気が早いんじゃないか。財閥の弟君は、年齢こそルクリアと三歳差だが彼はまだ十三歳だよ。これくらいの年頃で、この年齢差は大きい」
「ふぅん。でも乙女ゲームのシナリオだと、お姉様はギベオン王太子と婚約破棄になるの。そしてほぼ間違いなく、ルクリアお姉様の夫になるのはそのジェダイト財閥の弟ネフライト君よ。公式が決めた最終的なカップリングは、その二人なんだから。けど、引き取り先が決まっていれば案外円満に破局して、卒業記念パーティーを待たなくても、早く隣国にいっちゃうかも」
また乙女ゲームの話かと、父親はカルミアの将来が不安になってしまう。しかも預言者の如く、公式カップリングだの二人は夫婦になるだの断言し出したから今回は本格的だと戦慄した。
対照的にカルミアは自分のやってきていることは間違えていなかったという奇妙な自信をつけ始めていた。本来実装が難しいオークションハウスのフラグを、偶然とはいえ上手く立てたからだ。
ギベオン王太子との仲を早く進めるための裏技がオークションハウスオープンのフラグだが、その実態は邪魔な異母姉ルクリアを一刻も早く隣国財閥と縁を結ぶというためのものだ。
このタイムリープが何回目の世界線なのかは分からないが、カルミアは入学に向けて着実に乙女ゲームのキャラクターに近づいていることは確かだった。そして、偶然とはいえ異母姉ルクリアを追放しやすくなるような展開が、近づいていることを嬉しく思った。
追放劇を上手く行かせるには引き取り先が必要であるが、今から隣国財閥のご子息と親しくさせておけば自然とギベオン王太子とルクリアは離れるだろうと踏んだ。
レグラス伯爵もほんの僅かながら、ルクリアが財閥嫁ぐ可能性を感じ取っていたようで、ポツリポツリと本音を語り出す。
「倭国では男の成人は元服と言って、およそ十五歳くらいなのだよ。まぁ隣国は西方大陸所属だから元服基準が通じるかは分からんが、もし弟君が早く婚姻予定を作り故郷へ嫁を連れ出すとしても、十五にならないと厳しいだろうな。体裁上は中学を卒業するタイミング、ルクリアも同時に高校を卒業するし」
「えぇっ? それじゃあ、やっぱり卒業記念パーティーと被っちゃうじゃない。なんだ、結局は乙女ゲームのシナリオは完璧ということね」
「別にワシは、お前のいう乙女ゲームとやらのシナリオを参考にしている訳ではないぞ。ただ、万が一の可能性があるとしても、ちょうど二年後の卒業式辺りがちょうどいいというだけだ」
(本当はもっと早くルクリアお姉様を隣国送りに出来れば、私が権力者でいられる期間が増えるのに。貴重な高校生活の二年間分、王太子の婚約者という権力をいずれいなくなるお姉様に奪われたく無いわ。何か、いい案が無いかしら? もっと早くお姉様が例の弟君と纏まる羽目になるような……何かが)
その何かの答えが、まさに額の傷の負い目であることを当事者であるルクリアもネフライトも気づいていた。だが、恋愛に発展出来ない二人はそれを、敢えて他人に気付かせないようにしていくのだが、気づかれるのは時間の問題だった。
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