上 下
5 / 94
正編 第一章

第04話 夢のような口付け

しおりを挟む
 ゆらゆらと優しく暖かな誰かの腕の中というゆりかごに揺られて、ルクリアはそっとベッドの中へとその身を預けた。先ほどとは異なる羽毛の温もりが、寒波によって体調不良となったルクリアの身体を包み込む。
 きっと親切な誰かが、自身を部屋まで運び入れてベッドに寝かしつけてくれたのだと、うとうとしながらもルクリアは理解した。

「良かった、熱は大したことがないようだね。ふふっ。せっかく、お父様から信頼という許可を得たのに。僕はキミを見つめていると、やはり自分のものだという証が欲しくなってしまう」

 おでこを触っていた手が離れた途端、甘く低い声が誘惑するようにルクリアの耳元で囁く。長くしなやかな指が首の辺りでトンっ……と止まる。

「んっ……」
「いや、やはり少しだけ熱いか。早くキミの熱が収まると良いのだけれど」
「……わたし、一体……?」

 少しずつルクリアが意識を覚醒していくと、すぐ間近に彗星のように澄んだブルーグレーの瞳が映った。端正な目鼻立ちに形の整った唇、そこから発せられる甘い声に憧れを持つ女性は数知れず。

「おや、起きたのかい。おはようルクリア。具合の方はどうかな?」

 彼こそが、我がメテオライト国の王太子にして伯爵令嬢ルクリア・レグラスの婚約者であるギベオン・メテオライトだ。珍しいブルーグレーの瞳は角度によって色を変えて輝き、隕石の意味を持つギベオンの名前とかけて、【彗星の王子】という異名を持っていた。
 絶対零度のように冷たい心を持つとされて、【氷の令嬢】などという不名誉な渾名がついた自分とは釣り合わないとルクリアが悩む原因でもあった。

「ギベオン王太子、まさか貴女が倒れた私を運んで下さったの? ごめんなさい、せっかく寒い中いらして下さったのに、迷惑をかけてしまって」
「ふふっ。こういう時は、ごめんなさいよりも、ありがとうが聴きたいな。部屋の外ではね僕達が間違いを起こさないようにメイドさんが見張っているみたいなんだ。だからさ……僕にだけ聴こえるように内緒話みたいに。ありがとうって、言って」

 そっとルクリアの顎を持ち上げて、今にも口付けになりそうな距離で小声で囁くギベオン王太子。彼はいつも触れそうで触れない距離を保ちながらも、時折こうやってルクリアの気持ちを試すような真似をするのだ。

「……いじわるっ。どうしてそうやって、いつも」
「ほら、ルクリア……僕を見て。僕の瞳を見て」

 恥ずかしくて顔を背けたルクリアを半ば強引に、再び自分の方へと向かせるギベオン王太子。彼の彗星の瞳には頬を赤らめたルクリアの顔が映っていて、きっとルクリアの瞳にも少しいじわるそうに微笑むギベオン王太子が映っているはずだ。
 見つめあっているうちに、その距離はゼロになり驚いて思わず目を閉じると、唇を啄む音が静かな部屋に響いた。

「ん……ギベオン、王太子……! ダメよ、風邪が移っちゃう」
「そうだね、風邪は移すと治るらしいよ。僕でよければ治療に協力しよう」
「もうっ……!」

 ギベオン王太子は婚約した時の契約通り、決して純潔を奪うような真似はしてこない。してこないのだが、『婚約者だからこれくらいはいいだろう……』と抱き寄せたり、ふと口付けてきたりはする。だから、二人がキスを交わすのは初めてではないのだが、乙女ゲームのシナリオ通りに進む世界だと考えるとこの関係はそのうち終わる事になる。

 この優しい王太子がいずれ、我儘な異母妹に誑かされて奪われるのかと思うだけで、ルクリアは哀しくて涙が出てしまった。

「どうしたんだい、ルクリア。突然、泣き出して……泣くほど今回の風邪は苦しいのかい?」
「違うの、いつかギベオン王太子と離れる日が来ると思うと辛くて。ほら、今日カルミアがうちの学校に合格したでしょう? あの子、自分は乙女ゲームの主人公だって信じているらしくて。私はあの子を虐める悪い異母姉役だからいずれ貴方に嫌われて、婚約破棄になるって……」

 普段のルクリアだったらこの世界が乙女ゲームの世界だなんていう話を、真剣に泣きながら語るなんてことはしない。けれど、毎晩のように見る未来の悪夢と、乙女ゲームのオープニングに該当する今日というを迎えてしまった事に不安を覚えたのだ。

「なんだ……そんな妹さんの語る夢物語を信じて泣いていたのか。ふふっ大丈夫だよ。例えゲームのシナリオとやらの予言書があったとしても、流石に婚約破棄なんて事にはならない。それにルクリアが氷魔法が得意なだけの心優しい女の子だって、僕が一番知っているんだ」
「本当に? 氷の令嬢だなんて揶揄されている私のことを信じてくれるの。ゲームの王太子みたいに、卒業記念パーティーで婚約破棄宣言しない?」
「当たり前だよ、ルクリア。そうだ……今は風邪が流行っているからね。よく効く風邪薬を持っているんだ。キミにもきっと合うと思うから、飲んで……」

 そう言って差し出されたのは、まるで虹色に輝く鉱石のような丸い飲み薬だった。キラキラと虹色に輝く玉に吸い込まれそうになりながら、促されるまま与えられた水と共に薬を飲む。

 ごくんっ。
 喉を通過するゴツっとした感覚が、ルクリアの神経を刺激する。彼女の細い喉を通り抜けるには、些か大粒だったようだ。
 次の瞬間……不思議な眠気がルクリアを襲って、ギベオン王太子の笑顔を脳裏に読み込んだまま眠りの世界へと誘われた。

「おやすみなさい、ルクリア。キミだけはこの国の運命に振り回される必要性はないんだ。だって、本来のシナリオでは無事にこの国から追放されて、除外されるキミだけが。ストーリー上、生き残りが確定しているキミだけが。この国に起こる滅びの日と無関係なのだから。次のループこそは未来だって、きっと変えられる」

「えっ……どういうことなの、ギベオン王太子……未来を変える? ダメだわ、眠気が酷くて……」
「……嗚呼、僕はキミに、何回くらいこうして口付けてこの魔法の薬を飲ませたんだろうね。今回も効果が出るといいのだけれど、そろそろ限界かな」
「ん……」

 不思議な虹色の薬の正体は、よく効く睡眠薬の一種だったようでルクリアは会話の全てを忘れて、すっかり眠ってしまった。まるでゲームのバランス調整のため、メンテナンスをするかのように。

 乙女ゲームのシナリオの裏側。
 この国がいずれ悲劇的に滅ぶという遠い未来を知っているのは、この国の未来の国王ギベオン王太子に他ならなかった。

「さあ、始めようか。いずれ滅ぶ運命のこの国で、夢のように儚い乙女ゲームのシナリオとやらを……!」


 ギベオン王太子が掌の上に浮かぶ魔法陣に手をかざすと、もう何度ループしたか分からないほど再生された乙女ゲームのシナリオが動き出した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのにいつのまにか溺愛ルートに入りそうです⁉︎

sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。 遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら 自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に スカウトされて異世界召喚に応じる。 その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に 第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に かまい倒されながら癒し子任務をする話。 時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。 初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。 2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。

前世持ち公爵令嬢のワクワク領地改革! 私、イイ事思いついちゃったぁ~!

Akila
ファンタジー
旧題:前世持ち貧乏公爵令嬢のワクワク領地改革!私、イイ事思いついちゃったぁ〜! 【第2章スタート】【第1章完結約30万字】 王都から馬車で約10日かかる、東北の超田舎街「ロンテーヌ公爵領」。 主人公の公爵令嬢ジェシカ(14歳)は両親の死をきっかけに『異なる世界の記憶』が頭に流れ込む。 それは、54歳主婦の記憶だった。 その前世?の記憶を頼りに、自分の生活をより便利にするため、みんなを巻き込んであーでもないこーでもないと思いつきを次々と形にしていく。はずが。。。 異なる世界の記憶=前世の知識はどこまで通じるのか?知識チート?なのか、はたまたただの雑学なのか。 領地改革とちょっとラブと、友情と、涙と。。。『脱☆貧乏』をスローガンに奮闘する貧乏公爵令嬢のお話です。             1章「ロンテーヌ兄妹」 妹のジェシカが前世あるある知識チートをして領地経営に奮闘します! 2章「魔法使いとストッカー」 ジェシカは貴族学校へ。癖のある?仲間と学校生活を満喫します。乞うご期待。←イマココ  恐らく長編作になるかと思いますが、最後までよろしくお願いします。  <<おいおい、何番煎じだよ!ってごもっとも。しかし、暖かく見守って下さると嬉しいです。>>

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】第三王子殿下とは知らずに無礼を働いた婚約者は、もう終わりかもしれませんね

白草まる
恋愛
パーティーに参加したというのに婚約者のドミニクに放置され壁の花になっていた公爵令嬢エレオノーレ。 そこに普段社交の場に顔を出さない第三王子コンスタンティンが話しかけてきた。 それを見たドミニクがコンスタンティンに無礼なことを言ってしまった。 ドミニクはコンスタンティンの身分を知らなかったのだ。

処理中です...