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第1章

第11話 『家神荘』の異界術師と呼ばれて

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 フラフラになりながらも、魂を神の池に深く投げ込んだあの晩……。ゆらゆらと揺れる水の中は、遠のく意識を浄化していくようだ。
『スイレン……みんな……必ず、あの日をやり直して……』

 走馬灯のように駆け巡るこれまでの人生……概ね順調に見えていたオレの人生は、最初からきっと滅亡の呪いがかけられていたのだろう。

『スグルどの……また、会えた。今度こそ、2人でひとつの蓮の花に……』
『ああ、誓うよ……オレたちは、一蓮托生だ……』
 美しい女神スイレンと手を取り合い、唇を重ねていく。

 深く深く、水の底に沈んだ2人の身体はやがて蓮の花の寝台に辿り着き、もう1度生まれ変わるためにそっと眠りについた。


 * * *


 それは、長く続いた夏休み最後の日の出来事。
 夢の中では、オレは既に魂だけの存在となっていて、美しい女神とともに穏やかな暮らしをしていた。
 女神とオレは相思相愛で、来世でも結ばれる誓いを交わした。優しい口づけは、まるで夢ではなく本当の出来事のようで……。

「スグル様……スグル様……」

 誰かの声が聞こえる……。どうやらもうすぐ夢が終わるようだ。

「スグル様……起きて下さいにゃ。スグル様……」
「う、うん……?」
 ……可愛らしい誰かの声……でも、語尾に『にゃ』のつく知り合いなんていたっけ? それに、なんで様付け? オレ、そんなにこの家で偉くないぞ……。

「スグル様、お姉様が……ツグミ様がお呼びですにゃ。起きて下さいにゃ」

 お姉様か……うちの姉もずいぶん偉くなったものだ。そうだ、姉のツグミはいつも気まぐれで、思いついたように用事をオレに頼み込むのだ。例えばミミちゃんの猫缶とか……。

「いい加減、起きてくださらないと、ミミはツグミ様にどんな顔をしたら良いのか……。あぁ、1人前の猫耳御庭番メイドへの道は厳しいのにゃ」

 ミミは……? まるで、メイドさんの名前がミミという名前のような言い方だ。ミミちゃんは、我が家で飼っているメスの白猫のはずである。決して、猫耳御庭番メイドでは……?
 メイド……だと、ミミちゃんが?

「はぁっ? ミミちゃんがメイドッ?」
「にゃあっ! びっくりしましたにゃ。でも、目が覚めたようで安心ですにゃ。昨晩は随分とうなされていたようですが、大丈夫でしたかニャン」

 ショートボブの銀髪に猫耳がピコピコ動くミミちゃんは、大きなクリッとした目が印象的な美少女メイドだ。まぁうちのペットのミミちゃんが、人間化したらこんな感じなんだろう。

 服装はオーソドックスな黒系のミニスカメイド服だが、御庭番を自称しているだけあって腰には苦無が下げられている。
 スラリと伸びる美脚は、白ニーソで守られており、絶対領域がチラリと見えた。ちなみに、白い尻尾も健在である。

「ミミちゃん……本当に、人間型のメイドさんに……? あれ、オレ寝ぼけているのか……」
「スグル様は寝ぼけているわけではありませんにゃ。確かに、異界からワープしたての頃は普通の白猫でしたが、この家神荘に住んでいるおかげで、安定した霊力が供給されますのにゃ。さぁ今日の準備をしないと……」

 家神荘……そういえば、この部屋のインテリアは祖父より引き継いだ裏山の洋館【家神荘】のものだ。ふかふかのベッドは寝心地が良く、思わず熟睡してしまった。しかし、今日の予定が思い出せない。

「今日の準備……? えっとSSSランクのあやかし討伐とか……?」
「そんな、物騒なものではないですにゃ。今日は、大切なお客様がいらっしゃる日です。いつもよりもさらにカッコいいスグル様で攻めましょうにゃ!」


 * * *


 オレの両親は仕事の関係で海外におり、諸事情で日本に居残った高校生のオレ、家神スグルは、大学生の姉ツグミ、中学生の妹アヤメ、ペットの白猫ミミちゃんと女ばかりに囲まれて暮らしていたような気がする。

 まず、住宅事情が昨日までの記憶と違う。確かに洋館【家神荘】は、我が一族の所有物件だが、本宅としては使用していなかったはずだ。
 記憶を思い出そうとしても、ズキズキと頭が痛んでこうなった経緯を思い出せない。

 自室の洗面で顔を洗い歯を磨き、服を着替えて……。ひと通りの身支度が済んだところで、改めて猫耳御庭番メイドのミミちゃんから事情をきいてみることに。

「えっとさ……ミミちゃん。ウチっていつからこの別荘に暮らしていたか……知っている? 山のふもとに普通の自宅があったような……」
「にゃにゃっ? 山のふもとのおウチは、15年前の事件の関係で封鎖になったと聞いています。当時のことは知らないので、話題にするのはタブーとしか聞いていませんのにゃ。スグル様もお気になさらないように……」

 15年前、事件、タブー……オレが昨日まで暮らしていた場所は、とっくの昔に封鎖されていた。どういうことなんだろう? 記憶や歴史が都合の良いように改変されているようだ。


 もう少しで記憶を取り戻せそうなところで、誰かの足音が廊下から聞こえてきた。何気ない雰囲気で、扉をノックしてきて、姉がにこやかに告げた。

「ねぇ、スグル。あんた今日から婚約者と暮らすことになったから!」
「ふぁッ? 婚約者……オレにそんな女性いたっけ……。しかも、今日からっ?」

 思わず、素っ頓狂な声を発してしまう。いくら、恋に恋するお年頃だからといって、からかっているのならやめてほしい。だが、期待で思わず顔が赤くなる。

「うふ、やあねえ……照れちゃって! あんた小さい時に、異界でスイレンちゃんに会ってから一目惚れして出会ったその日にプロポーズしちゃったじゃない? せっかく、初恋が実るんだから姉さんに感謝してよね!」
 スイレン……その名前を聞いた時から、封じられた記憶がポツポツと降りしきる雨のように……。そして勢いとともに一気にざあっと、記憶が流れ込んできた。

 そうだ、オレはあの晩……滅亡の呪いから逃れるために神の池に魂を捧げて……。目が覚めたら、ここにいて……。思わず、背筋が凍りつく。

「……スイレン! スイレンは無事なのかっ? あやかしとかにやられてない?」
「もうっお兄ちゃんったら! 不吉なこと言わないでよ。あぁ……今月はあの事件から15年目なんだっけ。大丈夫だよ、だってスイレンさんのことはお兄ちゃんが守るんでしょう!」
 黒いセミロングヘアを揺らして優しく微笑む妹。ひとつ年下の中学生で名前はアヤメだ。

「ああ、スイレンのことはオレが全力で守るよ」
「もうっ惚気たいだけなら、いちいち騒がないでよねっ」

 エスカレーター式の女子校に通学しており、中学3年生という恋に興味がわく年頃。暇だ、退屈だと、しょっちゅうぼやいているし、オレの恋愛事情にも関心があるのだろう。

 あの事件……のことだけが、引っかかる。オレの記憶が確かなら事件の被害に遭ったのは、オレたち一家はずだが、とっくの昔に終わったことになっている。
 それとも、オレの記憶が事件の被害を受けた誰かの記憶と混ざり合っていて、まるで自分が被害を受けたような気になっているだけなのだろうか?

 時間を巻き戻す際に、修復できなかった事件の傷跡を、過去の時代に起きたことに改変する事で辻褄を合わせた……と解釈するのが妥当なようだ。


 その後、一階の広間に降りて朝食。ミミちゃんの他にも料理係を雇っているらしく、姉が食事の準備をしている様子は見られなかった。

 朝食のメニューは、和食と洋食がミックスされたもの。ご飯、おみそ汁、アジの開き、ほうれん草のおひたし、肉じゃが、きんぴら、湯葉巻き……。と、和朝食が並ぶ一方で、ガレット、厚切りホットサンド、コーンスープ、オムレット、魚のピカタ、チキンサラダ、野菜のマリネ、フルーツの盛り合わせなど……次々と運ばれてくる。
 どうやら、好きなものを選んで食べれば良いようだ。

「しかし……ひさびさにレンゲ族の女神様からお嫁さんをもらうことになったわね」
「ねっこれで、家神一族も安泰だね。うちの一族で呪力が強いのってもうお兄ちゃんだけなんだもの」
「えっ……?」

 我が『家神家』は、その名の通り家神のチカラで術を使う陰陽師一族の末裔だ。
 確かに、姉や妹はオレに比べると強力な術を操れるわけではない。だが、まったく霊感がないわけではなかったはず。

「あの、でもさ……姉ちゃんやアヤメだって家神一族……」
「もうっ、お兄ちゃんったら。散々試してみても、私たちは霊感がほとんどないんだから……。でも、同じ家神一族として頑張るから」
「そうよ、我が家ではスグルだけが頼りなんだから……。お願いね、【家神荘の異界術士】さん!」

 家族も世間もオレのことを『家神荘の異界術士』と呼んでいるようだ。おそらく、この家神一族の中では、オレしか異界術師を継いでいるものがいないのだろう。

 そうか、あの晩の【死に戻り】を果たすために、姉と妹は魂に眠るほとんどの霊力を使い果たしてしまったんだ。


 * * *


「じゃあ、祠までスイレンを迎えに行ってくるから……」
「庭の敷地内の祠だから、大丈夫だとは思うけど……気をつけてね」
「にゃあ、どうかお気をつけて……」
「いってらっしゃいっ!」


 一歩外へ出ると、生い茂る木々のおかげで残暑厳しい午後の日差しが和らいでいるのを感じ取る。
 亡き祖父がオレたち孫に遺してくれた別荘は、レンガ作りの洋館。どうやら、2巡目の世界線ではこの別荘を本宅として使用しているようだ。

 愛する人を迎えるため……洋館のさらに奥にある敷地奥の古いほこらを目指す。婚約者の女神スイレンは本当に無事なのだろうか。
 姉達のようにスイレンもあの晩の記憶を失っているのだろうか。それとも、オレと同じように記憶を保持できているのだろうか……分からない。

 別荘敷地の奥に回ると、祠の周囲には、美しい蓮の花や睡蓮の花が咲き乱れる大きな池があった。ご神気の高まりを感じ取り、スイレンの気配が漂い始める。

 ふわぁっ……と風が吹き、思わず目を瞑る。そして、睡蓮の花が開くような静かな音が聞こえてきた。

 すると、天から清廉な光とともに、ひとりの美少女が現れた。
 長い絹のような淡い青紫色の髪、大きく透き通る水色の瞳、雪のように白い肌は細身ながらも柔らかそうな艶を放っている。

 一見すると、記憶の中にあるスイレンとまったく同じだが……喉から鎖骨のあたりにかけて見慣れない『ホクロ』がひとつ。
 まさか、1巡目の世界で傷つけられた怪我の名残なのだろうか? 

 再会に気持ちが抑えられず、思わずスイレンの細い身体をきつく抱きしめる。

「スイレン……!」
「スグルどの……会いたかった……。今度の命こそ、ずっと……スグルどのと……一蓮托生に……」
「ああ、誓うよ……キミに、スイレンに魂の服従を……!」

 再会の口づけを何度も何度も繰り返し交わす……今度こそ、永遠の服従を誓うものとなるように。

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