上 下
35 / 79
幕間2

01

しおりを挟む
「行ってらっしゃいティエール。ゆっくり朝食の支度をしてるから」
「あぁ行ってくるよ」

 精霊族の朝は、早い。ティエールは日課である朝の散歩を行うために、ロッジの扉を開けた。すると、物陰からティエールの方へと近寄ってくる小動物の気配。素早い動き、しなやかなシルエット、そして細長い尻尾がゆらりと揺れる。

「んんっ?」
「にゃっ……?」

 サッと現れた小動物の正体は、大人になりたての年若い白猫だった。ロッジの出入り口の前で、ちょこんとお座りしてティエールを『じっ……』と見つめている。短毛の白い毛並みは貴公子のように麗しく、澄んだ水色の瞳は宝石の色、ピンッと立った耳は、好奇心旺盛な性格を現しているかのようだ。
 この白猫は俗に言う地域猫というもので、この辺りの森に住む精霊達の住まいを転々と渡り歩いている。

「おはよう白猫君、今朝もいい天気だね。いろいろと人間界は混み入った事情で大変そうだけど。何とか良い方向に導いていきたいものだ」
「みゃああんっ」

 おはようの挨拶もほどほどに、ティエールの足のあたりにスリスリと顔をくっつけて来て、甘える仕草。どうやら今日はティエールの家で、ご飯を貰いたい様子。

「んっなんだ。朝ごはんが欲しいのか、ちょっと待てよ……ここに備蓄が。ほら……小魚だよ」
「ふみゃっ!」

 森のフリーエリアに備え付けられた地域猫用の餌ケースから、保存食である煮干しの小袋を取り出して白猫に与えた。すると、待ってましたと言わんばかりに、小魚をほおばっている。

「ふふっ【早起きは三文の徳】って言葉が異国にはあるらしいよ。お前も食事にありつけたから、三文分くらい得したかな? 僕は朝のお散歩に行ってくるから、見張りよろしくね」
「みゃおおおんっ」

 朝靄が消えぬ街路樹をゆっくりと、慣れた足取りで歩き始めたティエールを見送る白猫。ロッジの玄関前で外敵を警戒するように佇むその姿は凛々しく、ちょっとした番人のような気分なのである。


 * * *


 まだ靄がかかっているような早朝にも関わらず、森林の中心的な存在である湖には多くの精霊が憩いの時間を過ごしていた。植物を依代とする精霊族にとって、朝に花を深呼吸させるかの如く新鮮な空気を吸うことは重要だ。ティエールも森林や湖の水辺から発せられるマイナスイオンを全身に感じながら、自らの精霊力を充満させていく。
 すると数日ぶりに、馴染みの散歩仲間である老樹様とペットの狼犬に出会った。

「おはようございます老樹様、今朝は良い【気】がみなぎってますね」
「ややっティエールさん、この数日は早朝のお散歩をお休みでしたが、今朝から再開ですかな?」
「わうん?」

 尻尾を振りながら擦り寄ってきた狼犬の頭を撫でつつ、老樹様に挨拶をするティエール。老樹様はかなり昔に隠居した精霊神で、ティエールとは遠い親戚に当たる。いや、この森林に住まう精霊の殆どが、ティエールの遠い遠い親戚と言っても過言では無い。
 皆、菩提樹やオリーブなどの木々を依り代にした精霊であり、この森林そのものが彼らの命の息吹なのだ。

「えぇ。イザベルの方もだいぶ精霊界に慣れてきたと思うので、僕も日常に戻ろうかと」
「ほうほう! うちのポチもティエールさんに会えなくて寂しがっていたので、安心しましたぞ。ではまた……」
「きゃうんっ」

 湖の辺りをぐるりと一周するまでに、ティエールは何人かの顔見知りに出会い、その都度軽い世間話を交わした。そろそろ帰りのルートに着こうとした時に、一人だけ自分達の森林とは異なる依代を持つ精霊の姿。

「先日は、お世話になりました。ティエール様……今朝はイザベルさんはご一緒ではないのですか?」
「えぇと、貴方は……精霊庁直属騎士の……ロマリオさん! えぇとすみません、イザベルはロッジで朝食の支度中でして」

 端正な顔立ちの騎士は、イザベルが精霊候補として招かれた初日に怪我の手当てをしたロマリオだった。礼儀正しく紳士的な好青年のロマリオだが、その瞳の奥にはほんの少しの違和感が。

「出来ればその……イザベルさんに直接お礼を申し上げたかったのですが」
「そうだ! 宜しければうちで朝食を摂っていきませんか? そうすれば、イザベルとも直接会話出来ますし」
「……! さ、流石に二人の新居に直接乗り込む根気は自分には……。多分、今日のお仕事でご一緒することになると思いますので、その時はよろしくお願いします! では見回りに戻りますので!」

 ティエールはフレンドリーに接するが、ロマリオはまだ少しギクシャクした仕草で、そそくさと見回りに戻ってしまった。

(ロマリオさん、だいぶ具合は良いみたいだけど。もしかして、まだ本調子じゃないのかな?)

 慌てて踵を返すロマリオに、首を傾げてその背中を見つめるティエール。

 ――まさか立ち去っていく好青年が、自分の婚約者に片想いしているとは夢にも思わずに。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

私達、政略結婚ですから。

恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。 それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

完結 冗談で済ますつもりでしょうが、そうはいきません。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の幼馴染はいつもわがまま放題。それを放置する。 結婚式でもやらかして私の挙式はメチャクチャに 「ほんの冗談さ」と王子は軽くあしらうが、そこに一人の男性が現れて……

神様のうそ、食べた。

篠原愛紀
恋愛
拝啓 神様。 貴方がついた嘘、むしゃむしゃ食べて良いですか? ――――――――――― 表紙を花閂さまより頂きました。 ーーーーーーーー―ーーーーーー 神様。 たった一夜の過ちを、嘘だと言って下さい。 神様なんて居ないのに、そう祈ってしまう。 婚約者に言われて、何も知らないまま受けた『ブライダルチェック』 それで知った私の女としての欠落部分。 婚約を破棄されたあの日、傷ついた私を優しく抱き締めてくれたのは、――弟でした。 婚約し仕事を失った私は、地元の大分に帰ってくる事に。 そこで、仕事だけに生きていくと心に……ってあれ? 「お前、負けたままで逃げてんじゃねーぞ」 元上司が、有給使って連れ戻しに来た?? 「どこに居ても、お前は俺の部下だろう?」 タレ目で俺様、 仕事は容赦ない鬼部長。 「お前を連れ戻しに来た」 なんで私なんかを? 「来い、みなみ」 部長は自分の隣の席をポンポン叩いた。 煙草の匂いが、甘く私を酔わせていく。 ――優しくしないで欲しい。 「じゃあ、欠陥品同士仲良くしようか?」 そう私に笑いかけた貴方に、ただただ惹かれていく。 ーーーーーーーーーーーーー 保育士 蓮川 みなみ  25歳 弟 蓮川 侑哉(ゆうや)20歳 元上司 橘 水樹(たちばな みずき)28歳

処理中です...