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第一章 お山の中の世界
四、終わりと始まりの夜 壱
しおりを挟むぱちぱちと篝火が弾け、ふいにランは身を起こした。
寝静まる夜の森の入口。そこがランの寝床であり、縄張りであった。あくまで入口であり、奥はまた違う生き物たちの領域だ。禁を犯せば、魂もろとも喰われる。
その、森の奥で何かが蠢いた。
姿形が判別できないほどの闇の森にあるにもかかわらず、何かの気配を、息づかいを感じる。
何だろう、とランは目を凝らす。
他者の領域に踏み入るような無礼をする気はないが、相手はランの気を引こうとしているようでもあった。
その気配を、もしここにいない、一族の者たちが察知すれば、忽ちに有無を言わさず滅するほどの不愉快さであり、畏ろしいモノでもあるのだが、ランには常日頃襲い来る暗殺者と変わらないモノであった。
自ら殲滅することはないが、己に害をなすようであれば排除する類のモノであった。
遠くから大きな風がやってくる感じがして、しかし風が来る前に、篝火が大きく燃え上がって揺れ動いた。
ハッ、とランは体を緊張させ、さらに目を大きく開いて、森の奥の蠢くものたちに注視する。
音は成さなかった。けれど。
ーー呼ばれた?
声を出さず、また名を呼ばれたわけでもないのに、なぜかランはそう思った。
ランでもスウでもない、もっと別の、音にならない声で『自分』を呼ぶものの鼓動を感じた。
森の奥は他者の領域。
ランの居場所は入口のみ。
それは重々承知しているが、それでも、ランは森の中へ一歩踏み出した。
その時、屋敷の丁度反対側から、大きな破壊音と男たちの怒号が響いた。
ふとランは我に帰った。
視線を無意識に音のあった方へ向け、それから、そう言えば森の中はと思って視線を戻すも、もう蠢く存在は感じられなくなってしまった。
さらなる奥へ引っ込んでしまったとでも言うべきか。
しばし、森の奥をじっと見つめ、なんの変化もないことを確認して、未だ鳴り響く、深夜には不釣り合いな喧騒の元へ、ランは駆け出した。
*
裏口から屋敷の中に入った瞬間、鼻をもぎとりたくなるような嫌な匂いがした。濃い鉄の匂い。ーー夥しいほどの流血によって作られるものだ。
日頃の暗殺者たちの撃退で嗅ぎ慣れてはいるが、それでもいつもよりさらに濃い匂いだった。
戦闘の音がする。怒号と剣戟、そして一族特有の厭な気配。有象無象が寄ってたかって、一人を排除しようとする気配だ。
騒動の中心へ駆けていると、いつの間にかピチャピチャと水を蹴っていた。赤黒い、脂の水溜りが、夜の闇にかかわらず、見て取れた。
ーー他所者を滅ぼし尽くせ。
それは一族の現最高権力者の命令だった。
一族に仇なす者は悉く排除することを旨とし、古来より続く血の絶えぬことを至上命令とした。
一族の血が途絶えることはあってはならない。
一族の血が薄れることもあってはならない。
徹底した一族主義だが、外に出たことのないランにとっては、それは常識であった。
朝が来て、夜が来ることと同じであった。
だからランはどこぞの誰とも知れぬ侵入者を殺さねばならない。
一族の者たちがすでに、争い始めてから時間が経っている。彼らにしては珍しいことだ。本来ならものの数秒で屍が出来上がるものを。
暗殺と呪殺を、お家芸とする彼らにとっては失態もいいところだ。
その時、ピリッと電気が走るほどの殺意を、感じた。
思わず足を止めて気配を探ると、馴染みのない侵入者と恐ろしい長兄の気配を感じた。
先ほどまでの有象無象の一族が全て引き潮のように下がってる。
ざわざわと屋敷内の空気が震えている。
ランはまた走り出した。
自分の名を呼ばない長兄も、一族も、生きようが死のうがランにはどちらでも構わないことだった。
失ったところで、心が千々に切れるわけではない。
けれど、もし、この殺意を孕む両者が死合うのならば
自分は見届けねばならないだろう、と本能的に思った。
もう幾つもの骸を通りすぎた。
どこから侵入者したのか首を傾げたくなるような道から、転々と続く骸と血だまり。
生者には未だかち合わない。
無駄に大きな屋敷をかけ、ようやく大広間の扉が目に入った。
ざわめく気配が大きくあった。
ランは、自身には大き過ぎるその扉を小さな両手で思い切り開ける。
飛び込んできたのは、腹部から鮮血を曼珠沙華のように放ち、倒れ行く長兄と、
ーーその向こうで三日月のように嘲笑う、若い男の姿だった。
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