群青色の空の中

マナ

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第一章 お山の中の世界

一、家族

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冷たい石の上に座れば、ご飯が投げられた。
うり坊一体。
人の外見にして、四歳ほどに見受けられる幼子は、空を見上げるように晩ごはんを投げ捨てた大人の顔を見上げた。

「喰らえ、スウ。終わったら、ツギノマへ行け」

幼子は不服そうに眉を寄せた。
別に、なんの調理もされていないうり坊一体を放られたからでも、その放られた先が枯れ草の上だったからでも、仕事を終えた自分に何の労いもなかったせいでも、おおよそ温かみなど微塵も滲ませないくせに家族だと嘯く態度のせいでもない。
そんなことは、幼子には当たり前のことだったし、取り立て腹をたてることでもない。
腹立たしいのはそんなことじゃなくてーー

「スウじゃない。僕の名前は、ラン」

幾度となく繰り返した抗議の声。
そして返る反応もまた幾度と繰り返される変わらない嘲笑と侮蔑。

「違う。お前はスウ。ただの、四番目だ」

そうして、幼子の家族と嘯く大人は、腹いせなのか泥のついた靴でうり坊を足蹴にし、これ見よがしに泥土を擦り付け、少し離れたところに見える大きな屋敷へと帰っ行った。

スウと呼ばれた幼子はしばらくその背を見つめ、そしてはたと空腹に気づいたかのように徐に小さなうり坊へ手を伸ばし、一度ゆっくり抱きしめて、ぽつりと呟く。

「僕の名前はラン。スウじゃない。ランだもの」

空の色がまた変わり始める。
風は冷たく、幼子は独り空を見上げる。

「ランだもの。だって、あの人がくれた名前だもの」

闇色の髪と瞳を持つ幼子だった。
それは、人ではなかった。
されど、幼子の家族と嘯く人たちは、人間だった。

この世に生まれ落ちてから、唯の一度も名を呼ばれたことのない幼子は、自分が家族と違い、人ではないことを知っていた。
けれど、自分が何者かはわからず、また、知るものもいなかった。

母と父はどこかにいるらしい。
時折囁かれる家族たちの内緒話にそれは理解できた。
会いたい欲求はそれほどなかったけれど、幼子には一つだけ欲求があった。

ーー名前を呼んでほしかった。

スウという数字ではなく、ランという自分の名を呼んでほしかった。
それは、幼子が持つ、大切なものだった。

誰にも呼ばれない代わりに、何度も自分で自分の名を告げた。何度も何度も。
それでも唯の一度も呼ばれなかったけれど、悲嘆にくれることはなく、それはいつしか当たり前のことになっていた。
自分の名を忘れないように、自分で声に出した。

誰か呼んでくれないか。
誰なら呼んでくれるか。
叔父と名乗った人は呼んでくれない。
兄弟たちも呼んでくれない。
外からやって来る敵だって、当たり前だが呼んでくれない。

なら、生みの親はどうだろうか。

そんなささやかな期待を持って、両親の存在を意識してみる。

明日も明後日も明明後日も変わらない日々は続いていく。
惰性というには、命の危機が常にあったし、嘆く暇があれば、一人でも多くの敵を殺し、ご飯にありつかなければならなかった。
生きる、という本能のまま、来る日も来る日も生き延びた。

今宵も月は美しく、花は強く、そして地面に横たわる死体の山は汚らわしかった。
けれど、それらは皆、同じ世界に存在していた。

幼子はーーランは、遠く想いを馳せる。
名前をくれた人へ。
誰より特別な人へ。

自分はその人に、何ができるだろう。

堂々巡りの自問自答をしながらも、ランは本能のまま、取り敢えず空腹を満たすことにする。
嗅覚はすでに周囲に立ち込める腐臭によって役には立たない。

隠し持っていた石を打ち鳴らし、枯れ草の束をかき集め、火をつける。うり坊をその中へ放り込み、肉の焦げる匂いを嗅いだ。

人間の焼ける匂いと異なり、うり坊の匂いは食欲をそそった。
人肉は嫌いだった。
食べねば空腹で死ぬため、吐きながら食べる人たちは珍しくもなくいるが、自分はそこまでして食べたくはなかった。
食べるくらいなら七日でも十日でも空腹のまま彷徨うほうがいい。

火が弱々しくも爆ぜる音を立て、剥いでいた毛皮を意味なく叩き、空を見上げる。

「お月様」

ゆっくりと右斜め前へ視線をずらす。

「お花」

ランは、目を細めながら無邪気な笑みを作る。
とても綺麗なものを見て、嬉しげな顔だった。

嫌いなものと好きなものがある。
醜いものと美しいものがある。
弱いものと強いものがある。

一方が増せばもう一方もまた増し、互いに飲み込むように存在が際立った。

それは、追い込まれた世界の在り方なのかもしれなかった。
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