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第九章

第65話『憧れと追う背中と謎』

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「白刃桐吾君、入室お願いします」
「はい」

 名前を読んだのは、男の先生。
 控室に集められたメンバーの中から、桐吾の順番が回ってきた。

 部屋の中に入ると、始めてみる先生が目の前に立っている。
 上級生を担当している先生であろう、その先生の指示に従って部屋の中央に設置してある椅子へ腰を下ろす。
 部屋全体を見回すと、先生が座るであろう椅子が一つ。それ以外な机や本棚すらない。あるのは天井にある灯り用の装置のみ。

「白刃君、これから行われる試験の内容について、何か質問はありますか」
「いいえ、特にありません」
「そうですか。では、試験への同意をこの書類へ記入してください」

 先生は一枚の用紙を桐吾へ手渡す。
 内容は簡潔なもの。

 試験の内容を終了するまで口外しない。
 本試験は精神的苦痛が伴うものであるため、試験の最中に起きた問題について学園は一切の責任を負わない。
 以上に同意する者は、こちらへ署名を。

 と。
 流し目で読み終え、桐吾は迷わず署名する。

「ふむ。キミはあまり見ないタイプの子だね。普通は一瞬でも迷うものなのだが。本当に大丈夫なんだね?」
「はい、大丈夫です」

 桐吾に向ける先生の目は、他の人とは少しだけ違った。
 大人ならば、大体の人が知っているほどには有名な家系。
 意志の強さという、血筋は争えないもんだな、とその目は語る。

 記入を終え、先生が回収。

「じゃあ早速始めます」
「お願いします」
「【ダゾール】」

 書類を書いている時に召喚した片手杖で、スキルを発動。
 スキルをかけられた桐吾は、意識が遠のき、すーっと体の力が抜けていき首が垂れる。

 幻覚の始まり。
 それは、追いつきたい背中。

 桐吾は自分の体が小さいことをすぐに気づく。
 いつもより目線が低いというのもあるし、何より普段から握る木刀があまりにも小さく、握る拳もまた小さいからだ。
 いつもの光景、いつもの修行、いつもの背中。
 自分とは別にもう1人が一緒に素振りをしている。
 それが誰か、なんて桐吾は疑問を浮かべることはない。
 なぜなら、毎日のように観て、毎日のように真似、毎日のように追いかける、唯一の兄なのだから。

「よし、そろそろ打ち合うか」
「はいっ、お願いします!」

 その合図により、互いに向かい合う。

「――始め!」
「ふっはっ、はあ!」
「まだまだ踏み込みが甘い、もっと力強く、もっと冷静に判断しろ」
「はいっ」

 桐吾は小さい体ながら、必死に木刀を打ち込む。
 打ち込んで、軽く払われ、打ち込んで、飛ばされても粘り強く何度も。

 今だ、と好機だと見計らって飛び込むも、結果は変わらず。

「じゃあそろそろ、出掛けるから1人で頑張れるな」
「はい、やります!」
「いいぞ、その調子だ」

 桐吾の頭をポンポンっと優しく撫でた、桐吾の兄は小走りに去って行く。

(ああそうさ。僕はいつだって優しくて強い兄さんの背中を見てきた。本音を言えば、もっと一緒に居たい、いろんな話をしたい、一緒に遊びたい。これは、ただのわがままで欲張りだっていうのはわかっている。だけど――いや、だからこそ、僕は兄さんに追いつきたい。兄さんのような強い人間になりたい。だから――)

 桐吾はスッと瞼を持ち上げ、手を上げる。

「っ! これは驚いたよ。十分か。好記録だね」
「ありがとうございます」
「では、今回の試験はこれにて終了。仲間とすれ違うとは思うけれど、試験内容は他言無用で」
「わかりました」

(――だから、僕は進み続けるんだ)



「次、月刀結月さん」
「はーいっ」

 控室から、試験を実施する部屋まで移動して、書類へと記入。
 相手は女の先生、こちらもその目は別の言葉を語っている。

「月刀さん、本当に大丈夫ですね」
「はいはい、全然問題ありませーんっ」
「あなたね……試験の最中なのだから、少しは緊張感を……それは無理そうね」

 先生は肩を下ろして軽くため息を零す。

「それでは始めます」
「お願いしまーっす」
「【ダゾール】」

 結月の体からすーっと力が抜けていき、頭を下げる。
 先生は、目の前で眠る結月に対して愚痴を零す。

「はぁ……名家ってのは、どうも扱いにくいのよね。書類の記入でさえあんなにあっさりとしちゃうし。何を考えているのかサッパリだわ」

 手に持つ書類に視線を下ろす。

「『刀』の一族、ねぇ。二学年には2人も居るって聞いてるけれど、実際のところはどれほどの実力なのかしらね。座学は点数を見ればわかるだろうけれど、実技は見てみないとなんともね」
「先生、今は試験中ですよ。もう少し緊張感を持った方が良いんじゃないですか?」
「そうだったわね。ごめんなさい、気を……つけ…‥」
「先生、私が手を上げてるのに気づいてくれないんだもーん。話しちゃったけど、問題ないですよね?」
「え、ええ。ごめんなさい、私の不注意だったわ。じゃあ、これにて試験は終了になります。後は――」
「他言無用無用ーっ、です、よね?」
「え、ええ。わかっているならそれでいいわ」

 結月は鼻歌るんるんで部屋を後にした。

「う、嘘でしょ……私が目を離していたのは、たったの一分程度よ…………」



「それでは、長月一華さんお入りください」
「は、はいっ」

 手汗を握りながら一華は立ち上がって歩き出す。
 それは女の先生が少し微笑んでしまうほど、ギコギコと音が聞こえてきそうなほどにはぎこちない歩き方をしていたからだ。

「長月さん、あんまり緊張しないでね」
「は、はいぃっ!」
「ではこちらへお座りください」
「し、失礼しまふ」

 一華は自分で噛んだことに気づいていないけれど、先生はバッチリと聞こえていた。
 あまりにも微笑ましい光景を前に、先生はクスッと笑みを零す。
 一華は心臓が口から飛び出そうなほど緊張しているため、それすらも気づけていない。

「――大丈夫? ちゃんと目を通した?」
「はいぃ、み、見ましたっ」
「長月さん、一旦大きく深呼吸をしましょう。はい、吸ってー――吐いて――吸ってー――吐いてー。どうかしたら、少しは落ち着けたかしら」
「はい、なんとか。こんなことまでありがとうございます」
「いいのよ。じゃあそろそろ始めるわね。結果はどうあれ、気をしっかりと、ね」
「ありがとうございます」

 無理もない、ここまで緊張してるかつ少し弱弱しい姿を見せられれば、先生は一華がこの試験をクリアできないと断定してしまってもおかしくはない。

「じゃあいくわよ。【ダゾール】」

 一華の全身の力が抜けていく。

 獣のような匂いが鼻を突く。
 そして、あらゆる方向から悲鳴が耳を叩く。
 同じくして何かの方向が辺りを全身を震撼させる。

『グオォォォォオォオオオオオオオオ!!』

 ただ事ではない。
 一華は閉じたまぶたを持ち上げ、現状を見る。

 しかし声の主は、あまりにも大きく、あまりにも人間離れした隆々とした筋肉を有した全身をしていた。
 頭は二本の角を生やした羊頭。二足歩行でずっしりと構える右手には人間が持つことは不可能な大きさの巨剣。
 視線を少し落とすと、そいつが暴れたであろう痕跡があちらこちらに傷となって残っている。
 ここは街の中。
 対するは名前も知らないモンスター。

 視線を自分の体に移す。

 左手には馴染みのある自分の体をすっぽりと覆い被せられる大盾。右手には、あまり持つことのない頼りない片手剣。自分の身を守ってくれる装備はなく、薄い生地のワンピース。

 視界を前へ戻す。

 辺りは惨劇、建物の瓦礫に悲鳴を上げて逃げ惑う人々。
 戦っている人は誰も居ない。対するのは一華のみ。
 モンスターからはまだ少しだけ距離がある。逃げるのなら今のうち。

 無理もない、そんな状況で一華は呼吸が浅く早くなり、脚と手が震え始める。

(あんなのに敵うはずがない。今ならまだ間に合う。逃げなくちゃ。じゃなきゃ死んじゃう)

 自分の力量は自分が良く知っている。
 ナイトというクラスに戦闘する手段は数多くない。
 戦ったことのある雑魚モンスターならまだしも、今目の前に居るのは得体の知れない未知のモンスター。
 無暗に立ち向かえば、その先に待つのは『死』だ。

 逃げようとして振り返ったその時だった。

「キャーッ!」

 女の子の悲鳴。
 一度は逃げるために振り返った一華だったが、すぐにその声の方向に視線がを向ける。
 そこには転倒して逃げ遅れてしまった少女が倒れていた。

(あのままじゃ危ない! ――でも、私が行ったところで何もできない……)

 モンスターは余裕なのか、一歩、一歩とゆっくりとしかし確実にその少女の方へ足を進める。

 声が聞こえた。
 それはどこからなのか、視線を振っても声の主は居ない。
 確かに声がする。
 でもどこから――――いや違う、聞こえるのは心から。

『一華、キミならできる。キミじゃなきゃできないことがある。そうでしょ?』
(ああ、そうだね。そうだったね。私じゃなきゃできないこと、私だからできること、せっかく背中を押してもらったのに、これじゃ情けないね。――それに、私なんかでも憧れちゃうような人ができたんだ。だから)

 一華は一心不乱に飛び出した。
 もしかしたら一撃で押し潰されてしまう、そんな恐怖の目の前へ。

「私が時間を稼ぐから、逃げて!」

 モンスターと少女の間に体を滑り込ませる。

「私が、相手だよ」

 決意を胸に、目の前の恐怖へと臆することなく。



「え、嘘でしょ……」

 一華は意識を取り戻し、規定通りに手を上げる。

「先生、終わりました」
「お、お疲れ様。……これにて試験は終了になります」
「あ、ありがとうございましたっ!」

 一華は、入室した時のどこか危なっかしい雰囲気のままぺこりと頭を下げて、部屋を後にした。

「う、嘘でしょ……二十分だけど、本当にクリアしちゃうだなんて……」
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