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第六章

第42話『気晴らしはやっぱり体を動かす事』

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 夢を見る、いつものように。
 内容に統一性はない。毎回、悪夢。

 ここはどこだろう、見覚えがない。

 目の前に広がるのはあまりにも広大な場所。
 教本に載っている魔写で見たことのある、ダンジョンの光景そのもの。
 記憶が正しければ、序層。草木が生い茂って、ダンジョンと忘れてしまいそうなほど穏やかな空気間のようだ。

 本当に文字通り、夢のよう。

 周りを見渡す――と、顔に靄が掛かる人達が数人。

「なあ、――なんだから――よ」
「そうね。――なんだから、別に――わ」

 僕は彼ら彼女らと少し距離がある。
 なにやら、何かについて話し合っているようだ。
 聞き耳を立ててみるけれど、内容が耳に届くことはなかった。

 でも、あれは。

 何回も見てきた。嫌でも見てきた。見慣れてしまうほど。
 嘲笑う目、侮辱に満ちた笑顔。そして臥せられた言葉――『アコライト』だから、『必要ない』。
 次に待っている言葉もまた同じく。

「おい、俺達の荷物を持ってくれよ」
「あ~、あたし肩が凝り固まっちゃったんだよね」

 僕に拒否権はない。
 需要のないアコライトは、パーティに加入させてもらえるだけでも感謝しなくてはならないからだ。

 反論もせず、床に手放された荷物を拾う。

「おい、逃げろッ!」
「キャーッ!」

 荷物を置き、僕なんて気にも留めず前進していたメンバーの悲鳴が響いた。
 その後、脇目を振らず駆けるメンバーが両脇を通過していく。

 全く状況が理解できない。だけど、答えはすぐに現れた・・・

 見上げるほどの巨体。人間のそれとは比べ物にならないぐらいの隆起した筋肉。荒々しく息を漏らす口には獰猛な牙。頭部には歪に曲がる角が二本。
 右手に握る巨大な石剣を肩に担ぎ、ゆっくりとしかし確実にこちらへ歩み寄ってくる。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ。

 うるさいぐらいに頭が警鐘を鳴らす。
 わかっている、わかっているんだ。
 だけど、僕の足は動かなかった。蛇に睨まれた蛙のように。呼吸すらも忘れて。

 ――息の詰まりに気づいて、ハッと我に返る。
 なら、逃げなくては。
 踵を返して走り出す。

 走って走って走って。

 だけど、歩くあの怪物との距離は一向に離れている気がしない。
 そうだ、荷物を捨てなくては。
 こんなもの、命に比べれば捨てるに容易い。

 息を切らし、必死に逃げる。逃げた。逃げていた。
 でも――転倒してしまう。
 そして振り返る――当然、やつが眼前に。
 口の中が血の味がして、呼吸は荒く浅く細くなって口の中が渇く。
 外にも聞こえそうなぐらいの動悸は、次第に加速する。

 いよいよ最期の時。
 怪物は武器を上段に構え、僕目掛けて一直線に振り下ろされ――――。

「はッ!」

 目をかっぴらき、荒い息と共に強制的な目覚めが訪れた。
 控えめに言っても気持ちの良い目覚めではない。

 こういう時は、日課である勉強より体を動かすのが一番だ。
 かといって、あんなモンスターの夢を見た後に、地下の訓練場で体を動かす気分にはならない。
 じゃあ、ジョギングがいいかな。

 ジョギング用の軽装に着替え、部屋を後にする。

 階段を降りる際、窓から射し込む暖かい日の光は気分も晴れさせてくれる。
 早朝も早朝なため、階段や廊下はできるだけ音を立てずに進む。
 玄関土間に腰を下ろし、ジョギング用の軽い靴の紐をキュッと結ぶ。

「よし」

 極小の声でそう呟いて、玄関を出た。

 まずは無駄に大きい庭へ向かう。
 準備運動をするのが目的だけれど、たまにこうして早朝のジョギングをする際、母さんが植物などに水やりをしている。
 ……のだけれど、今回は居ないようだ。

 空気が澄んでいて美味しい。
 気温も半袖で出るには肌寒いかもしれないけれど、ジョギングをするには快適な温度だ。

 ほど良く体も温まってきた。
 これぐらいで大丈夫、よし、走り出そう。

 魔水晶を使う魔工技術により造られた道路を駆け出す。
 七窟と結界が出現される前、建築材料は木材や石材だったらしい。
 造形美と名高かった時代は去ってしまった。
 全てが全て変わってしまったわけではないけれど、魔工技術の進歩によって全てが便利かつ快適な生活をすることができている。
 こうして走っている道路や家々などは、ダンジョンで摂れる鉱石や魔水晶を他の物質と混ぜ合わせる混合物によって形成されているらしい。

 青空に流れる様々な形態をした雲。
 犬などのペットを散歩する人。
 野良の動物がじゃれ合っている姿。
 急ぎ足で会社に向かう人。
 それぞれの時間が平等に流れ、息は次第に上がっていくけれど、どこか心が落ちついていく。

 こうして景色を眺めながらのジョギングは楽しい。
 難しいこと、苦しいこと、考えすぎていること、本当はそんなことを考えなくてもいいんじゃないかと思えたりしていい気さえする。
 日頃から沢山のことを考えてしまっているけれど、頭を空っぽにできるこの時間は思っている以上に大切なのかもしれない。

「はっぁはっ――」

 半分が家の陰になっている十字路に行き着く。
 ジョギングをする際、どこまで行くとか、どれくらい走るかとかは決めていないけれど、もう折り返そう。
 柄にもなく気ままにやっているけれど、だけどそれがいい。
 このまま行けるところまで行ってみたい。そんなことを思ったことは何度もある。
 でも、今日も学校だから戻らなきゃ。



「はぁ、はぁ、はぁ。――あれ? 兄貴?」
「お、志信じゃねえか。今日はそっちだったんだな」
「うん、なんか、ね。でも、兄貴もそういう気分だったんでしょ?」
「そうだな。今日は外の空気を吸いながら筋トレって気分だったんだよな。ははっ、そういう日もあるよな」
「だね」

 兄貴はこの広々とした庭を有意義? に使っていた。
 こんな曖昧なやりとりをしているけれど、それはどういう気分なのとは直接聞いたことはない。
 逆を言えば、僕もどういう気分の時にジョギングをするのかを言ったことはない。
 互いが互いを気遣い、踏み込まれたくない領域には立ち入らないし聞き出さず。
 兄弟だからか、無言のコミュニケーションという名の配慮。
 異名の『戦鬼』なんて付けられて脳筋全力人間だと思われがちだけど、なんというか僕の、いや、楠城家の頼れる兄貴だ。

「志信が戻って来ったことは、そろそろ時間ってことだな」
「うん。うん? そうだよ?」
「俺は細かいことは気にしないからな。志信が戻ってきたら終わりだって考えていたんだ」
「え、じゃあ僕が戻ってくるまでずっとやっているつもりだったの?」
「そうだが?」

 まあ、これも含んで兄貴らしいんだけれど。
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