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第五章

第34話『弱さの代償』

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 一人になったマーリエットは、不安な気持ちを抱きつつも目線を上げて歩き出す。

 周りの目線がどうも気になってしまい、ついすれ違う人々へチラチラと目線を向けてしまう。
 しかし、そんな心配は全くの無意味であり、誰一人としてマーリエットへ疑いの目など向けていない。それどころか、向けられる目線は善意以外の何ものでもなかった。

 ――ミシッダさんが言っていた通り、ここに住んでいる人達はいい人ばかりなのかな……。

 足を進めていくうちに、不安な気持ちは徐々に払拭されていく。

 パイス村の中で、マーリエットにとってはゆっくりと時間が流れている感覚になっていた。
 賑やかに飛び交う声、子連れの親子が見せる笑顔――それら全ては戦いとは無縁であり、それら全てが多くは語らず平和という事を象徴している。

 ――私はつい数日前まで白で生活をしていた。時々、公務で城下町などに出る事があっても、全部用意されていたもので、人々は皇女としての私しか見てくれていなかった。

 だからこそ思う。

 ――私という存在を無視されているような感じはしちゃうけど、でもそれは違う。これが普通であり当たり前。無関心なのではなく、これが普通に生活するという事なんだ。

 マーリエットはまず皇女という尊ばれる存在ではあるが、こうした今通過していく人々と一緒で国民でもある。
 何を今更、という話ではあるが、たったそれすらもわからない生活を送っていたのだ。
 だからこそ今、その大事なものに気が付けたという事が凄く嬉しく思っている。

 やっと、初めて国民の声がわかり始めたのだと。

「あっ」

 目線を上げていたのは当たり前にしても、注意が散漫になってしまっていたから何も無いところで躓いて前に転倒してしまった。
 運は良く、顔面着地という悲しい結果にはならず手を突く事はできた。のだが……。

「大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございます」
「あら、とっても綺麗な髪をお持ちなのね」
「え……」

 道行く人々の中、一人の女性がマーリエットへ手を差し伸べた。
 マーリエットは、ここまでの心境から村人達の人の良さを理解し、差し出された行為を快く受け取る。

 しかし、その女性が口に出した言葉に心臓が一気に持ち上がった感覚に襲われ、首の右側に垂れているフードと――それと同じく全体に垂れている自身の髪に焦りを感じた。

「……ありがとうございます」
「いえいえ、ここら辺じゃ見ない子だね? ここに来たのは初めてかい?」
「え、ええ。ここの村に来たのは今日が初めてなんです」
「あらそうだったのかい。この村には一人で?」
「一緒に来ている人が居るのですが、夕方ぐらいまで一人で行動する事になっていまして」

 ――全てが終わったと思った。だけど、やっぱりここに住んでいる人達は私の事を知らないのかな。

 自身を象徴する黄金の髪が露となってしまい、今までの行動全てが無意味になってしまったと思っていた。

 しかし、目の前で手を差し出してくれた優しい女性だけではなく、髪が露になってしまっても足を止めて群衆ができない。
 無関心という言葉で片付けられるが、もはやここまでくると、存在自体を知らないと考えた方が妥当である。

「もし良かったら私が案内をしてあげようかい?」
「い、いいえ大丈夫です。村の人達はどなたもいい人ばかりなので、行き当たりばったりでお話するのもいいかなって思っていたところなんです」
「あらそうだったのかい、なら良かったよ。この村の人達はお節介な人ばかりだから、初めてきた人達が怖がらないか心配なんだよねぇ」
「あはは、全然そんな事はないですよ。来たばかりですが、この村に住んでみたいなって思っていましたから」
「あらあら、お嬢ちゃんったら上手い事を言うのね。じゃあほどほどに楽しんでおいでね」
「はいっ、ありがとうございました」

 女性と別れたマーリエットは、再び歩き出す。
 しかし、道行く人々――いや、村人達を心置きなく信用し始めてしまったからこその不注意を招いてしまう。

 ――なーんだ。こんな事だったら、わざわざ髪の毛を隠す必要なんてないじゃない。失礼な言い方かもしれないけど、この辺境の地で私を知っている人は居ないんだし。

 マーリエットの安心感は、腰に携えている剣でさらに増大する。

 ――何かあったとしても、私にはこの剣がある。アルクスに買ってもらったこの剣で、ミシッダさんとの壮絶な訓練をしてもらったんだから。

 初めて持った武器に気分が上がっているという事は否めない。
 マーリエットは謎の自信を持っているが、当然……ミシッダと行っていた訓練では、たったの一振りとも剣を振るう事はできていなかった。
 それだけではなく、たったの一撃たりとも反撃できてすらいない。

 胸を張り、大きく息を吸い込む。

 ――よし、私らしく行こうっ。

 陽の光に照らされた黄金の髪は、どうやっても目立ってしまう。
 つい先ほどの女性はそれを前にしたが、転倒していた事と初めて訪れたという事が優先していたせいでそこまで注目する事はなかった。
 だからこそ、周りの目線を気にしなくなってきたマーリエットは勘違いをしてしまっている。

 周りから集まる注目の目線に。希少性が溢れ出ている、自身の存在感に。



 マーリエットは鼻歌交じりに歩き続け、気になった店へ足を運び、会話を楽しんだ。

 楽しい時間だったからという事もあり、どれぐらいの時間が経過したかはわからないが、ミシッダと約束をしていた時間にはなっていない。
 土地勘がないにもかかわらず気分が赴くままに歩いていたせいもあり、気が付けば人気のない路地裏へと侵入していた。

 ――あ、ちょっと人気ひとけのないところに行こうって思っていたらこんなところに来ちゃった。まあでも、落ち着けるからこれはこれでありだよね。

 建物と建物の間から入り込んでくる陽射しがあるため、完全に影で満ち溢れているというわけではない。
 表通りとはひと味違った空気感に心が落ち着く。

「すいません、少しだけお聞きしたい事があるのですが」
「俺達はこの村に来たばかりで、教えてほしいんです」

 急に背後から声をかけられたものだから、マーリエットはその声に振り返る。
 ただ純粋に、自身が村人達からしてもらったら親切を巡らせ、恩を恩で返すために。

「ええ、大丈夫で……す……」

 しかし、マーリエットは言葉が途中で詰まってしまう。
 なぜなら、自分に声をかけてきた男達の顔を知っていたから。

「いいや、こう声をかけた方が良かったかな。お姫様・・・
「……っ!」

 そう、彼らはマーリエットを誘拐した張本人達なのだから。

「かぁ~、命令された通りに村で潜伏していて正解だったな」
「ああ、まさかのまさか。こんな偶然にして奇跡みたいな事が起きるんだな」
「……」

 ――ど、どうしてこの人達がこんなところに居るの!? 安心していたけど、ある程度は警戒をしていたというのに……どうして気が付けなかったの。ミシッダさんも大丈夫だって言ってくれていたのに!

 だからこそである。
 村人を信頼し、疑う事をやめてしまってたから。
 自身より圧倒的な強さを有している存在が、たった一言『大丈夫』だと言ったから。
 本来はどんな状況であろうとも自分の地位を鑑み、常に全員を疑い身を隠す必要があるというのにそれを怠ってしまっていた。

 なぜなら、周り全てに信頼を寄せて盲信してしまっていたから。

「どうしてあなた達がここに居るのですか」
「細けえ事はいいんだよ。優雅にお話をしている時間はねえんだからな」
「また私を誘拐するつもりですか」
「そりゃあもちろん。俺達はあんたが逃げたおかげで死ぬかと思ってたんだからよ」
「知りませんよ、そんな事」

 言葉にしている通り、時間と心に余裕がない男達は腰に携える剣を抜刀する。

「痛いのは嫌だろ? なら、手荒な真似はさせないでくれよ」
「……今の私には、ちゃんとした武器がある」

 マーリエットも同じく抜刀した。

「なっ! やり合おうっていうのか」
「も、もしかして剣術の心得があるんじゃ……!?」

 男達は警戒する。
 当然、男達はマーリエットとミシッダの特訓の事は何一つ知らない。しかし、その警戒は至極真っ当なものである。
 なぜなら、皇女皇子は自身に対して絶対的な忠誠心を抱く騎士を傍に置いているから。であれば、主もまたその技術を習っている可能性があるからだ。

 一瞬でも肝が冷えた男達であったが、すぐに目線を交わし合い、マーリエットへ向き直す。

「なんだ、ビビッて損したぜ」
「ああ、これだったらポケットに片手を突っ込んだままでも大丈夫そうだ」
「……」

 マーリエットの構え自体は、そこまで不器用なものではなく、一般的な『肘を少し曲げた状態の両手で柄を握って前方に構える』というもの。
 それを見た男達は嗤う。

「なんなら二人もいらねえか」
「いやいや、武器を構えなくたって大丈夫じゃねえ?」
「がっはは、そこまでやったら姫様がさすがに可哀そうだろ」
「……」

 男達に嗤われているマーリエットであったが、何も言い返せない。

 ――全部言われなくたってわかっている。私は今、足はガクガクに震えているだけじゃなく、剣を握っている両手も震えている。目線だって泳いで、呼吸も浅く早くなっている。

 ミシッダとの訓練が全くの無意味だったわけではない。
 だが剣を握っただけで、これから自分がやろうとしている事に恐怖心を抱いてしまう。
 ミシッダはこう言った。「相手を無力化できるのは本当に力を持っている人間だけだ」と。つまり、マーリエットは自分の身を守るのであれば、目の前に居る人間を殺さなければならない。ただ自分が生きたいと願うその想いだけで。

「わっ!」
「ひゃっ!」
「がっははははは。ほらな」

 片方の男が、地面を強く踏みつけて音を鳴らした。
 すると、たったそれだけだというのにマーリエットは驚いて武器を手放してしまい、地面に腰を落としてしまったのだ。

「もう怒られるのは嫌だったんだ。そのまま無抵抗で捕まってくれよ」

 男達は、腰が抜けて身動きの取れないマーリエットへゆっくりと距離を詰めてくる。

 ――なんで動けないの私。どうして、どうしてなの。またみんなに迷惑をかけてしまうの……? 動いてよ私の足! 剣を持って、戦うって決めたじゃない! ミシッダさんに教えてもらって、アルクスみたいに誰かを護れるようにって!

 心で叫んでいても、手と足の震えは止まらない。
 頭ではわかっていても、体が思い通りに動いてくれない。

 ――なんで、どうして! このままじゃ……もう二度とアルクスに会えない……お父さんとお母さんの顔を見られなくなっちゃう……。

 自身に力がないのなら、もしかしたら、もしかしたら誰かが助けてくれるかもしれないと願う。

 もしかしたら、ミシッダがこの危機に駆け付けてくれるかもしれない。
 もしかしたら、買い物をしているアルクスが偶然にも通りかかって助けてくれるかもしれない。
 もしかしたら、村に住んでいる誰かが助けを呼んできてくれるかもしれない。
 もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら……。

「おおう、そうだそのままそのまま」
「や、やめなさい! こっちにこないで!」
「こっちも手荒な真似はしたくねえんだ。静かにしてくれよ」
「噛みついて、大声を出して、担がれたって暴れてやるんだから!」

 ――そう。できるだけ抵抗して時間を稼ぐ。そうしたら、もしかしたら誰かが助けてくれるかもしれない……。

「はぁ……聞き分けの悪いお姫さまだ。じゃあしょうがねえ。かなり痛いだろうけど、自業自得って事で」
「な、何を!」
「ほらよっ――と」
「うぐっ――」

 マーリエットは強烈な痛みを感じた後、すぐに気を失ってしまう。

 残念ながら最後まで助けは来ず、期待してた『もしかしたら』は起きる事がなく、そのまま再び誘拐されてしまうのであった。
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