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第一章

第2話『純粋なアルクス』

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「この辺りで少しだけ休憩しましょうか」

 アルクスはそう言うと、目の前にある倒木を指差す。
 座るにはとても丁度良く、皮も荒々しくない。絶好の休憩場所だと判断したため。

「これ、よかったらどうぞ」

 アルクスは少女に向かい、水筒を手渡した。
 その際、アルクスと少女の手が少しだけ重なる。

 そのことに驚いた少女は目を見開き、水筒を落としてしまった。

「あ、ごめんなさい。誰かに触れられるのは抵抗がありますよね。不注意でした、ごめんなさい」
「――い――え」

 少女は掠れた声でそう答え、水筒を拾い上げた。

「まずは、ゆっくりと水を飲んでください」
「あ――ご――ます」

 少女は礼を言い終えると、水筒の封を空け、水を一口。若干警戒していたのか、ほんの少しだけ。
 しかし冷たく美味しい水だと分かった瞬間、ゴクゴクと一気に喉の奥へと流し込み始める。

 ――きっとこの人は、とても酷い仕打ちを受けてきたんだろう。あの人達……どうしてそんなことができるんだ。

 服がズタボロというわけでも、見えている個所に傷や内出血後は幸いにも見えない。
 極々一般的な、半袖と半ズボンで靴も履いている。
 だが、どこかで着いたであろう土や汚れはそのままで、軽く会話をしただけでも飲食はさせてもらえなかったことがすぐにわかってしまう。

「よかったらこれもどうぞ。大丈夫です。これは先ほどの村で購入したばかりの干し肉です」
「あ、ありがとうございます」

 ここで、少女のほとんど本来の声を聴くことができた。とても耳触りの良い声。

 そして、味を気に入ったようで手渡した干し肉はあっという間になくなってしまった。
 土埃を被ってしまっている金髪ではあるが、それとは真逆に蒼い瞳がキラキラに輝く。

 余程美味しかったのだろう、失われていた表情が明るさを取り戻した。

「あの、助けていただき本当にありがとうございます。感謝してもしきれません」
「い、いいえ。気にしないでください。僕はそこまで大それたことをしたわけではなりませんので」
「そんなことはありません。私はこのご恩を生涯忘れることはありません」

 アルクスは調子を狂わされた。
 先ほどまで囚われの身であった少女が、急にかしこまった丁寧な口調で話されては、どう接すればいいのか迷ってしまう。

 ……が、アルクスは一度咳き込み、なんとか調子を戻す。

「まず初めに、これから行く宛はありますか?」
「……ありません」
「ここよりかなり歩くことにはなるのですが……僕達が住んでいる家が森の中にあります。もしよろしければ、まずはそこへ向かいませんか?」
「よろしいのでしょうか。私みたいな身分も明かしていないような存在がそのような場所へ足を踏み入れて……」
「はい、問題ありません。それに、もしもあなたが悪い人だったとしても大丈夫だと思います」
「随分と腕に自信がおありなのですね」
「あっ、いえいえ! 僕にはそんな力はありません。一緒に住んでいる人がその、なんというか、物凄く強いんです!」

 アルクスは、首を小刻みに横へ振り、慌てて訂正する。

「そうなのですか? あなたも十分お強いと思いますが……?」
「いえいえ、僕なんて全然です。素人同然ですよ」

 少女は先ほどの戦闘が脳裏に過る。
 どう考えても、先ほどの光景は素人のそれではない。
 謙遜で言っているのか素で言ってるのか、コロコロ変わる表情にどちらが本当なのか首を傾げる他なかった。

「あ、ごめんなさい。忘れてました。僕の名前はアルクスです」
「こちらこそごめんなさい。助けていただいたのに、名前も名乗らず。あっ――――私のことはマーリエットとお呼びください」
「わかりました。マーリエットさんですね! よろしくお願いします!」
「え……ええ、よろしくお願いします。あなたは……」
「どうかしましたか?」
「い、いえ。なんでもありません。改めてお礼を申し上げます。私の窮地を救っていただき、本当にありがとうございました。アルクス様」

 マーリエットは立ち上がり、半袖の袖をたくし上げ深々と頭を下げる。
 それを前に、アルクスも咄嗟に立ち上がった。

「いえいえ! そんな、やめてくださいよ! 僕は、自分の意思に従って行動しただけです。それに、僕は十六歳です。そんな年下に頭なんて下げないでください! 敬語もやめてください!」
「そうなんで――のね。では、その言葉に甘えるわ。そうよね、同い年で敬語なんて使ってたら違和感しかないものね」
「そうですよね。……え?」

 アルクスは思考停止した。
 そして、マーリエットの容姿を頭のてっぺんから靴先まで一瞥する。
 だが、理解が追いつかなかった。

 薄汚れていてもわかる黄金の髪。胸ぐらいまで伸びる髪は、つい見惚れてしまうほど。
 服などは汚れてしまっているが、実際のところはさておいても高貴な存在が容易に想像できる礼儀作法。
 そこから見える綺麗な体の線は、堕落した生活をしていない証拠。
 土や泥などで汚れているが、直視すればわかる整った顔に空と同じ澄んだ蒼い瞳。

 荷台の時はほとんど確認できなかったものが、こうして天に照らされて露となった。
 まさに絵に描いたような美少女。
 もしもアルクス以外の人が先程の場面に出くわしても、腕に自信があれば助けていたに違いない。

「あ、あの。その、ぼぼぼぼ僕は、そ、そんなことでは!」
「急にどうしたの? ほら、同い年なんだから、もっと楽しくいきましょ」
「あの、本当に同い年なん――なの?」
「そうよ。なんでそんなに疑うの? 私ってそんなに老けて見える?」
「いや! いや、そんなことはないよ。その……凄く綺麗だったから……」

 今度はマーリエットが目を点にする。

「え……? こんなズタボロに汚れた私を綺麗……って。っふふ。もしかして、アルクスって女ったらしだったりするのかな?」
「いいいいいいいいいいやそんなことは!」
「ふぅーん? でも信じてあげるわ。でもねぇ、そんなに真っ直ぐ綺麗なんて言われると私も照れるわ……ね」

 ほんの少しだけ、二人は目線を外し頬を赤く染める。

 しかしすぐに、そよ風と共に流れてくる小鳥達の歌が我に返らせてくれた。

「綺麗な歌……」
「そうなんだ。ここは少しだけ不便はあるけど、眼に入るもの、耳に届く音の全部が綺麗で美しいんだ」
「……本当にその通りね」
「それじゃあ、家に向かおう」
「うんっ」 



「ミシッダさん、ただいま戻りましたーっ」

 元気よく第一声を上げるが、残念ながらミシッダの姿はなかった。

 木造建築の家、木造の机、木造の椅子。
 入り口から台所まで、隔てる壁はなく見渡しがよくなっており、暖炉の前には大人が横になって休むことができるソファがある。

「あれ、この時間はいつもソファに座って休んでるのに。まあいっか。マーリエット、入っていいよ」

 道中、二人は美しい自然を堪能しながら込み入った話は無しで談笑していた。
 その結果、心の距離か近づいて敬語が綺麗になくなっていた。

「ありがとう。でも良かったの? 家主がいないのに、こんな部外者を易々と招き入れちゃって」
「んー、どうだろ。もしかしたら怒られるかもしれないけど、僕はちゃんと全てを話すよ。そして、マーリエットを助けたい」
「……ありがとう。アルクスは本当に優しいんだね」

 マーリエットは柔らかな表情で優しくそう言う。

 そんなやりとりをしていると、勝手口の方から扉の開閉音が聞こえた。

「あっ、帰ってきたみたい」

 部屋の角から姿を現したのはアルクスと同居しているミシッダ。
 アルクスと同様に麻のロングコートを着て、顔だけが出ている。

 炎のように紅い瞳に同じ色をした髪。
 一本結いで後ろにまとめてあり、一目で分かるぐらいにはアルクスとは年が離れている。

「悪いな、今日は少し遅れた。どうやら、パイス村で揉め事があったようで、それの件について少しばかり足を運んでいた」
「そ、そーだったんですね。ご苦労様です」
「とんだ迷惑だったよ。しかも、最初は死人が出たとかで大騒ぎしていたんだが、いざ行ってみれば気絶してただけってんだ。迷惑でしかなかったよ」

 アルクスとマーリエットは、そのとてつもなく心当たりのある『揉め事・・・』という言葉に一瞬だけドキッと心臓が持ち上がる。
 だがアルクスは話を広げないためにも、平静を装って話の流れに乗ることにした。

「パイス村はそういう暴力とは無縁の場所ですもんね。騒ぎになってしまうのも無理はありません」
「まあそうだな。……それで、そちらのお客人は?」

 ミシッダは、アルクスが後ろに隠している人物へ視線を向ける。

「あの、困っている人を助けたのですが、行く宛がないということで一時的に……数日だけでもこの家で泊まらせてあげられませんか!」
「ああ、別にその程度なら問題ないが。だが、そんなら、自己紹介ぐらいは自分でしてもらわないとな?」

 と、ミシッダはアルクスの背後にいるマーリエットへ睨みを利かす。

「ええ、本当にその通りです。失礼致しました」

 マーリエットは姿勢を正し、アルクスの横に歩み出る。

「アルクスに危機的状況を助けていただき、この命を助けていただきました。私の名前は、マーリエットと申します。どうか、行く宛の無い私にご慈悲を恵んでいただけないでしょうか」
「――なっ! ……あ、いやすまない。ああ、そこまで言うことができれば上出来だ。アルクスの願いでもあるから泊まってっていいぞ。そうだアル。台所に荷物を置いて、もう一度買い出しに向かってくれないか」
「わかりました。……あっ、確かにそうですね。マーリエットの分も必要ですからね、今すぐに行ってきます!」
「おうおう、頼んだぞ」
「私のために、ありがとうございます」
「いえいえ、椅子にでも座ってゆっくりしててっ」

 アルクスはスタスタと台所へ向かい、荷物をとりあえず置く。
 そして、代金の確認を終え、買い出しへと意気揚々に駆けて行った。

 アルクスの背を見送り、ミシッダは目を細め斜に構える。

「それで、こんな辺境の地までどのようなご用件ですか。アールス帝国皇帝アインノエル・ヴァイ・アールスの娘――マーリエット・ヴァイ・アールス第一皇女様」
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