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第1章
魔王の苦悩
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さっきのは一体なんだったのだろうか。神を自称する来訪者が煙のように消え去った後、アークは自室に戻って、妻のエリサと側近のイベルに一連の出来事を説明していた。
「ということで、よくわからないが、この世界を自由に生きれるようになったらしい」
「どういうことでしょうか。何か変わったことやお気づきになったことはありますか」
獲物を捉えるような鋭い銀の眼をしたイベルが言う。
イベルは側近の一人であり、まだ二十代前半の若い魔王族の男性である。
長身のアークよりさらに僅かばかり高く、その長身を覆い隠すように、紺のローブを纏い、同じ色のフェイスベールで口元を覆っていた。銀色をした髪は眼にかかるくらいまで伸びている。イベルはあまり多くを語らないが、息子アイエラの家庭教師としての役目を務めていて、アークやエリサから信頼を置かれている。
「今のところ変わった感じはしないな。何か気づいたことがあるのか?」
「いえ、まだ何も」
「そうねぇ、私も変わった感じはしないかしら」
イベルの返答を受けて、妻のエリサも答える。
「そうか。どちらにせよ、この話が本当ならいずれわかるはずだ。今は深く考える必要もない」
そうは言うものの、アークは必死に、何か変わったことがないか考えていた。勇者に一泡吹かせることができるのなら、何にでも縋りたい。藁にも縋る思いであった。
「大丈夫ですか」
アークは余程険しい表情をしていたのか、イべルがその様子に気づいて、問いかけた。
「あぁ、問題ない。それより」
言いかけたところで、部屋の扉をノックする音が響いた。
ゆっくりと礼儀正しく部屋に入ってきたのは、マーチカだった。
「お話中失礼いたします。勇者がまた動き出したとの一報がありましたので、お伝えに来ました」
会話を中断させたことを申し訳なく思ったのか、マーチカはそれだけ伝えると、すぐに部屋を出ようとした。
すかさずアークが呼び止める。
「例の客人が来てから、何か変わったことはないかな」
「変わったことですか。いえ、とりわけ何もないかと思います」
「そうか、ならいいんだ。そういえば、アイエラはどこにいるんだ」
「お庭で部下の方たちとお遊びになられているようです」
「わかった。もう少ししたら、家の中に入るように言っておいてくれるかな」
「承知しました。まだわかりませんが、きっと何かが、お変わりになられていると思います。必ずいい方向に向かって行きますよ」
マーチカはそう言って部屋を後にした。
なぜマーチカが励ますようなことを言ったのかは、アークにはわからなかった。しかし、不思議と彼女が発した言葉には、魂が込められており、それが形を持って現実になるような気がした。
「だといいが」
アークは呟きながら、窓の方へ歩いて行き、庭を覗いた。そこには、楽しそうにしているアイエラがいた。
アイエラは、最近イべルから教わった剣術の習得に励んでいた。
剣に見立てた木の棒を振り回しながら練習しているようであった。そばにはペットのケルベロスが寝ている。耳を凝らすと、そのいびきが聞こえる。数体のsゾンビを並べて、アイエラはそれに向かって「えい、やぁー」と、言いながら木の棒で斬りかかる。ゾンビたちは、数秒の間をおいて倒れていく。「どうだ参ったか」という台詞が窓というフィルターを通して、くぐもって聞こえてくる。
楽しそうに遊んでいる息子の姿を見ると、それだけで幸せな気持ちに包まれる。この幸せを守るためなら、何度だって負けても良いと思えた。しかしそれと同時に、これ以上、家族の前で負ける姿を見せるわけにはいかないとも思う。父から教えられたように、魔王は強くなければならない。それも圧倒的に。たとえ最後は負ける存在であろうと、誇りをもって勇者に立ちはだからなければならない。
アークは拳を握りしめた。空は青い。城の周りを、漆黒のドラゴンが鮮血よりも赤い火を吹いて飛んでいる。
「イべル、お願いがある。アイエラを強くしてやってほしい」
「はい。もちろんです」
イべルの表情は読めない。しかしその眼には確かに闘志が写っているように、アークには見えた。
「しかし何でまた急に?」
「俺はあまりに弱すぎる。それが申し訳ないと思ってね」
「そんなことはありません」
「そう言ってもらえるとありがたいが、実際そうだろう。部下にも迷惑をかけている」
「私は、迷惑だとは思っていません。それは他の者たちもそうだと思いますが」
「だといいんだが」
勇者はどのくらいまできただろうか。こうしている間にも、私が倒された回数と同じ分だけ、各地に配置した部下たちも倒されているはずである。私が不甲斐ないばかりに、部下たちは苦労しているのではないだろうか。
やはり私がもっと強くなって、皆を扇動しなければならない。そうでないと示しが付かない。だが、どうせまた負けるのだろう。アークはいつになく負の感情に苛まれた。
外に出ていたアイエラは室内に入ったようだ。ケルベロスもゾンビたちもおらず、一面の緑に、花々だけが美しく咲き乱れている。この花々も勇者が来ると、禍々しい魔界の植物へと姿を変える。
アークは姿見を覗いた。そこには色白ですらりとした顎、魔王族特有の人間より高く尖るように長い鼻、その顔の色とは対照的な黒髪をオールバックに固めた自分が映っている。痩せ型だが、筋肉質の体に以前は自信を持っていた。しかしそれも今は虚しく映っていて、青みがかった眼は濁っているように見えた。
「また勇者が来るみたいだな。頼んだよイべル」
「はい。私はアーク様を信じています」
そう言って部屋を出たイザルの目元が微笑んでいるように、アークには見えた。部屋にはイべルが最後に言った言葉だけが残り続けていた。
「ということで、よくわからないが、この世界を自由に生きれるようになったらしい」
「どういうことでしょうか。何か変わったことやお気づきになったことはありますか」
獲物を捉えるような鋭い銀の眼をしたイベルが言う。
イベルは側近の一人であり、まだ二十代前半の若い魔王族の男性である。
長身のアークよりさらに僅かばかり高く、その長身を覆い隠すように、紺のローブを纏い、同じ色のフェイスベールで口元を覆っていた。銀色をした髪は眼にかかるくらいまで伸びている。イベルはあまり多くを語らないが、息子アイエラの家庭教師としての役目を務めていて、アークやエリサから信頼を置かれている。
「今のところ変わった感じはしないな。何か気づいたことがあるのか?」
「いえ、まだ何も」
「そうねぇ、私も変わった感じはしないかしら」
イベルの返答を受けて、妻のエリサも答える。
「そうか。どちらにせよ、この話が本当ならいずれわかるはずだ。今は深く考える必要もない」
そうは言うものの、アークは必死に、何か変わったことがないか考えていた。勇者に一泡吹かせることができるのなら、何にでも縋りたい。藁にも縋る思いであった。
「大丈夫ですか」
アークは余程険しい表情をしていたのか、イべルがその様子に気づいて、問いかけた。
「あぁ、問題ない。それより」
言いかけたところで、部屋の扉をノックする音が響いた。
ゆっくりと礼儀正しく部屋に入ってきたのは、マーチカだった。
「お話中失礼いたします。勇者がまた動き出したとの一報がありましたので、お伝えに来ました」
会話を中断させたことを申し訳なく思ったのか、マーチカはそれだけ伝えると、すぐに部屋を出ようとした。
すかさずアークが呼び止める。
「例の客人が来てから、何か変わったことはないかな」
「変わったことですか。いえ、とりわけ何もないかと思います」
「そうか、ならいいんだ。そういえば、アイエラはどこにいるんだ」
「お庭で部下の方たちとお遊びになられているようです」
「わかった。もう少ししたら、家の中に入るように言っておいてくれるかな」
「承知しました。まだわかりませんが、きっと何かが、お変わりになられていると思います。必ずいい方向に向かって行きますよ」
マーチカはそう言って部屋を後にした。
なぜマーチカが励ますようなことを言ったのかは、アークにはわからなかった。しかし、不思議と彼女が発した言葉には、魂が込められており、それが形を持って現実になるような気がした。
「だといいが」
アークは呟きながら、窓の方へ歩いて行き、庭を覗いた。そこには、楽しそうにしているアイエラがいた。
アイエラは、最近イべルから教わった剣術の習得に励んでいた。
剣に見立てた木の棒を振り回しながら練習しているようであった。そばにはペットのケルベロスが寝ている。耳を凝らすと、そのいびきが聞こえる。数体のsゾンビを並べて、アイエラはそれに向かって「えい、やぁー」と、言いながら木の棒で斬りかかる。ゾンビたちは、数秒の間をおいて倒れていく。「どうだ参ったか」という台詞が窓というフィルターを通して、くぐもって聞こえてくる。
楽しそうに遊んでいる息子の姿を見ると、それだけで幸せな気持ちに包まれる。この幸せを守るためなら、何度だって負けても良いと思えた。しかしそれと同時に、これ以上、家族の前で負ける姿を見せるわけにはいかないとも思う。父から教えられたように、魔王は強くなければならない。それも圧倒的に。たとえ最後は負ける存在であろうと、誇りをもって勇者に立ちはだからなければならない。
アークは拳を握りしめた。空は青い。城の周りを、漆黒のドラゴンが鮮血よりも赤い火を吹いて飛んでいる。
「イべル、お願いがある。アイエラを強くしてやってほしい」
「はい。もちろんです」
イべルの表情は読めない。しかしその眼には確かに闘志が写っているように、アークには見えた。
「しかし何でまた急に?」
「俺はあまりに弱すぎる。それが申し訳ないと思ってね」
「そんなことはありません」
「そう言ってもらえるとありがたいが、実際そうだろう。部下にも迷惑をかけている」
「私は、迷惑だとは思っていません。それは他の者たちもそうだと思いますが」
「だといいんだが」
勇者はどのくらいまできただろうか。こうしている間にも、私が倒された回数と同じ分だけ、各地に配置した部下たちも倒されているはずである。私が不甲斐ないばかりに、部下たちは苦労しているのではないだろうか。
やはり私がもっと強くなって、皆を扇動しなければならない。そうでないと示しが付かない。だが、どうせまた負けるのだろう。アークはいつになく負の感情に苛まれた。
外に出ていたアイエラは室内に入ったようだ。ケルベロスもゾンビたちもおらず、一面の緑に、花々だけが美しく咲き乱れている。この花々も勇者が来ると、禍々しい魔界の植物へと姿を変える。
アークは姿見を覗いた。そこには色白ですらりとした顎、魔王族特有の人間より高く尖るように長い鼻、その顔の色とは対照的な黒髪をオールバックに固めた自分が映っている。痩せ型だが、筋肉質の体に以前は自信を持っていた。しかしそれも今は虚しく映っていて、青みがかった眼は濁っているように見えた。
「また勇者が来るみたいだな。頼んだよイべル」
「はい。私はアーク様を信じています」
そう言って部屋を出たイザルの目元が微笑んでいるように、アークには見えた。部屋にはイべルが最後に言った言葉だけが残り続けていた。
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