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エコの過去
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戦闘エリアから離れること数分。時速100kmで走っているとは思えないほど装甲車の中は揺れや騒音とは無縁だった。
内装は灰色の壁とむき出しの金属で構成されている普通の装甲車からは考えられない生活感に溢れている。白を基調とした壁の隅にはカバーが外されているカプセルポッドとクローゼット。操縦席に近い前部には簡易的なキッチンとシャワールームが備え付けられていて、装甲車と言うよりは大型のキャンピングカーのようだった。
壁に固定された大型モニターには周辺エリアのマップがリアルタイムで表示されている。どうやら周囲のホワイトアントとオシリスの部隊を撒いたようだ。
「えっと、まずは助けてくれてありがとう……」
転倒防止用のマットが敷き詰められた床に剣也は背筋を伸ばし、両膝を着けてこじんまりと座っている。いわゆる正座というやつだ。
目の前でたった1つしかない椅子に腰掛けるエコ・ローズの凄まじい怒りのオーラを感じ取り、下手に出なければ殺されると感じ取ったからだ。他者を威圧する鋭い視線がボロボロの体に突き刺さる。
「あの、フレムのことあんまり悪く思わないでほしいんだ! あの子は事情があって感情が不安定なだけで、普段はあんな怒りっぽくないから」
「そうだな。下着姿にするような男を相手にあの程度の制裁で済ますのだから根は善人なんだろうな」
グサリ。
心無い言葉が鋭利な刃物となって剣也を貫く。
「あれはしょうがなかったんだって! 今回は運が良かっただけで本当ならフレム相手に勝つなんて不可能だったんだから」
「別に手段まで責めてるわけじゃない。女性のあられもない姿を見てあんなイヤらしい顔をするなんて、状況にかかわらず煩悩に正直で軽蔑しただけだ」
「そ、そんな……」
別に聖人君子を目指しているわけではない。
ただ不可抗力であることを無視して一方的に加害者と断じられる悲しさ。恩人からの侮蔑のこもった眼差しが心をえぐり、がっくりとうなだれる。
「……適合率と人間性はイコールではないと知っているが、なぜこんな男が選ばれたんだ」
心底残念そうにこぼす内容に、剣也ははっとなる。
「そうだ、ずっとエコに聞きたかったんだ。俺は日本にいた頃に適性検査から落ちたのに、何でナノヒューマンになれたんだ。オリジンを俺の体内に入れたのも君だろ。そもそも君は何者なんだ、俺に何をさせたいんだ?」
後悔なんてしていないし、エコを恨むなんて絶対にありえない。
だが本来適正がないナノヒューマンの力だけでなく、まだどこにあるかもわからないペンケースにアクセスするために必要なオリジンがこの体に宿っている。
どうして自分にそれがあるのか、なぜエコがそんなことができたのか。それを知る権利くらいあるはずなのだ。
それがこの地球を救い、何よりもエコにかけられた疑惑を払う手段になり得るのだから。
「そうだよな。君には知る権利がある」
エコは静かに頷くと、机に備え付けられた引き出しを開け、一本の注射器を取り出した。中身こそ入ってないが、剣也が自分の意志で使ったあの注射と同じものだった。
「これはこの装甲車にあったものだ。世界を救うために父さまと母さまが残してくださった」
悲しそうに、だけど慈しむように。両親のことを口にする。
「両親が、エコにオリジンを渡してくれたの?」
「そういうことになっている、生まれたときからモニター越しにしか会話したことがない。だから本当の両親なのかもわからないんだ」
エコは後部ハッチにカプセルポッドへと歩を進める。オシリスの治療室にあった治療用のポッドに似ているが、カバーが外されている上にやたら年季も入っていて、もう機能自体していなさそうであった。
「コールドスリープって聞いたことないか? 人体を低温にして長い眠りにつく旧時代の技術だ。」
長い眠り、旧時代。そこまで聞かされれば鈍い剣也でも勘付くことはできる。
「待って、旧時代ってまさか」
「そうだ、私はこの時代の人間じゃない。インベーダーが滅んだ代わりに、人類がホワイトアントの脅威に晒されていた時代に、私は生まれた」
心中は驚きでいっぱいだったが、リアクションこそ取らなかった。
既に剣也は様々な経験を経て慣れていたし、何よりもそんなことをしたらエコが傷つくと思ったからだ。
「私は生まれたときからすべてが自動化された研究所の中で育ったが、モニター越しの父さまたちがすべてを教えてくれたよ。私の生まれた意味と使命もな」
「使命?」
「ホワイトアントを絶滅させることだ。両親は今の大統領たちですら知らない政府の研究機関でその方法を探し続けた。そしてインベーダーの母船にある自壊プログラムにアクセスするという方法を見つけたんだ」
「それ、オシリスでも聞いたよ。ペンケースっていう名前の船を俺たちも探してるんだけど、動かすにはオリジンが必要だって」
エコは唖然となる。剣也とオシリスがそこまで知っているのが予想外だったようだが、すぐに冷静になって話を続ける。
「そうだ、だが君も知ってのとおり、オリジンに適合する確率はノーマルとは比べ物にならないくらい低い上に、適合しなかったものは問答無用で死に絶えてしまう。原理を完璧に把握してないのだから当然だがな」
それもレモンたちから聞いていた。オリジンは自身が馴染めない体から抜け出そうとするらしく、それが拒絶反応という形となって死に至らるという。
「片っ端から人体実験なんてするわけにはいかない。だから受精卵の時点でオリジンを受け入れる体を作る計画が始動したんだ」
「それが、エコ」
剣也は信じたくなかった。何となくそんな気はしていたがありえないと無理やり頭の隅に追いやっていたが、エコが言う以上受け入れるしかない。
「再醒(さいせい)計画と呼ばれる世界を救うための人間を作る壮大な計画だ。偶然にもオリジンに対して僅かに適正があった両親のDNAが使われ、私は受精卵の段階で改良を繰り返された」
「じゃあエコにもオリジンが」
言い切るよりも先にエコは首を振る。
「残念ながら私でもオリジンを完全に受け入れることができなかった。投与されたオリジンはすべて休眠状態のまま繁殖もせずに勝手に死んでいく。本当に出来損ないだよ」
「そんな言い方ないだろ、自分に対してでも言っていいことじゃない」
「いい人だな剣也は。でもそこまで気にしなくていいよ。両親はそれでも私を必要としてくれてたんだ。愛されてたかはわからないけど」
暗い影を落としながら下唇を噛んでエコは俯いた。空の注射器を持つ手の力が籠もり、パキッとひび割れる音がした。
「両親はあらゆることを教えてくれた。一般的な教養から軍事教練、旧時代の世界情勢から今に至るまでの流れ。一つのことを成し遂げるたびに両親が喜んでくれるから、私は必死に勉強したよ。いつかモニター越しからじゃなく、直接会いに来てくれると思ったから」
「それで、両親とは会えたの?」
デリカシーがない質問なのは承知していた。だが無意識に聞いてしまった。
「いいや、私が15歳の誕生日を迎えると急な眠気に襲われて、気づいたらこのポッドの中で目覚めたんだ。そしてあらかじめ用意されてた音声データで私が長い眠りについてたことと、未だにインベーダーの母船が見つかっていないことを知らされた。この注射はただの保険。もしもこの時代にオリジンに完全に適合する人間を見つけたら。味方につけろという」
(そんなの、あんまりだろっ)
剣也はぐっと拳を握る力を強める。世界を救う。それだけならわかるし共感できるが、身勝手な理由で1人の女の子の生き方を歪められ、一方的に自分の見知った世界から引き離されるなんて。ランナーとしてずっと理不尽な現実を見てきたからこそ、こんな世界で生きることを強要されたエコへの同情が湧く。
「それからはずっと戦いの日々だった。見たこともないホワイトアントの変異種にずっと襲われ続け、初めて自分以外の人間であるバンデットにも命を狙われ、もう誰も信用できなくなってた」
「オシリスからずっと逃げ続けたのもそれが原因?」
「情けない話だ。スーリ・ボウはずっと歩み寄ってきてくれたのに、信じきれずに大怪我をさせてしまって、フレムとかいう女が怒るのも理解してたのに、弁明をするのもいやになった」
今にも泣きそうな声でこれまでの道筋を反芻している。
(何だよ、結局前部誤解だったじゃないか)
エコが操っていると思われていたホワイトアントはただ彼女を狙って襲っていただけ。オシリスから逃げていたのは対人経験の不足から。責任の度合いで言うなら彼女は悪くない。むしろそんな過酷な道を強制した研究所の人間や両親こそ元凶ではないか。
「……オリジンの適合者を見つけた後、どうするの?」
「この装甲車のコンピューターに記されてる両親の研究所に向かうよう言われた。最初は私一人で行ってみたが、インベーダーの母船のセキュリティを模倣してて、開けるにはオリジンの適合者が必要だったんだ」
「じゃあ俺に注射器を渡してくれたのは研究所に入れるためか」
「軽蔑したよな。人助けでも何でもない。ただ自分のためだけに君を巻き込んだんだ。父さまと母さまの痕跡が知りたくて、他に選択肢がない君に不自由な二択を強要した。倉庫で再会したときも君が生き残ってくれたことじゃなく、オリジンが適合してたことが嬉しかっただけなんだ」
自分の身勝手さに自嘲しながらキュロットパンツの裾を握りしめる両手は力を入れすぎて指の先が赤みがかっていた。
「君が私と一緒に来てくれたのもただあの女から一時的に逃げるためだってわかってるんだ。弱みに付け込んで不自由な二択を迫った勝手な女に協力したいなんて思うわけないってわかってる。しばらくしたら降ろすから、そのまま彼女たちのところに帰ってあげてくれ」
「エコはどうするの?」
「変わらず一人で戦うよ。私がいるとあの変異種との戦いに巻き込まれる可能性がある。オリジンを持っていない私はオシリスという組織にいても役に立たない。むしろそっちの仲間たちを傷つけるような人間がいたら困るだろ」
無理やり作られた笑顔を向けられ、心のない建前に苛立つ。
世界を救うために選択肢のない人生を歩み、絶望しかない未来の世界に置き去りにされて助けてほしいという願いを垣間見たからこそ、精一杯の強がりで嘘をつく姿が、まだ日本の北海道に住んでいた自分と重なった。
本州を支配され、ナノマシンで除染された不味いパンと水を食べるだけの毎日、いつも泣きそうになるたびに、死んだ両親が慰めるように聞かせてくれた。
セイヴィアに適合したナノヒューマンはヒーローとも呼ばれ、この星からホワイトアントを絶滅させるために戦ってくれているという話。今にして思えば。ひどい子供だましだけど、幼かった剣也にとっては生きる希望であり、自分もそうありたいと願うきっかけになった。
結局日本で受けた適性試験には落ちて、そのまま陥落寸前であることを知らないままワシントンに渡米して、ランナーとして苦痛だらけの日常を過ごしてきた。
それでも自分で自分を終わらせるようなことをしなかったのは、ランナーとして人を助ける行為が、幼いときの自分が思い描いたヒーローに近かったからに他ならない。理想には程遠くても、誰かの役に立てたから一線を越えることはなかった。それを支えにしてきたからこそ今がある。
「俺はエコに感謝してるよ」
きょとんとなるエコの顔を見据えて、剣也ははっきりと口にする。
「不自由な二択って言ってもあのままじゃ死んでたんだ。適合するかどうかもわからない人間のためにオリジンを渡してくれた君を軽蔑するわけがない。むしろちゃんと理由があって助けてくれたことのほうが嬉しいよ。具体的な恩を返す方法がようやく見つかった」
思惑が別のところにあるのはわかってた。単なる善意だけで人が動くわけないのだから。
だがワシントンで瀕死になった自分を悲しげに見つめるあのときの彼女のすべてが打算でないことも知っている。
そもそも貴重なオリジンを収めた注射を、適合する可能性が低い人間に委ねる時点でおかしいのだ。
おそらくエコは諦めたかったのだ。だけど意味もなく使命を放り投げるほど悪人にもなりきれない。そこでたまたま死にかけた剣也を見つけて、人助けのためにしょうがなく使命を投げ出す言い訳として使った。
「研究所に行こう。俺の中のオリジンが扉を開く鍵になるなら、それがエコが救われる唯一の方法なら、喜んで一緒に行くよ」
本当なら勝手に決められた使命を放棄する権利があるにも関わらず無理をしてきた女の子を助ける。ヒーローとしても、オシリスの一員としても間違った行動ではないはずだ。
今にも泣きそうになっているエコは、それでも寸前で涙を押し留め、剣也にそっぽを向く。
「バカな人だな君は。私と一緒にいたら損をするだけなのは今回の件でわかりきっているだろうに」
喜びを隠せないのが声色から判断できた。心中では望んでいたけどどうせ無理だと諦めていた願望が叶い、どう取り繕えばいいかわからないのだろう。剣也も笑顔で応えた。
「そんなことはないよ。ここで協力すれば君が世界にとって害のある存在じゃないってフレムにもわかってもらえるんだよ」
戦闘エリアから離れること数分。時速100kmで走っているとは思えないほど装甲車の中は揺れや騒音とは無縁だった。
内装は灰色の壁とむき出しの金属で構成されている普通の装甲車からは考えられない生活感に溢れている。白を基調とした壁の隅にはカバーが外されているカプセルポッドとクローゼット。操縦席に近い前部には簡易的なキッチンとシャワールームが備え付けられていて、装甲車と言うよりは大型のキャンピングカーのようだった。
壁に固定された大型モニターには周辺エリアのマップがリアルタイムで表示されている。どうやら周囲のホワイトアントとオシリスの部隊を撒いたようだ。
「えっと、まずは助けてくれてありがとう……」
転倒防止用のマットが敷き詰められた床に剣也は背筋を伸ばし、両膝を着けてこじんまりと座っている。いわゆる正座というやつだ。
目の前でたった1つしかない椅子に腰掛けるエコ・ローズの凄まじい怒りのオーラを感じ取り、下手に出なければ殺されると感じ取ったからだ。他者を威圧する鋭い視線がボロボロの体に突き刺さる。
「あの、フレムのことあんまり悪く思わないでほしいんだ! あの子は事情があって感情が不安定なだけで、普段はあんな怒りっぽくないから」
「そうだな。下着姿にするような男を相手にあの程度の制裁で済ますのだから根は善人なんだろうな」
グサリ。
心無い言葉が鋭利な刃物となって剣也を貫く。
「あれはしょうがなかったんだって! 今回は運が良かっただけで本当ならフレム相手に勝つなんて不可能だったんだから」
「別に手段まで責めてるわけじゃない。女性のあられもない姿を見てあんなイヤらしい顔をするなんて、状況にかかわらず煩悩に正直で軽蔑しただけだ」
「そ、そんな……」
別に聖人君子を目指しているわけではない。
ただ不可抗力であることを無視して一方的に加害者と断じられる悲しさ。恩人からの侮蔑のこもった眼差しが心をえぐり、がっくりとうなだれる。
「……適合率と人間性はイコールではないと知っているが、なぜこんな男が選ばれたんだ」
心底残念そうにこぼす内容に、剣也ははっとなる。
「そうだ、ずっとエコに聞きたかったんだ。俺は日本にいた頃に適性検査から落ちたのに、何でナノヒューマンになれたんだ。オリジンを俺の体内に入れたのも君だろ。そもそも君は何者なんだ、俺に何をさせたいんだ?」
後悔なんてしていないし、エコを恨むなんて絶対にありえない。
だが本来適正がないナノヒューマンの力だけでなく、まだどこにあるかもわからないペンケースにアクセスするために必要なオリジンがこの体に宿っている。
どうして自分にそれがあるのか、なぜエコがそんなことができたのか。それを知る権利くらいあるはずなのだ。
それがこの地球を救い、何よりもエコにかけられた疑惑を払う手段になり得るのだから。
「そうだよな。君には知る権利がある」
エコは静かに頷くと、机に備え付けられた引き出しを開け、一本の注射器を取り出した。中身こそ入ってないが、剣也が自分の意志で使ったあの注射と同じものだった。
「これはこの装甲車にあったものだ。世界を救うために父さまと母さまが残してくださった」
悲しそうに、だけど慈しむように。両親のことを口にする。
「両親が、エコにオリジンを渡してくれたの?」
「そういうことになっている、生まれたときからモニター越しにしか会話したことがない。だから本当の両親なのかもわからないんだ」
エコは後部ハッチにカプセルポッドへと歩を進める。オシリスの治療室にあった治療用のポッドに似ているが、カバーが外されている上にやたら年季も入っていて、もう機能自体していなさそうであった。
「コールドスリープって聞いたことないか? 人体を低温にして長い眠りにつく旧時代の技術だ。」
長い眠り、旧時代。そこまで聞かされれば鈍い剣也でも勘付くことはできる。
「待って、旧時代ってまさか」
「そうだ、私はこの時代の人間じゃない。インベーダーが滅んだ代わりに、人類がホワイトアントの脅威に晒されていた時代に、私は生まれた」
心中は驚きでいっぱいだったが、リアクションこそ取らなかった。
既に剣也は様々な経験を経て慣れていたし、何よりもそんなことをしたらエコが傷つくと思ったからだ。
「私は生まれたときからすべてが自動化された研究所の中で育ったが、モニター越しの父さまたちがすべてを教えてくれたよ。私の生まれた意味と使命もな」
「使命?」
「ホワイトアントを絶滅させることだ。両親は今の大統領たちですら知らない政府の研究機関でその方法を探し続けた。そしてインベーダーの母船にある自壊プログラムにアクセスするという方法を見つけたんだ」
「それ、オシリスでも聞いたよ。ペンケースっていう名前の船を俺たちも探してるんだけど、動かすにはオリジンが必要だって」
エコは唖然となる。剣也とオシリスがそこまで知っているのが予想外だったようだが、すぐに冷静になって話を続ける。
「そうだ、だが君も知ってのとおり、オリジンに適合する確率はノーマルとは比べ物にならないくらい低い上に、適合しなかったものは問答無用で死に絶えてしまう。原理を完璧に把握してないのだから当然だがな」
それもレモンたちから聞いていた。オリジンは自身が馴染めない体から抜け出そうとするらしく、それが拒絶反応という形となって死に至らるという。
「片っ端から人体実験なんてするわけにはいかない。だから受精卵の時点でオリジンを受け入れる体を作る計画が始動したんだ」
「それが、エコ」
剣也は信じたくなかった。何となくそんな気はしていたがありえないと無理やり頭の隅に追いやっていたが、エコが言う以上受け入れるしかない。
「再醒(さいせい)計画と呼ばれる世界を救うための人間を作る壮大な計画だ。偶然にもオリジンに対して僅かに適正があった両親のDNAが使われ、私は受精卵の段階で改良を繰り返された」
「じゃあエコにもオリジンが」
言い切るよりも先にエコは首を振る。
「残念ながら私でもオリジンを完全に受け入れることができなかった。投与されたオリジンはすべて休眠状態のまま繁殖もせずに勝手に死んでいく。本当に出来損ないだよ」
「そんな言い方ないだろ、自分に対してでも言っていいことじゃない」
「いい人だな剣也は。でもそこまで気にしなくていいよ。両親はそれでも私を必要としてくれてたんだ。愛されてたかはわからないけど」
暗い影を落としながら下唇を噛んでエコは俯いた。空の注射器を持つ手の力が籠もり、パキッとひび割れる音がした。
「両親はあらゆることを教えてくれた。一般的な教養から軍事教練、旧時代の世界情勢から今に至るまでの流れ。一つのことを成し遂げるたびに両親が喜んでくれるから、私は必死に勉強したよ。いつかモニター越しからじゃなく、直接会いに来てくれると思ったから」
「それで、両親とは会えたの?」
デリカシーがない質問なのは承知していた。だが無意識に聞いてしまった。
「いいや、私が15歳の誕生日を迎えると急な眠気に襲われて、気づいたらこのポッドの中で目覚めたんだ。そしてあらかじめ用意されてた音声データで私が長い眠りについてたことと、未だにインベーダーの母船が見つかっていないことを知らされた。この注射はただの保険。もしもこの時代にオリジンに完全に適合する人間を見つけたら。味方につけろという」
(そんなの、あんまりだろっ)
剣也はぐっと拳を握る力を強める。世界を救う。それだけならわかるし共感できるが、身勝手な理由で1人の女の子の生き方を歪められ、一方的に自分の見知った世界から引き離されるなんて。ランナーとしてずっと理不尽な現実を見てきたからこそ、こんな世界で生きることを強要されたエコへの同情が湧く。
「それからはずっと戦いの日々だった。見たこともないホワイトアントの変異種にずっと襲われ続け、初めて自分以外の人間であるバンデットにも命を狙われ、もう誰も信用できなくなってた」
「オシリスからずっと逃げ続けたのもそれが原因?」
「情けない話だ。スーリ・ボウはずっと歩み寄ってきてくれたのに、信じきれずに大怪我をさせてしまって、フレムとかいう女が怒るのも理解してたのに、弁明をするのもいやになった」
今にも泣きそうな声でこれまでの道筋を反芻している。
(何だよ、結局前部誤解だったじゃないか)
エコが操っていると思われていたホワイトアントはただ彼女を狙って襲っていただけ。オシリスから逃げていたのは対人経験の不足から。責任の度合いで言うなら彼女は悪くない。むしろそんな過酷な道を強制した研究所の人間や両親こそ元凶ではないか。
「……オリジンの適合者を見つけた後、どうするの?」
「この装甲車のコンピューターに記されてる両親の研究所に向かうよう言われた。最初は私一人で行ってみたが、インベーダーの母船のセキュリティを模倣してて、開けるにはオリジンの適合者が必要だったんだ」
「じゃあ俺に注射器を渡してくれたのは研究所に入れるためか」
「軽蔑したよな。人助けでも何でもない。ただ自分のためだけに君を巻き込んだんだ。父さまと母さまの痕跡が知りたくて、他に選択肢がない君に不自由な二択を強要した。倉庫で再会したときも君が生き残ってくれたことじゃなく、オリジンが適合してたことが嬉しかっただけなんだ」
自分の身勝手さに自嘲しながらキュロットパンツの裾を握りしめる両手は力を入れすぎて指の先が赤みがかっていた。
「君が私と一緒に来てくれたのもただあの女から一時的に逃げるためだってわかってるんだ。弱みに付け込んで不自由な二択を迫った勝手な女に協力したいなんて思うわけないってわかってる。しばらくしたら降ろすから、そのまま彼女たちのところに帰ってあげてくれ」
「エコはどうするの?」
「変わらず一人で戦うよ。私がいるとあの変異種との戦いに巻き込まれる可能性がある。オリジンを持っていない私はオシリスという組織にいても役に立たない。むしろそっちの仲間たちを傷つけるような人間がいたら困るだろ」
無理やり作られた笑顔を向けられ、心のない建前に苛立つ。
世界を救うために選択肢のない人生を歩み、絶望しかない未来の世界に置き去りにされて助けてほしいという願いを垣間見たからこそ、精一杯の強がりで嘘をつく姿が、まだ日本の北海道に住んでいた自分と重なった。
本州を支配され、ナノマシンで除染された不味いパンと水を食べるだけの毎日、いつも泣きそうになるたびに、死んだ両親が慰めるように聞かせてくれた。
セイヴィアに適合したナノヒューマンはヒーローとも呼ばれ、この星からホワイトアントを絶滅させるために戦ってくれているという話。今にして思えば。ひどい子供だましだけど、幼かった剣也にとっては生きる希望であり、自分もそうありたいと願うきっかけになった。
結局日本で受けた適性試験には落ちて、そのまま陥落寸前であることを知らないままワシントンに渡米して、ランナーとして苦痛だらけの日常を過ごしてきた。
それでも自分で自分を終わらせるようなことをしなかったのは、ランナーとして人を助ける行為が、幼いときの自分が思い描いたヒーローに近かったからに他ならない。理想には程遠くても、誰かの役に立てたから一線を越えることはなかった。それを支えにしてきたからこそ今がある。
「俺はエコに感謝してるよ」
きょとんとなるエコの顔を見据えて、剣也ははっきりと口にする。
「不自由な二択って言ってもあのままじゃ死んでたんだ。適合するかどうかもわからない人間のためにオリジンを渡してくれた君を軽蔑するわけがない。むしろちゃんと理由があって助けてくれたことのほうが嬉しいよ。具体的な恩を返す方法がようやく見つかった」
思惑が別のところにあるのはわかってた。単なる善意だけで人が動くわけないのだから。
だがワシントンで瀕死になった自分を悲しげに見つめるあのときの彼女のすべてが打算でないことも知っている。
そもそも貴重なオリジンを収めた注射を、適合する可能性が低い人間に委ねる時点でおかしいのだ。
おそらくエコは諦めたかったのだ。だけど意味もなく使命を放り投げるほど悪人にもなりきれない。そこでたまたま死にかけた剣也を見つけて、人助けのためにしょうがなく使命を投げ出す言い訳として使った。
「研究所に行こう。俺の中のオリジンが扉を開く鍵になるなら、それがエコが救われる唯一の方法なら、喜んで一緒に行くよ」
本当なら勝手に決められた使命を放棄する権利があるにも関わらず無理をしてきた女の子を助ける。ヒーローとしても、オシリスの一員としても間違った行動ではないはずだ。
今にも泣きそうになっているエコは、それでも寸前で涙を押し留め、剣也にそっぽを向く。
「バカな人だな君は。私と一緒にいたら損をするだけなのは今回の件でわかりきっているだろうに」
喜びを隠せないのが声色から判断できた。心中では望んでいたけどどうせ無理だと諦めていた願望が叶い、どう取り繕えばいいかわからないのだろう。剣也も笑顔で応えた。
「そんなことはないよ。ここで協力すれば君が世界にとって害のある存在じゃないってフレムにもわかってもらえるんだよ」
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