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第2章
12:この物語の主人公は、掃除により不在です
しおりを挟む「よろしい。君がこの学園を卒業するまでの五年であの部屋を見違えるようにしてくれたまえ」
「は?」
何を言ってるんだ、この教師は。卒業までの五年?は?はぁっ!?
「あの、清掃って……今日だけじゃないんですか?」
「では、尋ねよう。清掃とは、一体何を目的に行うモノかね?」
皮肉たっぷりに口にされたセリフに、「誰だ!?こんな彼にピッタリなセリフを書いたのは!いいじゃないか!」と、絶望の中に妙な興奮を覚える。
「室内を、心地よく過ごしやすく……そして、清潔に保つ事です」
「正解だ。素晴らしい。私の星読の授業の時とは大違いだ」
「……あの、ま、毎日ですか?」
私の問いかけに、コパイ氏は「まだ分かっていないようだな」と静かに呟き、一呼吸置いた。数拍の後、空中に手を伸ばして何かを掴むような仕草を見せたかと思うと、次の瞬間、その手には一冊の本がしっかりと握られていた。
「あっ、あっ!それはもしかして……!」
「見ての通り、君の『万象録』だが?」
「いや、あの!先生っ、ちょっ!待ってください!」
私の声など聞こえないとばかりに、彼はどこからともなく一本の羽ペンを取り出し、カリカリとその本に何かを記し始めた。
万象録(ばんしょうろく)。
それは、この学園に在籍する生徒の数だけ貯蔵される、生徒側からは絶対に閲覧できない「本」だ。まぁ、簡単に言えば生徒の学園内での「全て」が記録されている。
「さぁ、君の卒業要件に【遺忘の間の清掃完了】を加えておいた。万象録からの審判は……」
「あっ、あのコパイ氏!話せば、話せば分かるっ!私とて、決してキミの授業を軽んじているつもりはない!ただ、私のコレは寂しい老人の独り言に過ぎず……」
あまりの混乱に、思わずマルセルのキャラクターなど一切無視した言葉が口を吐いて出る。しかし、そんな私をコパイ氏は咎める事なくフッと口元に笑みを浮かべた。
「審判は通った」
「っぁ、あッ」
「君の日頃の行いに対する万象録からの回答は【是】である」
「っっっ!」
コパイ氏の言葉に、私は雷に打たれたような衝撃が走った。次いで私に見せつけるように掲げられた万象録の一ページには【卒業要件:遺忘の間の清掃完了】の文字が浮かんでいた。
「ギネス、これでキミが十八歳でこの学園を規定通り卒業する為には、あの部屋を心地よく過ごしやすく……そして、清潔に保つ事、という要件が加えられた」
「あっ、あ、あ……そ、そんなの」
職権乱用だ!と叫びそうになったが、寸でのところで飲み込んだ。
「万象録」が「是」と言ったならば、私のこれまでのコパイ氏に対する行いは「遺忘の間」の清掃に匹敵するという事だ。
まさに「万象録」は言葉の通り「生徒の日頃の行いを全て記録する書」なのだから。
これから、私の足は特別な事情が無い限り、必ず「遺忘の間」へと向かわされる事だろう。それが「万象録」に記された「言の葉」の絶対性だ。
「では、ギネス。定期的に私が君の成果を称える為に遺忘の間へと向かわせてもらうが……その際、私に見せられるのが埃の舞い散る中での、君の独り言の舞台でない事を祈ろう」
「……あ、あの」
「さぁ、行きたまえ」
もう話す事はないとばかりにコパイ氏は私に背を向ける。その手には、既に私の……マルセルの万象録は無い。羽ペンもどこかへ消えている。
「……なる、ほど」
いや、まったく「なるほど」と、簡単に納得できる状態ではない。
まさか、この物語の主人公であるマルセルが、「学園モノ」において最もイベント事の多発する夕鈴後を、まさか「掃除」で拘束される事になろうとは。
あぁ!こんな、アドリブあってたまるか!
しかし、そのアドリブの「フリ」を与えてしまったのは他でもない大根役者の「ヨシカワイチギ」である。
「し、失礼します!」
私はコパイ氏の鋭い視線から逃れるように足早に教師棟を後にした。
「こうなったら……」
ともかく、一刻も早く清掃を終わらせるしかない。
東棟と西棟を繋ぐ誰も通らない連絡通路の途中、埃にまみれた扉の向こうに「遺忘の間」はある。
十八で死ぬ運命の私にとって、卒業云々はとてつもなくどうでもいい。
しかし、物語の舞台の幕があがるその日まで……いや、出来る事ならば銀階から、聖階に階級の上がる十六歳までに掃除を終わらせておかねば、伏線も仕込めやしない。下手をすると、この物語は主人公が「掃除で不在」という最高につまらない脚本になってしまう。
「それだけは絶対にダメだ!」
つまらない舞台脚本など、私の作家としての矜持が許さない!
夕鈴後という事もあり、学内のあちこちから生徒たちの声が聞こえてくる。ずっと一人で脚本を書いていた頃からは考えられないほど賑やかな環境だ。
そんな生徒たちの合間を、私は足早に通り過ぎていく。
「……それにしても、独り言か。まさか、これも舞台上では立派なアドリブになるなんてな」
本当に気を付けないと。
しかし、こればかりは五十数年に渡り染み付いた無意識の産物だ。気を付けてどうにかなるとは到底思えない。
「どうにか独り言を消す魔法というのは無いものか」
まぁ、何もない場所から火を起こしたり出来る何でもありの魔法の世界だ。独り言を消すくらいワケがない気がするが。
「近いうちに、教師の誰かに尋ねてみるのもいいかもしれないが。一体誰に——」
——定期的に私が君の成果を称える為に遺忘の間へと向かわせてもらうが。
そう思った瞬間、最初に浮かんできたのは先ほどのコパイ氏だった。
「いや、それは絶対ないな」
あぁ、そうだ。それこそ「馬鹿にしているのか」と皮肉を言われかねない。
「彼にも随分と嫌われてしまったからなぁ」
全て私が悪いのだが。
しかし、私とて他の授業はまともに受けているのだ。ただ、単純に彼の担当する「星読み」という授業がハッキリ言って……つまらない。アルディの身を守るのに役立ちそうなモノならともかく「星読み」なんて。
「運命を読み解く術なんて、あまりにも私には性に合わない」
そもそも、この世界のシナリオ(運命)は私が描くモノだ。読み解くも何もあったもんじゃないだろう。そう思うとやる気の欠片も沸いてこない。
「ひとまず、独り言については別の教師に……」
そう、既に盛大な独り言をかましながら歩いている時だった。
「ん!?」
懐かしいアルコールの匂いが鼻孔を掠めた。
「待て待て待て。この匂いは……!」
ブラントンじゃないか!?
私の最もお気に入りにして、私を殺した、愛すべきバーボン・ウイスキー。その懐かしくも愛おしい香りが私の思考を一気に酒欲で覆い尽くす。
「どこだ、どこにあるっ?」
辺りを見渡し、その場から駆け出す。そんな私の突然の挙動に、すれ違う生徒たちは怪訝そうな表情を向けた。最早独り言がどうのというレベルではない。
「厨房か……!」
匂いの濃くなる先を見ると、そこは学生たちの夕食の支度で賑わう厨房が見えた。
もちろん、十三歳である「マルセル」が酒など飲めるはずもない。いくらファンタジーの世界とはいえ、倫理観や常識は元の世界に準拠しているのだから。しかし、そんな事は今の私には些末な事であった。
「おいおい……まさか、あの高級酒を料理にでも使うとでもいうのか!」
いや、ありえる。この学園は、将来の為政者を担う国の中枢を育成する為の学び舎。つまり、金持ちの子供達の集まる場所だ。その食堂でブラントンが料理に使われているのであれば——。
「わ、私の分に、多めに入れてくれないだろうか」
前世の後悔と反省はどこへやら。
匂いに誘われるようにフラフラと厨房の方へと歩を進めた。もう私の頭にはコパイ氏に頼まれた遺忘の間の掃除の事など欠片も残っていなかった。
「はぁっ、久々に。酒が……酒が飲みたい」
そう、私が厨房の戸に手をかけた時だ。
「へぇ、また兄上の食事に毒でも盛るつもりか?」
「っ!」
中庭に面した窓辺から、皮肉を含んだ生意気な声が響いた。あぁ、この声は——。
「し、シルヴァノ様?」
「ごきげんよう。マルセル・ギネス」
振り返ると、そこにはアルディの見目を模したかのような装いの美少年が居た。
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