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第1章
1:脚本家ヨシカワイチギ、ハジメテの「お仕事」
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脚本家という職業を御存じだろうか。
ジャンルによってはシナリオライターとも呼ばれるその職業は、映画やテレビドラマ、舞台、アニメ、ドキュメンタリー、ゲームなど、その活躍の場は多岐にわたる。
十八からこの世界に飛び込み、四十年近くこの業界に身を置く「ヨシカワイチギ」の主たる活躍の場は「舞台」や「映画」の脚本だ。しかし、そんな私にとって「初めて」の仕事が舞い込んで来た。
————
『スマホゲームのシナリオを、私に?』
『ええ、是非。ヨシカワ先生にお願いしたいんですよ!』
『えっと、ジャンルは……ボーイズラブ、で間違いなかったですか?』
『はい、間違いありません!』
『……なるほど』
いや、全然「なるほど」なんて思ってない。ただ、何を言っていいかわからず口を吐いて出ただけだ。
もちろん、最初は冗談だと思ったさ。
名誉なのか不名誉なのか。「人でなしの巨匠」と名高い私の元に、まさかスマホゲーム……しかも恋愛シミュレーションゲーム(ボーイズラブ)のシナリオの仕事が舞い込んでくるとは。
『……ふむ』
都内某所の新しいオフィスビル、その真新しい会議室で、私は目の前に置かれた企画書にもう一度視線を落とした。
【令息奇譚】というタイトルが、企画書の表紙に優雅なカリグラフィーで書かれていた。柔らかな青と銀の色合いが美しいロゴだが、どうも私の普段受ける仕事の温度感とは違っている。
もしかして、人違いで呼ばれたのではないだろうか。
『いいんですか。私はその、多分キャラクターを……』
『ぜひ、殺してください!どうぞご自由に、ヨシカワ先生の気の赴くままに!』
『え?』
喜々としてそんな事を言うプロデューサーに「この人はサイコパスなのではないだろうか」と本気で思った。私に言われたくないだろうが。
『私達は、ヨシカワ先生に最高のバッドエンドをお願いしたいんです!』
『はぁ、それは一体どういう……?』
聞くところによると、今回のゲームは攻略対象キャラによって「ハッピーエンド」と「バッドエンド」の両方を〝正規シナリオ〟として作る予定らしい。
その為、キャラ毎に二人ずつシナリオライターが必要だ、と。
それはそれは。予算はどれくらい見積もっているのだろう。……いや、今はまだこういう下世話な事を考えるのはよそう。
『では、私はその物語の——攻略対象の一人、【アルディ】のバッドエンドを担当する、という事でしょうか?』
『ええ、その通りです!』
『でも、私は今時の女性が好きそうな恋愛モノは書いた事がありませんし。特に、ボーイズラブは書いた事が無い……といいますか。そもそも、読んだ事もなくて』
言ってはなんだが、「ボーイズラブ」という言葉すら、この時初めて口にした。いや、ジャンルとしては知っているが、本当に「認知しているだけ」に過ぎない。
おずおずと口にする私に、プロデューサーの笑顔は崩れない。むしろ、より一層濃くなる。
おいおい。大丈夫なのか、この企画。
『今作がボーイズラブという事は忘れてくださって大丈夫です。むしろ、ヨシカワ先生には、いつも通りの「イチギ節」満載の脚本を書いて頂ければ、女性たちは歓喜の悲鳴を上げてくれますので』
『……そうなんですか?』
私もこの業界は長い。なので、相手の反応がおべっかかどうかは見極められる自信がある。あるのだが——!
『ヨシカワ先生に企画に入って頂けたなら、アルディのバッドエンドはこの界隈では伝説になります!絶対に!』
いつの間にか、机から乗り出したプロデューサーが拳を握りしめながら熱弁して来た。
おおっと、このプロデューサーは本気のようだ。
聞くところによれば、私の書く舞台脚本は若い女性に人気らしい。初耳だ。意外だ。信じられない。
『……やっぱりヨシカワ先生はご存じなかったですか。ネットはあまり見ないと、雑誌のインタビューで答えていらっしゃいましたもんね』
『まぁ、はい』
なにせ、私がネットや雑誌のインタビューに答えると基本的にこういったアオリ文が付いてしまう。
≪"容赦なき悲劇"で魅了するヨシカワイチギの世界観、その執筆の裏側に迫る!≫
≪幸せとは何か?ヨシカワイチギの描く"救い"とは?≫
≪人々を絶望へ導く名匠・ヨシカワイチギの新シナリオ、再び心を揺さぶる≫
どこにも≪女性に大人気!≫なんて書かれた事は、一度だってない。
『へぇ、そうなんですね。……ほうほう、若い女性に』
『ええ、大人気ですよ!』
いやはや、なんとも良い事を聞いた。
私も男だ。若い女性に好まれていると言われて嫌な気はしない。すると、少しだけ潜めた声でプロデューサーが続ける。
『……一部界隈では』
『一部界隈?』
『えっと……その、腐女子界隈です』
『ほう、なるほど』
ふじょし、ふじょし……?あぁ、婦女子界隈か。
わざわざ言い換えて伝えるから何かと思えば。特に情報が増えたワケではないが、ともかく女性に私の脚本が刺さるのは事実のようだ。
『分かりました。私でよければこの仕事、お受けしましょう』
『ありがとうございます!』
最近、少しばかりマンネリ気味だった仕事に対し変化をもたらす意味も込めて、この仕事を受ける事にした。
『ただし、女性たちから文句が来ても私は知りませんからね』
『大丈夫ですよ。ヨシカワ先生のバッドエンドはきっとこのゲームをプレイする女性たちに限っては、決して〝バッド〟には映りませんから!』
またしても、不思議な事を言う。
こちらの表情に、私が意味を理解していない事を察したのだろう。更に言葉が続いた。
『絶望的な結末は腐女子の創作欲に火を付けますからね』
『ほう、それは……一体どういう』
『あぁ、この二人に幸せになって欲しかった……そう言って彼女達に筆を取らせたら、こっちのモンです!なんたって、二次創作が一番有効な宣伝広告ですからね!』
『……なるほど』
うん、全然分からない。
高い位置で結った黒髪を靡かせる若いプロデューサー。そして、彼はニコリと効果音がしそうなほど大きく笑ってみせた。
『ヨシカワ先生の最高のメリバ、楽しみにしてます!』
そう言って拳を握りしめた、BLゲームのプロデューサー(25歳・女性)。
予想してはいたが、私よりも二回り以上年下だった。性別も世代も何もかも異なる相手というのは、どう頑張っても理解し難い宇宙人である。
『若い子の考えは、おじさんには分からないな』
そう呟いたのは、私の大ファンだという彼女の手帳にサインを書いて帰宅した後だった。
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