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20:運命だから④
しおりを挟む婚約を解消してからの俺は、それまで抑え込んでいた全ての“意思”を蘇えらせた。
『今この会社で動いているプロジェクト。全部に参加させてください』
『おいおい、待て。そんな事をして、自分の仕事はどうするんだ』
『やれます。やらせて下さい!』
それまでセーブしていた仕事に、俺は全力で取り組んだ。そう、元々の俺の性質はここにある。
困難や、数字や、勝負事が……大好きで、俺は自他ともに認める負けず嫌いだった。中学時代を最後に、それら全てから目を逸らしていた。
しかし、今なら本気が出せる。
『営業部の関わるプロジェクトには、全部参加させてください。迷惑はかけません』
『……わかったよ。各担当には、俺から連絡しておこう』
『ありがとうございますっ!』
そこから、俺の毎日は目まぐるしかった。会議に次ぐ会議。営業成績も落とすワケにはいかない。更に各課との連携も大事だ。俺は、ともかく数字を追い、順位の付くモノは全てトップを目指した。
『どうして、ここでそんな腑抜けた意見が出るんですか!?それで数字が達成できると思っているんですか!?』
『そうは言うが!お前のやり方はあまりにも現場の意見を無視し過ぎている!このままじゃ企画自体が空中分解するぞ!』
『それでも、その中で実行する為にはどうするか、それを考えるのがこの場所の意義じゃないんですか!?』
その中で、少し……まぁ、いや。多少の軋轢を生む事もあった。
その辺は、学生時代とはまるきり違う。あの頃は、皆俺の言う事に従ってくれていたが、会社ではそうはいかない。特に俺には、個人の実績しかない。こういった、プロジェクトの中で意見を通す“実績”や“経験”は殆どなかった。
でも、それがむしろ俺には楽しかった。
『それでも、やると言ったらやるんです!』
あぁ、自らの意思に従って動く事の、なんて気持ち良い事だろう。反対意見など、俺が実績さえ上げれば、そのうち勝手に――。
『あの、ひとついいですか?』
『なんだ、また何か意見か?』
『いいえ、意見ではなく質問です』
『質問?』
そうして、軽く手を上げた相手に、俺はヒクりと眉が動くのを止められなかった。ソイツには見覚えがあった。
そして、この流れにもまた……デジャヴを感じた。
『やると言ったらやる……はい。確かにそうですね。えっと……ジョーさんの考えは素晴らしいと思います』
ニコリと柔和な笑みを浮かべて此方を見つめる、ベータの男。
少し動く度にズレかかるメガネのせいで、ソイツはいつも慌ててメガネを抑えていた。
『三久地先輩。下手なお世辞は結構です。本題をどうぞ』
『あっ、はい。だとしたら、まず何をしていけばいいんでしょうか』
『まず?』
『はい、そうです。大きい目標は分かりました。そこに到達する為のプロセスも、凄く分かりやすかったです』
三久地 吉。
俺の二個上の先輩。他の参加メンバーと比べると、特にコレと言った能力や発案力があるワケではない。事務部からの数合わせ要員。
そう思っていた時期もあった。しかし、どうやら違った。
『ジョーさん、俺にも出来る。この行動計画の第一歩目を教えてくれませんか?』
俺の参加する会議の全てに、ソイツは居た。
三久地が、微かに微笑みながら発言をしたその瞬間。会議の中に漂っていた重い空気が、一気に変わったのを俺は肌で感じた。
◇◆◇
俺が自らの能力を、全て仕事に傾けるようになる中で、同時にもう一つの別の習慣が出来上がった。
『来たぞ、手つなぎさん』
週末、俺は必ずあの占い師の元に通うようになっていた。番に無理やり連れて来られているワケではない。自らの意思で足を運ぶ。俺を夢中にさせる“数字”も“勝負”もない、その場所に。
『こんにちは、ジルさん。今日も午前中二時間、そして午後六時間。どうぞよろしくお願いします』
『あぁ、頼む』
いつものようにゆったりと告げてくる相手は、やはり今日も変わらず目隠しでスーツだった。そんな相手の前に、俺は現金の束を置く。
『それと、これが今日の分の金だ』
『あ、あの……ジルさん。後払いで大丈夫なんですけど』
『後も前も変わらん。それと、いいのか?その目隠しを取って、現金を確認しなくても。少ないかもしれないぞ』
コイツが目隠しを取る事などしないのを分かっていながら、俺は毎度期待を込めて口にする。ただ、毎度その期待は裏切られる。しかし――。
『ジルさんがそんな事しないの、分かってるので』
口元に薄く笑みを浮かべながら、俺の望み通りの事を口にする手つなぎさんに、俺は静かに息を吐く。
『ふーーーっ』
あぁ、良い。
この人と居ると妙に落ち着く。数字も競争も、勝ち負けも。そして、運命を前にしたような激情もない。手つなぎさんは俺の欲しい言葉を、何の意図もせずスルリと差し出してくる。
俺が人生を左右されたあの一言にしたってそうだ。
-----お前は、運命と番わなくても死なないと言ったな。
-----え、何の事でしょう?
手つなぎさんは、俺の事など欠片も記憶に残っていなかった。
この人にとって、俺の人生を変えたあの一言すら、その他大勢に対して口にする言葉と、何ら変わらないらしい。まぁ、それもそうだ。手つなぎさんはそういう職業だから。仕方が――
------気を付けてお帰りください。
無いワケあるかっ!!
そう思った瞬間、俺は元来ある“負けず嫌い”が激しく腹の底から燃え滾るのを感じた。そして、気付けば占いの予約を俺だけで埋め尽くすようになっていた。
『お金を仕舞わせていただきますね』
『ああ』
『……あ、あれ?』
『ここだ』
『っぁ、はい』
そう言って手を握り札束を握りしめさせる。その瞬間、目隠しの下で微かに頬の色が淡く色付くのを見た。
『……さぁ、金は仕舞ったな。だったら手を』
『はい』
ここには、俺の追い求める“数字”も“勝負”もない。しかし、この人を前にすると、俺は俺の中の負けず嫌いの欲求と、自己肯定感の二つが上手い具合に撫で上げられてしまう。
『もっと金額を上げるといい』
『……んっ、ぅ。やっ』
『俺以外、予約なんか出来ないように』
『っぁ、……ッひぅ』
指を絡め、指先で手の甲を撫で上げる。毎週毎週、そうやっていやらしく手つなぎさんに触れるのが常習化していった。こうすれば、俺の事など「客の一人」と認識していた筈の手つなぎさんの感情を大きく乱す事が出来ると知ったからだ。
『ん?どうした、どこか具合でも悪いのか』
『……い、いぃえ。手が、その』
-----気持ち良くて。
そう、目隠しをしたまま頬を染める相手に、俺は冷静に思ってしまった。
『……まいったな』
『え?』
『いいな、手つなぎさん。アンタは、とても素晴らしい』
これは、俺の方が夢中になってしまっている、と。
ついこないだ、運命の番と別れたばかりで、なんとも不誠実だとは自分でも思う。後ろめたさもある。でも、いいじゃないか。コレを、俺の“運命”にすればいいのだから。
この人を俺のモノにして、今度こそ“最後まで”大事にすればいい。
『っひ……んっ、っぅ』
『本当に良いな……』
手つなぎさんは、ベータだ。
『だから、これは……確かに俺の“意思”だな。なぁ、手つなぎさん』
『……ぅ、ちょっ。っひ』
顔を真っ赤に朱色に染め、甘い息を吐く。もしかして、下半身も反応しているのかもしれない。何度も何度も、落ち着きなく椅子に座り直している。そうやって、全身で俺の与える快感に酔う手つなぎさんに、俺はほくそ笑んだ。
『俺も、気持ち良いよ。手つなぎさん』
本能に左右されていない劣情は、ともかく温くて心地良かった。
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