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リドさまの言葉を待っていたかのように、一人の少女が大広間に入ってくる。
パーティに集った人々のまなざしがわたしとリド殿下から外れ、現れた少女の方へ向けられる。
少女は、純白のドレスの上からレースでこしらえた肩掛けを羽織っている。
金色の豊かな髪は、小粒の真珠をいくつも使った髪飾りを使って結い上げられている。
この国では珍しい緑の瞳を不安そうに瞬かせて、
けれど堂々とした足取りで、その子は前に進む。
「ムールカ……」
二か月ぶりに会う妹は、泣きはらした目を扇で隠すようにして、わたしとリド殿下の前に進み出てきた。
そのままリド殿下の影に隠れるようにして、わたしの視線を避けてしまう。
その様子は、まるでわたしに怯えているみたいだ。
まさか本当に、ムールカがわたしを告発したのだろうか?
「ムールカ、こんなに怯えて可哀そうに……おまえと違って溌溂としていたムールカを追い詰め、自分はのうのうと王妃になるつもりだったのだろう? そうはいかないからな」
もはや敵意を隠そうともせず、強い語気でリドさまはわたしに向き合った。
その姿は物語の中の姫を助け出す王子のようにも、観客のことを忘れて自分の芝居に酔ってしまった役者のようにも見える。
「見るがいい、これが証拠だ!」
まるで花嫁のヴェールを外すかのような恭しさで、リドさまはムールカが羽織っていた肩掛けを取り払った。
ムールカが着ているドレスは背中が大きく空いたデザインで、まなざしが彼女の晒された肌に集まる。
以前までは、透き通るような白い肌の美しい背中だったはずだ。だけど今は、
「ひどい……」
こちらの様子を窺っていた貴婦人の思わず出てしまったようなつぶやきが、静寂に包まれた大広間に響いた。
赤黒いミミズ腫れ、爪で割いたようなひっかき傷。
膿んでこそいないものの、縦横無尽に何本も、柔らかな肌に走っている痛々しい傷の数々。
それが、柔らかな肩掛けの下から現れた。
まさか妹の背にそんな傷があるなんて思いもよらないわたしは視線を逸らしてしまいたいが、リドさまの「目を逸らすな! 逃げる気か!」という恫喝によってそれが許されない。
「ムールカ、この傷をつけたのはルミシカ、そうだな?」
「……はい、殿下。姉はいつも、私たち家族に八つ当たりをしていました」
「その傷をつけられたのはいつのことだ?」
「二日前の、早朝でした。夜会から帰った私が寝ているところを、部屋に無理やり押し込んできて……」
涙目を扇で隠す。まるで、わたしの視線から逃れるかのように。
見られるのも不快だと、言うかのように。
「寝ている私の背に馬乗りになり、ベルトで激しく背を打ち付けてきたのです!」
声を押し殺すように泣いて、リドさまにしなだれかかる。
扇が閉じられ、涙が頬を伝わり、床にぽとりと落ちるさまが見えた。
それだけで見る人はみんな、哀れな彼女に夢中になるのがわかった。
白いドレスと対照的な背中の赤い傷跡。美しい顔は憂いを宿し、透明な涙を流している。
その痛々しさは人の視線を遠ざけるはずなのに、誰もが彼女から目を離せない。
ムールカの嘆く姿には、人の心に響く説得力があった。
今までの証言なんてなんの証拠にもならない。だって目の前で、哀れな少女が泣いているのだから。
彼女自身が、「姉に傷つけられた」と被害を直接訴えているのだから。
「それを証言するものは?」
「私つきのメイドが」
もう一度開いた扇の影でそう言って、指を使って指し示した先には、確かにシェンブルク家に長年勤めてくれているメイドの姿がある。
彼女が力強く頷くのを見届けて、リドさまはもう一度わたしを睨みつけた。
「これでもまだ言い逃れをするつもりか!」
妹の背が、あんなに傷だらけになっていて、しかもそれがわたしのせいだというのだ。
もう、何がなんだかわからない。
「……わたし、ではありません」
その言い訳は、言ったわたし本人にさえ陳腐に聞こえた。
「はっ。聞いて呆れるような言い訳だな。おまえ意外に誰が、ムールカをここまで追い詰めると言うんだ?」
リド殿下の嘲笑につられるように、周囲の咎めるような視線が強くなっていく。
美しく、優秀な妹。
彼女を知る人は、みんな彼女を褒めそやす。
あなたがシェンブルクの長女で、王太子と結婚してくれればこの国も安泰でしたね、と残念そうに言う。
わたしはいつもそれを、影で聞いているだけだった。
妹に嫉妬しないでいられたなら、どれほど楽だっただろう。
誰にでも愛されるムールカを害し、追い詰めるのに十分な動機を持っているのなんて、
きっとこの世界にわたしにしかない。
だけど、妹を傷つけたのはわたしじゃない。
だけど、妹がわたしに傷つけられたと言って泣いている。
ムールカの側に寄って話を聞きたいのに、リドさまの気迫に阻まれる。
どうして、リドさまは、彼女の傷をそのままにしておくのだろう。
あんなにひどい傷なのだ。はやく手当だってしてあげないといけないはずなのに。
「妹と、話をさせてください」
思わず出てしまった言葉に、リドさまは鼻で笑って応じた。
「おまえが側にいること自体、ムールカには苦痛なんだ。加害者は自分だという自覚はないのか? それでいて、被害者をなおも追い詰めようというのか?」
リドさまの言葉が、ムールカから繰り返し言われていた言葉に重なる。
『見苦しいですよ、お姉さま。出しゃばらずに控えていたらどうです?』
視線が合うだけで、同じ部屋に入るだけで、ムールカは視線を険しくしてそう言った。
最初は驚いたが、勉強でも教養でも美しさでも、なんでもムールカより秀でたところのないわたしだけが、王子と婚約するよう定められていることが許せないのだと理解してからは、できるだけ彼女の望むように心がけてきた。
せめて見苦しいわたしの姿をこの子の視界に入れないであげることが、
わたしにできる姉としての最善の務めだと思っていた。
「リド殿下、構いませんわ」
ざわめく大広間に、凛とした声が響く。
ムールカが、扇の内側からリドさまに向かって進言したのだ。
パーティに集った人々のまなざしがわたしとリド殿下から外れ、現れた少女の方へ向けられる。
少女は、純白のドレスの上からレースでこしらえた肩掛けを羽織っている。
金色の豊かな髪は、小粒の真珠をいくつも使った髪飾りを使って結い上げられている。
この国では珍しい緑の瞳を不安そうに瞬かせて、
けれど堂々とした足取りで、その子は前に進む。
「ムールカ……」
二か月ぶりに会う妹は、泣きはらした目を扇で隠すようにして、わたしとリド殿下の前に進み出てきた。
そのままリド殿下の影に隠れるようにして、わたしの視線を避けてしまう。
その様子は、まるでわたしに怯えているみたいだ。
まさか本当に、ムールカがわたしを告発したのだろうか?
「ムールカ、こんなに怯えて可哀そうに……おまえと違って溌溂としていたムールカを追い詰め、自分はのうのうと王妃になるつもりだったのだろう? そうはいかないからな」
もはや敵意を隠そうともせず、強い語気でリドさまはわたしに向き合った。
その姿は物語の中の姫を助け出す王子のようにも、観客のことを忘れて自分の芝居に酔ってしまった役者のようにも見える。
「見るがいい、これが証拠だ!」
まるで花嫁のヴェールを外すかのような恭しさで、リドさまはムールカが羽織っていた肩掛けを取り払った。
ムールカが着ているドレスは背中が大きく空いたデザインで、まなざしが彼女の晒された肌に集まる。
以前までは、透き通るような白い肌の美しい背中だったはずだ。だけど今は、
「ひどい……」
こちらの様子を窺っていた貴婦人の思わず出てしまったようなつぶやきが、静寂に包まれた大広間に響いた。
赤黒いミミズ腫れ、爪で割いたようなひっかき傷。
膿んでこそいないものの、縦横無尽に何本も、柔らかな肌に走っている痛々しい傷の数々。
それが、柔らかな肩掛けの下から現れた。
まさか妹の背にそんな傷があるなんて思いもよらないわたしは視線を逸らしてしまいたいが、リドさまの「目を逸らすな! 逃げる気か!」という恫喝によってそれが許されない。
「ムールカ、この傷をつけたのはルミシカ、そうだな?」
「……はい、殿下。姉はいつも、私たち家族に八つ当たりをしていました」
「その傷をつけられたのはいつのことだ?」
「二日前の、早朝でした。夜会から帰った私が寝ているところを、部屋に無理やり押し込んできて……」
涙目を扇で隠す。まるで、わたしの視線から逃れるかのように。
見られるのも不快だと、言うかのように。
「寝ている私の背に馬乗りになり、ベルトで激しく背を打ち付けてきたのです!」
声を押し殺すように泣いて、リドさまにしなだれかかる。
扇が閉じられ、涙が頬を伝わり、床にぽとりと落ちるさまが見えた。
それだけで見る人はみんな、哀れな彼女に夢中になるのがわかった。
白いドレスと対照的な背中の赤い傷跡。美しい顔は憂いを宿し、透明な涙を流している。
その痛々しさは人の視線を遠ざけるはずなのに、誰もが彼女から目を離せない。
ムールカの嘆く姿には、人の心に響く説得力があった。
今までの証言なんてなんの証拠にもならない。だって目の前で、哀れな少女が泣いているのだから。
彼女自身が、「姉に傷つけられた」と被害を直接訴えているのだから。
「それを証言するものは?」
「私つきのメイドが」
もう一度開いた扇の影でそう言って、指を使って指し示した先には、確かにシェンブルク家に長年勤めてくれているメイドの姿がある。
彼女が力強く頷くのを見届けて、リドさまはもう一度わたしを睨みつけた。
「これでもまだ言い逃れをするつもりか!」
妹の背が、あんなに傷だらけになっていて、しかもそれがわたしのせいだというのだ。
もう、何がなんだかわからない。
「……わたし、ではありません」
その言い訳は、言ったわたし本人にさえ陳腐に聞こえた。
「はっ。聞いて呆れるような言い訳だな。おまえ意外に誰が、ムールカをここまで追い詰めると言うんだ?」
リド殿下の嘲笑につられるように、周囲の咎めるような視線が強くなっていく。
美しく、優秀な妹。
彼女を知る人は、みんな彼女を褒めそやす。
あなたがシェンブルクの長女で、王太子と結婚してくれればこの国も安泰でしたね、と残念そうに言う。
わたしはいつもそれを、影で聞いているだけだった。
妹に嫉妬しないでいられたなら、どれほど楽だっただろう。
誰にでも愛されるムールカを害し、追い詰めるのに十分な動機を持っているのなんて、
きっとこの世界にわたしにしかない。
だけど、妹を傷つけたのはわたしじゃない。
だけど、妹がわたしに傷つけられたと言って泣いている。
ムールカの側に寄って話を聞きたいのに、リドさまの気迫に阻まれる。
どうして、リドさまは、彼女の傷をそのままにしておくのだろう。
あんなにひどい傷なのだ。はやく手当だってしてあげないといけないはずなのに。
「妹と、話をさせてください」
思わず出てしまった言葉に、リドさまは鼻で笑って応じた。
「おまえが側にいること自体、ムールカには苦痛なんだ。加害者は自分だという自覚はないのか? それでいて、被害者をなおも追い詰めようというのか?」
リドさまの言葉が、ムールカから繰り返し言われていた言葉に重なる。
『見苦しいですよ、お姉さま。出しゃばらずに控えていたらどうです?』
視線が合うだけで、同じ部屋に入るだけで、ムールカは視線を険しくしてそう言った。
最初は驚いたが、勉強でも教養でも美しさでも、なんでもムールカより秀でたところのないわたしだけが、王子と婚約するよう定められていることが許せないのだと理解してからは、できるだけ彼女の望むように心がけてきた。
せめて見苦しいわたしの姿をこの子の視界に入れないであげることが、
わたしにできる姉としての最善の務めだと思っていた。
「リド殿下、構いませんわ」
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