上 下
44 / 45

懺悔

しおりを挟む
 ドーハートさまが魔王城を出て行く。
 直面していた危機的な状況は、発生したときと同じように突然収束したのだ。

「キシール、悪いがカイドルを呼んできてくれないか。さすがにもう動けそうにないんだ」

「わかった、すぐ呼んでくるね!」

「ゆっくりでいいぞ。安心しろ、もう怖いのは来ないからな」

「うん!」

 キシールの翼が風を切って飛んでいく音が次第に小さくなり、温室に静寂が満ちる。

 魔王が天井に空いた大穴から屋根の上にいるキシールに呼びかけている間に、わたしは緊張の糸が切れて膝に力が入らなくなり、床に座り込んでしまっていた。

 目の前で起こったことの処理が間に合わない。
 心には様々な感情がとめどなく溢れ、こらえきれなくなった想いは、涙になって目尻に滲んだ。

 ほろりと零れ落ちた涙に、魔王が気づく。

「待て待て、なんでリディが泣くんだよ?」

 魔王は声を掛けながらわたしの横に座り、顔を覗き込んできた。
 その案じるような視線が申し訳なくて、わたしは涙声で、ずっと胸に秘めていたことを打ち明けてしまう。

「ず、ずっと、半信半疑だったんです。カイドルさんに教わった正しい歴史の話も、聖女の力の正体がわたしの心臓にある宝玉だということも、聖女と勇者の仕組みも。人間が歴史を歪めて伝えたように、魔族だってわたしの力を利用するため、洗脳しようとしているんじゃないかと、少なからず疑っていたんです」

 聖女として働くと言いながら、魔族を警戒し、親切を疑っていた。

 そのくせ親切にされたくて、彼らの話を信じたふりをし続けていた。

 わたしは、汚い。こんなわたしの本性が知られたら、魔族のみんなだって軽蔑するだろう。

 そう覚悟しての告白だったのに、魔王の返事は至極あっさりとしていた。

「まあ、そうだろうな」

「……怒らないんですか?」

「それまで信じていた常識と全然違うことを『これが真実だ』なんて言われたところで、疑うのはあたりまえだろう。むしろ、端から全部信じるほうが危ういと思うぞ」

 わたしの懺悔を、魔王はなんでもないことのように流そうとする。
 それに乗って、甘えてしまえば、とても楽なのだろうと思う。

 だけど、だけど。
 そんなことをしてしまったら、わたしが、わたしを許せない。

「だけど、ドーハートさまが力を失ったのを見て、魔族のみんなから聞いたお話が全て真実だとわかりました。
 聖女の祈りが宝玉の力を引き出し、対象に力を与えるというのなら、ドーハートさまの強さは主神の加護なんかじゃない。わたしの祈りが、わたしの意志が、あの人を最強最悪の勇者に育て上げたということです」

 ドーハートさまは最後に、「おまえがオレをこんなにしてしまった」と言った。

 確かにそうだ。

 だって、勇者に選ばれさえしなければ、ドーハートさまの生涯はきっともっと平穏なもので終わったはずだから。
 わたしが彼にもっと強くなってほしいと望み、祈らなければ、世界を恐怖させるほどの力を得ることはなかったはずだから。

「わ、わたしさえいなければ、戦争だってもっと被害が少なかったはずです。キシールの親は死ななかったかもしれない。ドーハートさまだって、普通の人生を送れたかもしれないのに」

 涙はみるみる勢いを増して、わたしの頬をびしょびしょに濡らす。

 みっともない、魔王相手に懺悔してどうするんだ、彼に一体、どうしてほしいんだ。
 そう思うのに、言葉が溢れて止まらない。

 魔王は泣き続けるわたしを戸惑ったようにしばらく見た後、すぐ隣に座って子どもをあやすように頭をぽんぽん撫で始めた。

 不器用な彼なりに、慈しもうとしてくれているのがわかる。

 だけど、その優しさが、今は辛い。

「全部わたしのせいなんです。だから、わたしには優しくされる資格なんてありません……」

 うつむいてそう言い、撫でてくれる彼の手から逃れようとすると、優しく撫でていた手が止まり、頭をがっしりと押さえられた。

「? あの……」

「仮定の話をしてなんになる? 失った命を取り戻すことは、その心臓を取り出したってできやしない。
 聖女が勇者を作り出すのを知っていながら、長いこと聖女を取り戻すことができなかった魔族にだって非はあるんだ。なにもかも、自分のせいだと思わなくていい」

 わたしをまっすぐに見つめる紫の瞳。その深い色を見つめていると、少しだけ呼吸が落ち着く気がする。

「この温室にはいたるところに魔方陣が隠されている。いざというときは勇者をここにおびき寄せて封殺する予定で、ついさっきまではそのつもりだった。
 だから、リディは何も知らないままあの部屋で過ごしていても、勇者から保護さえしていれば何も問題はないはずだったんだ。それなのに知識を与え、考えて悩ませたのは、魔王としてのエゴなんじゃないかと、ずっと思っていた」

「エゴ……?」

 涙を止めて聞き返したわたしを見て、魔王は少しだけ表情を緩めた。

「初代魔王の執着が、長い時間をかけてたどり着いた果てにいた聖女がきみだ。だから俺は初代魔王の後悔を晴らすため、奴ができなかったすべてをきみに与えようと思った。……ドーハートたちを巻きこんだのがリディだというなら、リディを巻き込んだのは俺だ」

 魔王の体は初代魔王から遺伝子を複製し、記憶を埋め込まれて作られたものだという話を思い出す。

 記憶を共有することは後悔を共有することだ。
 長い時間後悔を忘れないために、魔王はそれを引き継いできて、そしてわたしと出会った。

 『聖女ともう一度出会いたい』と願った初代魔王とは、はたしてどのような人だったのだろう。

 その人は、今日のわたしたちに満足してくれるだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

悪役令嬢と呼ばれて追放されましたが、先祖返りの精霊種だったので、神殿で崇められる立場になりました。母国は加護を失いましたが仕方ないですね。

蒼衣翼
恋愛
古くから続く名家の娘、アレリは、古い盟約に従って、王太子の妻となるさだめだった。 しかし、古臭い伝統に反発した王太子によって、ありもしない罪をでっち上げられた挙げ句、国外追放となってしまう。 自分の意思とは関係ないところで、運命を翻弄されたアレリは、憧れだった精霊信仰がさかんな国を目指すことに。 そこで、自然のエネルギーそのものである精霊と語り合うことの出来るアレリは、神殿で聖女と崇められ、優しい青年と巡り合った。 一方、古い盟約を破った故国は、精霊の加護を失い、衰退していくのだった。 ※カクヨムさまにも掲載しています。

処理中です...