上 下
35 / 45

幕間 勇者ドーハート 1

しおりを挟む
 昔から、オレは運に見放されている。

 五歳のころ、魔族との小競り合いに巻き込まれて両親が死んだ。故郷の村には親類もなく、他の誰も自分のことで手一杯でオレを引き取りたがらなかったので神殿の孤児院に行くことになったが、そこはすでにオレのような親を喪った子どもたちでてんこ盛りで、日々の食料にも事欠くありさまだった。

 食事の時間、黙って座っていたらいつまでもオレの番なんてこない。待ってるだけでは誰もオレの皿に暖かいスープをよそってなんてくれない。
 すぐそのことに気づいたオレの関心は必然、どうすれば腹を空かせないですむか、ということに寄せられていった。

 だが、オレの勇者としての才能、つまり暴力がすべてを解決した。

 むかつく奴は殴り倒す。歯向かってきた奴も殴り倒す。そうやってオレは、孤児院に入って三か月もしないうちに子どもたちのボスの座に収まった。

 粗末なメシも、時々気まぐれのように与えられるおもちゃも、拳ひとつ振りかざせば子どもたちは全員全部オレに差し出すようになった。殴ればだれでもおとなしく言うことを聞く環境は居心地がよく、オレはしばらくの間全能感を大いに満喫することができた。

 だが、ひとつ気に喰わないことがある。
 神官たちの態度だ。

 オレに目をつけられることを恐れて、いたずらをする子どもも、隠れてイジメをする子どももいなくなった。子どもたちのオレへの恐怖は、神官の手が届かない隅々にまで「ドーハートに逆らってはならない」という秩序をもたらしたのだ。
 神官たちはそれを利用するだけ利用して子どもたちを効率よく管理しているくせに、オレに見返りを与えない。それどころか、オレだけを悪者にすることで子どもたちの支持を獲得し、オレと神官の対立構造を作り上げていったのだ。
 こうなると面白くない。子どもたちはオレを遠巻きに見てヒソヒソ話を繰り返し、オレが近づくとすぐに神官を呼んでくる。神官は面倒くさいという顔を隠しもせず「弱い者をいじめてはいけない」というだけのご高説を聖典を引用することで何時間も長引かせ、オレがそれに足止めを喰らっているうちに他の子どもたちがオレのものだったはずの食料を根こそぎ奪っていく。

 そんなことが繰り返されるうちに、オレは悟った。
 いくら子どもたちのボスになってお山の頂点を気取っても、なんだかんだ言って孤児院での暮らしを支配するのは結局は神官たちだ。居心地がよかった孤児院では、だんだん尻の座りが悪い場所になっていった。

 神官の連中がオレの有用性に気づき、能力を評価していればこんなことにはならなかったのに。バカばかりでうんざりだ。そんな奴しかいなかったのだから、まったくオレも運がない。

 そういうわけだから神殿暮らしに辟易していたころ、突然聖女が孤児院を訪ねてきた。

 白っぽい髪と熟れたザクロみたいな赤い瞳。二重のぱっちりした瞳も、りんごみたいに赤い唇も、かわいいと思って近づいたのが運のつきだ。非難しない、ものおじしない、卑屈にご機嫌を窺おうとすることもない目でオレを見るそいつに少しだけ興味を持って、オレは自分から話しかけた。

「おい、おまえ。名前はなんていうんだ?」

 孤児院にいる小さな子どもたちからすぐに懐かれて、埋もれるように子どもに囲まれたそいつの肩を乱暴に引っ張って、目を合わせた。するとそいつはびっくりした顔をして振り向いて、

 そしていきなり、オレの顔を覗き込んで手を握り締めてきた。

「あなたは、もしかして……!」

 燃えるような熱がこもった、宝石みたいな赤い瞳に見つめられてどきどきしたなんて認めたくなかったオレは、「なんだよ、離せよ!」と言って抵抗した。

「す、すみません、失礼でしたね。わたしはリディ・エイジー・カラヤドネ・ジャミス。あなたの名前を教えてくださいますか?」

 オレとそう年が変わらなく見えるのに、言葉の端々には教養があり、仕草は洗練されている。まるで神殿の大人みたいな分別を持って、リディはオレに向き合った。
 こいつと話していると、嫌でも自分との格の違いみたいなものを感じざるを得ない。

 だけどそれは、運がないからだ。教育を受けていないからだ。孤児院なんかで、暮らしているからだ。

 なぜかオレに関心を示してついてくるリディにそうやって孤児院のグチを語って聞かせると、「わたしなら、あなたをここから連れ出せるかもしれません」と言い出した。

「は? どういうこと?」
「わたしは、生涯でただ一人だけ伴侶を選ぶことができるんです。あなたに、勇者としての運命を背負う覚悟があるならば、わたしはあなたを伴侶に選んで、ここから連れ出してあげることができます。
 ただし、一つだけ。聖女が選んだ伴侶は主神によって加護を与えられ、勇者になります。勇者になれば、同時に魔族と戦う定めを受け容れなくてはなりません。……それでも、わたしの伴侶になってくれますか?」

 オレは昔から運がなかった。だけど運が向いてきたのかもしれない、と思った。
 だって、いきなり現れた美少女がオレに向かって「勇者になってください」なんて言うんだ。そんじょそこらに溢れている子供だましの物語みたいに都合がいい。

「聖女の祈りは、勇者さまへの愛で力を増していくんです。勇者となり、わたしと絆を育み、一緒に魔族と戦ってくださいますか?」

 孤児院から出られるなら、あとはもうどうだってよかった。
 だからオレは、一も二もなく同意した。

 それを見たリディは、オレの手を引いて御付きの神官たちに「勇者さまを見つけました!」と宣言したのだ。

 聖女の言葉を聞いた神官たちが、目の色を変えたのがわかった。
 リディは神官たちの目の前で、オレに跪いて見せた。

「聖女として神託を受けてから、ずっとお探ししていました、勇者さま。けれどまさか、ここで出会えるだなんて思いもしていませんでした!」

 そう言って感極まったように瞳を潤ませながら、にっこり笑った顔を今でも覚えている。

 勇者の伝説は、神官から何回も聞かされていた。聖女が勇者を選び、勇者は聖女の祈りで力を得て魔王を倒すために戦う。神話の時代からずっと受け継がれてきた、この世界の理だ。

 勇者は魔王を倒し、魔族を滅ぼすための人類の希望。オレがその勇者だと言われて、気分が悪くなるわけがない。

 それからはあれよあれよという間に話が進み、オレが正式に勇者として叙任されたのが今から大体十年前だろうか。

 まったく、自分の浅はかさを今となっては呪いたいね。
 まさか勇者が、こんなに面倒だとは思わなかった。

 「勇者様、この世界をお救いください!」と神官たちが手のひらを返したようにオレを崇め奉るのは見ていて気分がよかったが、その後のクソくだらない修業とやらからは何度逃げ出そうとしたかしれない。オレはただ、孤児院を出たかっただけだ。なりたくもない勇者になって、やりたくもない修業をするだなんて馬鹿げている。

 それなのに何度逃げ出しても、その度リディに捕まった。「勇者さまの居場所は、聖女であるわたしにはわかります。どこにいても、魂の繋がりがありますから」とか意味が分からない。四六時中監視が付いているようなものじゃないか。だとしたらオレのクソした時間まで、リディには全部筒抜けなんだ。そんなの知ってどうするんだ、変態かよ。
 かわいいと思って近づいた聖女は、とんだメンヘラだったというわけだ。

 いやいややっていた勇者の修業を経て実戦に駆り出されたオレは、しかし瞬く間に強くなった。竜種で編成された軍隊に一騎で立ち向かえと言われたときは「正気か?」と思ったが、やってみればあっさりと勝ち残った。あっけないほど、たやすくドラゴンは死んでいった。

 これはオレの力。これが勇者の才能だ。

 ドラゴンの返り血を浴びながら、オレはその時ようやく、自分がどれほど強いかを実感したのだ。

 無傷で帰ってきたオレを、王や将軍たちは喜んで迎えた。口々に、こんなに強い勇者は前例がない、という。神殿のお偉方も驚くほど強くなったらしい。オレがいれば、神殿に優位に立てる。そう言って続々と、競うようにオレに褒美を与えていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

処理中です...