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3 最愛の人や家族との別離

4 母の乱心

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 「リリアンの件、あなたが画策したんでしょう? マルティナ」
 リリアンをエリックが連れ出した翌日、学園から帰ると母が玄関ホールで仁王立ちして待っていた。

 「では、お母様はリリアンが学園入学を断られてどうなさるおつもりだったのですか?」
 マルティナは、一つため息をつくと、質問に質問で返した。

 「私だってちゃんと考えていたわよ。昔からリリアンの事を気に入ってくださっていた男爵様に相談したら、ぜひ養子にって言ってくれていたのよ」

 「リリアンの言うところの、リリアンの意思を無視して、抱っこしたり触ってくるという男爵様ですか?」

 「学園に入学できない出来損ないなのに、貴族として生きていけるだけいいじゃない。男爵家は銀山を所有していて裕福だし、嫁に行けなくても、一生何不自由ない暮らしができるのよ!」

 母はリリアンを可愛がっているように見えたけど、それはリリアンの言うように見せかけのものだったようだ。自分も女なのに、娘が嫌だということをなんの躊躇もなく強いようとしている。マルティナが危惧したように、学園に入学できないリリアンの行く末を母に任せていたら、大変なことになっていた。自分のお眼鏡にかなわなくなった娘を売るようにして、養子に出すことを当然のように言われて、マルティナには返す言葉もない。

 そもそも、リリアンが家を出たのはある意味、母が今までしてきたことの積み重ねの結果だというのに、母に反省や我が身を振り返るという言葉はないらしい。わかっていたけど母とは会話が成立しない。どうしたものかと無言で逡巡していると、にわかに玄関から甲高い悲鳴が聞こえる。

 「マルティナ!!! マルティナ、あなた、第二夫人になりなさい。学園なんてすぐにやめて」

 「アイリーン、どうして家に帰ってきているの? 先触れもなく! 公爵家からあなたに関する物言いが入っているのよ。どうしてしまったの? 早く公爵家に帰りなさい」

 「だって、お母さま、結婚式の招待客に御礼状を書けって言うのよ? それも定型文ではだめで、さりげなくお相手の趣味嗜好や領地の特徴を入れて褒めて書けって。しかも、相手の爵位に合わせて阿るでもなくへりくだるでもなく、絶妙なさじ加減なんて、わかるわけないじゃない!!!

 マルティナがいつものようにお手本を書いてくれないから大変だったのよ! それに、お茶会を開催しなさいって言うのよ。準備も采配も全てするなんて無理よ!! マルティナ。いつも通り手順書を作って!」

 公爵家で暮らして数カ月、結婚式からはまだ数週間。だいぶ、精神的に追い込まれているのか、姉の美貌は相変わらずだが、目は血走っていて、母の前で取り繕うことも忘れてまくしたてている。

 「お姉様が何をおっしゃっているのかわかりません。お姉様は才色兼備な次期公爵夫人ですよね? 結婚式の招待客の御礼状を書いたり、茶会を開催することなど、簡単なことなのではないのですか?」

 「そうよ、アイリーン。優秀で完璧なあなたなら、簡単にできることよね?」

 必死な形相な姉に、冷たくマルティナが答えると、母も姉に縋るようにして、言い募る。

 「マルティナ!!! 生意気な事を言っていないで、いつものように助けなさいよ!!! 一緒に公爵家へ行くわよ!!」

 「お断りします! 出来が悪い私はいつもお姉様に世話をさせて足を引っ張る存在なのでしょう? それなのに、なぜ私が必要なのですか? 仮に私がお姉様を手助けしていたとして、私がしていたことなど優秀なお姉様なら軽くできてしまうでしょう? それとも馬鹿にして、見下していた私如きがしていた事にお姉様は苦戦しているとでも言うのですか?」

 もう、マルティナには何も残っていないし、傍に誰もいない。だから、もう姉の事なんて怖くない。姉がマルティナを脅せる材料は何もない。今日ほど、ブラッドリーと距離を置き、リリアンを家から出した事を感謝した日はなかった。

 「マルティナァァァァァァ!!!」
 今まで見たことのないような憤怒の表情で、姉が詰め寄ってくる。マルティナは、それをどこか他人事のように眺めていた。

 「アイリーン」
 いつの間にか現れた今は夫となった公爵家嫡男の呼びかけに、今にもマルティナにつかみかからんとしていた姉の動きがピタッと止まる。

 いつものようにそのあたりの虫を見るような姉の夫の冷え冷えとした目線に、マルティナにも緊張が走った。姉を溺愛しているこの人の意向次第では、マルティナなどどうとでもできる。

 「アイリーン。さぁ、公爵家へ帰るよ。妹を第二夫人に、なんて寝言をまだ言っているのかい? なぜ、こんな劣化品を第二夫人に据えないといけないのかな? 君もさんざん、妹をこき下ろしていたよね? 帰ってじっくり話し合おうか」

 そこには、姉を蕩けるような目線で見て、優しく話しかけていた姉の夫はいなかった。まるでマルティナのような不用品を見る目線で、姉を見て、他の人に接するのと同様に厳しい物言いをしている。

 一体、姉が結婚してから数週間で何があったのだろうか?
 姉を溺愛しているように見えていた公爵家嫡男が愛想をつかすくらいの?
 それとも、彼は厳格な人だから、姉の不出来な部分を見抜いてもう切り捨てたというのだろうか?

 「母君にも言いたいことはあるが、今日は失礼する」
 母にも厳しい目線を投げると、姉の腕をきつく掴んで、姉を引きずるようにして、去っていった。

 本当なら、家族として、姉に不出来な部分があるからとすぐに切り捨てた態度をとる姉の夫に憤るべき?
 でも、マルティナは、ああやはり自分のしたことは自分に返ってくるのだなぁと月並みな感想が浮かぶだけだ。姉に対して、ざまあみろとは思わないが、可哀そうとも助けてあげたいとも思わない。

 どちらかというと、姉可愛さに、姉の不出来を隠蔽するために、マルティナを公爵家へ連れて行くという可能性がなくなったことにほっとしている。

 母は、取り乱した姉と、その夫との冷えたやりとりを見て、呆然としている。

 「アイリーンは完璧な公爵家の嫁のはずなのに……なんで……」

 「ですから、自分の頭で考えることをせず、馬鹿にしていた妹に面倒くさい考えなければいけない勉強の課題や生徒会の仕事を押し付けていた成れの果てです」

 「あなたが、アイリーンの頭脳だったとでもいうの?」

 「信じる信じないは自由ですけどね。お姉さまはもともと頭は良いのですが、努力や泥臭く試行錯誤することが嫌いで、全て私に押し付けていたのです。上手く取り繕っていたんですけどね」

 「だったら、アイリーンの侍女になって、あの子をこれまで通り助けなさいよ!」

 「お母様は本気でそうおっしゃってるんですか?」

 「当たり前じゃない! 我が家にとって、公爵家との繋がりはなにものにも代えがたいのよ!」

 「……ずっと聞きたかったのですが、伯爵家の跡継ぎのことはどうお考えなのですか? お姉様は公爵家へ嫁ぎました。リリアンに婿をとるおつもりでしたか?」

 「そんなことは旦那様が考えることよ! 私は三人も子供を産んだのだから、もう役目を果たしているの。そう簡単に伯爵夫人の座を誰にも譲るつもりもないわ! アイリーンが男の子を二人産んで、一人を跡取りにすればいいのよ!」

 「……では、私の処遇はどのようにお考えでしたか? 私も後、半年程で学園を卒業しますが……」

 「……。だから、公爵家で侍女でもして、アイリーンの役に立てばいいじゃない。そうしたらお金も稼げるしね。釣書も来ていないあなたが結婚なんて無理に決まっているじゃない」

 「マルティナ様への婚約の申込みなら、来ていますけどね」
 静かに家令が、釣書の束を持って、傍に控えていた。家族の会話に物申すことのない彼が口を挟むことは珍しい。

 「所詮、子爵家や男爵家からでしょ! そんな名もない下位貴族に嫁ぐなんて、由緒正しい伯爵家として許せるわけないでしょ! それに、アイリーンが公爵家に嫁ぐのに莫大な結納金を納めたから、あなたの結納金はどの道用意できないわ」

 リリアンを成金男爵家に養子に出すことは躊躇わないくせに、マルティナを下位貴族に嫁に出すのは恥だと言う。一体、母の目的地はどこなのだろうか?

 「ああ、そうだわ、いいことを思いついたわ。マルティナ、リリアンが養子に入る予定だった男爵様の後妻に入りなさい。懐の大きい方だから、あなたのような不器量なものでも受け入れて下さるわ。きっと結納金もいらないし、支度金も弾んでくださるわ。もう、あなたはこの家にいる価値はないのだから、この家から出て行ってちょうだい」

 醜く歪んだ笑みを浮かべる母を見て、なんとなくその思惑が透けて見える。

 「お母様は、私が不幸になることがお望みなのですね。お母様にとって完璧ではない出来損ないの私が幸せになることは許せないのですね。そして、完璧だと思っていたアイリーンお姉様が、完璧でなかったことや可愛がっていたリリアンを手放すことになった腹いせを私にしているのですね? いつものように」

 マルティナが泣いて悔しがりながらも母の提案を受け入れると思っていたであろう母の勝ち誇った顔が呆然としたものになる。マルティナの反抗的な態度に、母の中でもなにかが切れたようだ。
 
 バシッ
 
 頬に衝撃が走る。
 その瞬間の全てがゆっくりと見えた。
 顔を真っ赤にして、鬼のように憎悪に染まった母の顔。
 振り上げられる手。
 その手が一直線にマルティナの頬に振り下ろされる。
 ゆっくりに感じられるのに、避けることもできない。
 頬を張られた瞬間、熱く感じ、鋭い痛みが走る。
 頬から熱い液体が流れているのを感じる。
 母の綺麗に装飾された爪が当たったのか、赤い物が垂れているのが目に入る。

 ああ、頬を張られたのか……
 ついに暴力まで奮われるようになったのか……

 「そうよ! あなたのような出来損ないが幸せになんてなれないのよ! あなたは私が産んだのだから、私にあなたの将来を決める権利があるのよ! あなたは私より不幸でいなきゃいけないのよ! 許さないわ、私より幸せになるなんて……

 だいたい! 完璧で美しいアイリーンの次に産まれたのに、女だからいけないんじゃない! あなたが跡継ぎの男だったら何も問題もないし、まわりから男の子を産んでいないことを責められることもなかったのよ! しかも、あなたを産んだせいで、産後に体調を崩して、次の子どもをなかなか妊娠できなかったし!

 あなたが男じゃないから、あなたの器量が良くないから、あなたが地味で出来損ないだから、いけないんじゃない!!

 あなたのせいで、私の完璧な世界は台無しなのよ!!」

 マルティナの血痕が付いた手を振り回して、呪詛のようにマルティナへの文句を叫ぶ母はまるで得体の知れない怪物のようだった。侍女長が興奮する母に付き添って部屋から退出させた。

 「さぁ、手当をしましょう」
 まだ、マルティナへの文句を叫ぶ母の声が響く中、家令の手当を受ける。不思議と痛みは感じない。

 産んでなんて頼んでいないのに。
 元からいらなかったなら、存在しなかったらよかったのに。
 なにもなかったかのように消えてしまえたらいいのに。

 もう自分の中は空っぽでなにもないと思っていたのに。
 それでも、残っていた心が塵のように粉々になって、散っていく。

 今日は、マルティナの誕生日だったのに。
 誰にも気づかれることはない。
 今年も家族には祝福されることはなく、むしろ産まれて来たことを後悔する日となった。
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