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2 少しずつ感じられる成長

3 長期休暇

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 待ちに待った長期休暇になった。母に領地に行かないと告げると「あっそ」の一言で終わったので、ほっとした。領地では、領主夫人として持ちあげる人ばかりなので、母のストレスはあまり溜まらない。だから、愚痴聞き係のマルティナはいてもいなくてもよいのだろう。

 伯爵家の使用人達もマルティナがタウンハウスにとどまることも、毎日、学園に通うことも特に気にしなかった。

 「マルティナ」
 学園に着くと、門のところでブラッドリーが待っていてくれる。
 その黒髪が目に入ると、マルティナの胸がはずむ。一応、来られる日は事前に教えてくれるけど、急に仕事が入るときもあり、連絡手段のないマルティナには、学園に来るまで、ブラッドリーがいるかどうかはわからない。でも、ブラッドリーがいる日は頬がゆるむ。

 「おはよう、ブラッドリー」
 「やっぱりその髪型似合ってるな。なんだかんだいって器用だし、センスあるんだよな、エリックは」
 「ふふふ、ありがとう。自分でもいいなって思ってるの。すごく身軽になった気分なの。なんだか自分が勝手に背負っていた重荷も手放せたような気がして。エリックは無事、帰れたのかしら?」
 「ああ、そういえば、手紙が届いてた。無事、着いたみたいだ」
 図書室へ向かいながら、ブラッドリーと雑談を交わして歩いていく。まだ、朝早いこともあって、人の姿はあまりない。

 長期休暇に入ってすぐに、マルティナは思い切って腰まであった髪を肩につくくらいの長さまで切った。母や姉はすでに領地や婚約者の領地などの目的地に旅立った後だったので、ばれた時の反応は怖い。でも、マルティナは後悔していなかった。

 貴族令嬢は大抵、腰まで髪を長くのばしている。でも、マルティナの髪は癖があってまとまりにくいし、手入れもしていないので、艶もなく傷んでいる。その状態で伸ばしていることに意味を見いだせなくなったのだ。髪を乾かしたり、手入れをしてくれる侍女もついていない。自分で乾かさなければならないなら、短いほうがいいと思ったのだ。

 ブラッドリーに相談すると、エリックが髪を切ったり、結ったりすることも得意だからと、エリックが帰省する前に、ブラッドリーの商会の一室で、エリックが切ってくれた。肩につくくらいの長さで、エリックが上手くマルティナの癖を生かしてくれた新しい髪型はマルティナをほんの少しマシに見せてくれる気がした。

 「髪も短くなったし、髪も肌もアタシがいなくてもちゃんとお手入れしなさいよ。外見なんてってあなどらないで。見た目だって立派な武器になるのよ! ちゃんと磨きなさいよ」
 エリックは、マルティナに大量の化粧品や髪の手入れ用品を押し付けると旅立って行った。ドレスメーカーを姉に任せているものの、さすがに長期休暇には様子を見に行かないといけないらしい。あの騒がしさがないと思うと少しさみしい気もする。
 
 マルティナはエリックの教えてくれた通りに、髪の毛や肌の手入れをさぼらずに続けている。母に呼びつけられることもなく、姉や妹のフォローをすることもなく、時間に余裕があることもあるが……

 ブラッドリーの横に立って、誇れる自分になりたい。
 きっとそれが一番強い動機だろう。

 図書室で、隣に座るブラッドリーの横顔に見入る。褐色で彫りの深い顔立ちを黒い豊かな髪が覆う。マルティナと同じ黒髪黒瞳なのに、なぜこんなに魅力的なのだろう?

 この国では、男女ともに華やかな美貌を持ち、金髪青瞳で、細身でしなやかな体形のものがもてはやされる。姉や姉の婚約者のように。

 ブラッドリーは、背も高く、商会の仕事で培った筋肉のついたしっかりした体つきをしている。顔立ちも合わせると、野性味にあふれていて、この国ではあまり女性に囲まれることはない。その事に、マルティナはほっとしている。

 少しでも可愛いって思ってほしい、この人に。今まで、綺麗とか可愛いという言葉は姉や妹のための言葉で自分に当てはまる言葉だとは思っていなかった。今でも、自分の容姿に自信なんてない。それでも少しでもマシに、少しでも可愛くなりたい。

 ブラッドリーが興味とか可哀そうだからという動機でマルティナと関わっているのはわかっている。そして、途中で投げ出すような無責任な人ではないことも知っている。同情なのはわかってる。それでも、少しでも自分のことをよく思ってほしい。
 
 「ん? どうした、マルティナ。何かわからないところあった?」
 マルティナの視線に気づいて、ブラッドリーが身を寄せる。ブラッドリーがいつもつけている爽やかな新緑の香りがする。動揺を隠すように、わからない所を質問する。

 ブラッドリーの提案で、学園への入学当初からの勉強を順に復習している所だ。今まで姉の苦手分野を中心に学習していたマルティナの知識は凸凹で、それを埋めるようにして進めていった。

 ブラッドリーは頭の回転が早く、知識も豊富で、教え方も上手だった。商人らしく色々なことに興味を持っていて、豆知識や周辺のエピソードも知っている。勉強はいつも必死にするものでやらなければならないもので、楽しさなんて感じたことなどなかったのに、ブラッドリーのおかげで、はじめて勉強のおもしろさを知った。

 「ありがとう。本当にブラッドリーの教え方はわかりやすいね」
 「マルティナも飲み込みが早いし、きっと自分の範囲だけだったら、学年上位を取れていたと思うよ」
 「でも、そのおかげでブラッドリーと会えたから……」
 自分でも、失言したのに気づいて、口をつぐむ。いけない、つい気が緩んで本音がこぼれた。ちょっと浮かれすぎていたかもしれない。
 
 「それは光栄だな。うん、俺もマルティナと会えてよかったよ」
 それなのに、ブラッドリーはうれしそうに優し気に目を細めて笑う。マルティナは涙が零れそうになるのを、口の中を噛んで耐える。なんでもないふりをして、勉強に戻った。

 「あーいい天気だなぁ。毎日、勉強か仕事なんて、俺達、勤勉な若者だよなー」
 長期休暇中は、寮の食堂は開いているけど、学園の食堂は閉まっている。昼食はいつも家から簡単に作ったものを持ってきている。ブラッドリーがいる日は、マルティナの分もおかずやデザートを持ってきてくれるので、ありがたくいただいている。

 今日は天気がいいので、中庭の東屋で食べることにした。学園は人もまばらなので、いつもとは違い、その日の気分で好きな場所で食べている。

 「そうね。でも、今までの長期休暇の中で一番楽しい」
 「俺がいるから?」
 「うん」
 素直に答えておいて、頬が赤くなる。ちらりとブラッドリーを見ると、耳のあたりが赤い気がする。

 「ん"ん"っ……。そういえばさ……」
 ブラッドリーは急に、話題を実家の商会がこの国で立ち上げた支店の話に変えた。この国にないドレスの貸し出しという事業は、見栄ははりたいが、金銭的に苦しい貴族家にとっては救いになっていて、売り上げは上々なようだ。だが、自由で開放的で、身分制度も緩い隣国とは違い、昔ながらの慣習を大事にする身分制度が絶対的なこの国で、問題は山積みで、後発で似た事業を立ち上げる商会がこの国で出てきたりして、雲行きが少々怪しいらしい。

 「なんでそんなはじめから、苦戦することがわかっていることに挑戦するの?」

 「まーこの支店に関しては、兄の決断だから、本当のところはわからないけど。商人の性なんだろうな……新しいものに挑戦するとか、拡大させていくことが」

 「挑戦と拡大かぁ。すごいな」

 「そうだな。なにかひらめいたら、とにかくやってみる。もちろん勝算ゼロで行くことはないし、下調べとか準備はするけど。

 十個やってみて、全部上手くいくこともあるし、十個やってみて、一個しか芽が出ない事もある。とにかくやってみるんだ。思いつく手を全てやってみる。頭で想像しているだけでは、心で思っているだけでは、いつまで経っても現実にはならない。行動でなければ、現実は変わらないんだ」
 商売について語るブラッドリーは、熱くて真剣で、そんな表情もいいなとマルティナは見惚れる。

 「ごめん、なんか熱く語りすぎたな。こんな泥くさいやり方、貴族のマルティナには関係ない話だったな」

 「ねぇ、それだけがんばって、だめだった時、どうするの? 十個やってだめだった残りの九個はどうなるの?」

 「……無駄にはならない、と思いたい。きっと未来のなにかの糧になるんじゃないかって思いたい。でも、一個でも上手くいくことがあると、次にがんばる力になるんだよ」

 「そっかぁ……。怖くないの? 十個やって十個全部だめになるかもしれないじゃない……」

 「それでも、突っ込んでいってしまうのが商人なのかもなぁ。でも、たいがい商人には足場があるから。家族とか野望とか、がんばれる土台がある。そんな自分の足場があるから、挑戦できるのかもな。それがない状況だったら、無理かもしれない」

 「足場……私もがんばれるかな……」
 ブラッドリーの話は商会や商人の話だったけど、なぜかマルティナの心に波紋を起こした。

 自分のこの追い詰められている状況をなんとか自分の力で変えられるのだろうか?
 青く広がる空に思いをはせる。
 確かに、ブラッドリーとエリックのおかげで、窮地は脱した。だがそれは自分の力ではない。今もこんなにブラッドリーに支えてもらっている。
 私が状況を変えるために、自分でできることってあるのかしら?
 そして、状況を変える行動を起こす勇気があるのかしら?

 「ねぇ、マルティナ。俺がマルティナの足場になるよ。卒業するまでの間の一年間。小さいかもしれないけど確実な足場になる。

 マルティナが今の状況が嫌ならあがくしかない。でも余計に状況が悪化して、傷が深くなるかもしれない。そんな時の支えになるよ。

 もしかしたら、こんなことを言っておいて、マルティナが苦しいときにできることはないのかもしれない。でも、話を聞くことはできるし、アイディアを出すことはできる、手を貸せることがあったら、貸す。だから頼って」

 なんで、ブラッドリーはマルティナが頭で思巡らしたことがわかったのだろう?
 なんで、ブラッドリーはいつもマルティナが欲しい言葉をくれるのだろう?

 口の中をどれだけ噛んでも、もう零れる涙を止めることはできなかった。固く結んだ拳に涙が落ちる。ブラッドリーは何かを言うこともなく、ただマルティナの涙が止まるまで、隣に居てくれた。

◇◇

 マルティナはベッドで今日も黒いクマのぬいぐるみを抱きしめる。

 ブラッドリーがすてきな人でよかったと思う気持ち。
 ブラッドリーがあんなにすてきな人でなかったら、こんなに苦しくて切ない気持ちにならないで済むのにという気持ち。

 今日も相反する二つの気持ちに挟まれて眠りに落ちた。
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