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番外編
side クリストファー⑤ クズな夫が妻に縋った結果
しおりを挟むそれまでの精神的なもの、肉体的なものによる疲労が溜まっていたのか、疲労困憊の状態でアイリーンを抱きつぶしたせいなのか、クリストファーは高熱を出し、一週間寝込んだ。
もう、自分は死んだと思ってくれないだろうか……
帰りたくない……
もう、あの無味乾燥な生活に戻りたくない……
もう、がんばれない……
夢うつつに本音を零しながら、アイリーンの面影を探す。手を握られたり、声をかけられると束の間、ほっとする。高熱や体の節々の痛みにうなりながら、いつ公爵家から迎えの者が来るかとうなされる日々を送った。
◇◇
なぜ、父や母がクリストファーから大切な物を取り上げたのか? 大切な物や人を作るなと口を酸っぱくして言うのか、思い知らされる日がきた。
「アイリーン……」
少し体を起こすと、体がだいぶ楽になっている。いつもは朝は必ず顔を出してくれるアイリーンの顔を見ていない。屋敷の雰囲気もいつもと違う気がして、ベッドから抜け出す。
「旦那様……」
侍女や侍従達は驚いた顔をしているが、クリストファーを止めることはしない。来客か? 母か? アンジェリカか? 嫌な予感に足を速める。
客間の扉を開けると、正装したアイリーンが叔父に抱え込まれるように迫られていた。アンジェリカに言われた言葉が脳裏をよぎる。
もし、アイリーンが公爵夫人の仕事を全うしていたら、現実になっていたかもしれない光景に、背筋がぞっとする。それだけでも、許しかねるのに、叔父はアイリーンにナイフを当てて、クリストファーを脅してきた。公爵家の全てを渡せと言って。
昔は優しかった叔父が一体、何を考えているのかクリストファーにはさっぱりわからない。どうするのが最善なのだろう? アイリーンとの関係や処遇など、今まで曖昧にしてきたツケが今、回ってきた。
のろのろと書類に目を通すふりをして、思考を巡らせる。はっきり言って、公爵家も権力も財産もアンジェリカも子どももどうでもいい。叔父が公爵家や公爵家の領民を責任を持って背負ってくれるならそうして欲しい。
でも、自分の処遇はどうなるのだろうか? 最悪、殺されるだろう。
そうなったら、アイリーンはどうなるのだろう?
アイリーンを守りながら、公爵家から逃げ切ることはできるだろうか?
「おいっ!!」
叔父の焦ったような鋭い叫びに我に返る。叔父の腕の中で白い顔をして、ぐったりするアイリーン。
「アイリーン!!」
呆然として駆け寄ると、叔父がアイリーンの口を開け、喉に指を突っ込み、嘔吐させている。叔父に言われるがままに、この屋敷の家令のダンから渡される水を渡し、処置するのを見守る。床に転がる、公爵家の家紋の入った石を見て、ぞっとする。
アイリーンは自ら命を絶とうとしたのか?
「あなたを愛してしまったから、あなたの足かせになるくらいなら、もう消えたかったの」
アイリーンの本音を聞いて、胸が引き絞られる。アイリーンが誰も理解してくれなかったクリストファーの立場を考え、今までの努力やその責任の重さに思いを馳せてくれているのは言葉や態度の端々から感じていた。でも、もっと大きな気持ちを持っていてくれるだなんて思ってもいなかった。
クリストファーは自分もアイリーンを愛してる、とふいに気づいた。
愛だけでは人は生きていけない。でも、クリストファーはアイリーンを失ったら生きていけない。そのことに、アイリーンを失うかもしれない状況になるまで気づかなかった自分は大馬鹿者だ。
自分は視野が狭くて、被害者ぶっていて、何も見えていなかったのかもしれない。叔父は、クリストファーやアンジェリカやアイリーンのことを慮ってくれていた。その上で全てを背負ってくれると約束した。全ては叔父の手の平の上だった。
王都の公爵邸に戻り、叔父と打ち合わせを重ね、引き継ぎをし、クリストファーは死んだことになった。幕引きはあっけないものだった。
今までは、責任感に雁字搦めになり、規則や法律を曲げる事なく生きて来た。でも、もうなんでもよかった。アイリーンとともに生きていけるのならば。
◇◇
まさか、こんな奇跡のような幸福があるなんて思いもしなかった。今日も今日とて、アイリーンの膨らんだお腹に頬を寄せる。話しかけると、むにむにとお腹が動く。
「ほらほら、ぼっちゃま、いつまで奥様にくっついているんですか? お子様が生まれますし、鍛え直しますよ」
「もう、ぼっちゃんじゃないけど……てゆーか、なんで叔父さんやアンジェリカならともかく、父さんや母さんまで来るんだよ?」
家令のダンから、声を掛けられて、アイリーンから引きはがされる。今、クリストファーはアイリーンを幽閉していたレッドフォード公爵家の暗部の者達が暮らす村で安穏と暮らしている。静かで穏やかな生活はクリストファーの性に合っていて、アイリーンや屋敷の者と平和に暮らしていた。のだが……しばらくすると、息抜きがてらなのか、叔父夫婦が子連れで遊びにくるようになった。ここに来て二年経って、アイリーンが妊娠すると、なぜか父や母まで顔を出すようになった。
「あー、孫~♪ 楽しみ~♪」
かつて母の専属侍女をしていて今はパートナーだという女性を連れて、母はご機嫌で、アイリーンの隣でお茶をしている。
「私と同じようにアイリーンを見捨てた人が何言ってんだよ! 帰れよ!」
「ふんっ。アイリーンちゃんにひどいことをしたのはアンタもじゃない! 私だって、旦那様にアイリーンちゃんをこの村に囲うって言ったクリストファーの意見を通すようにがんばったのよ!」
「まーまー、お二人とも。公爵夫人としての責務を理解せず、お二人を騙した私も悪かったので、お互い様ということで納めませんか? 今の処遇には感謝していますし。クリストファー、大丈夫よ。お義母様は今でもちょっと苦手だけど、子どもを育てるには人手が必要だし、いいじゃない。子どもを見ててもらえれば、その間にデートできるかもしれないし」
「アイリーンがいいなら、いいけど……てゆーか、父さんはなにしに来たんだ?」
公爵夫人を引退した母も、以前の君臨するようなオーラはなく、駄々をこねる少女のようだ。
なぜかちょくちょく、伴の者を連れて父も前触れもなくやってくる。
「いやー盲点だったよ。ここの植生は実に興味深いんだ……」
前公爵家当主には見えないような作業着姿で、その当たりの植物を観察しては、メモを取っている。
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器が大きくて、図太くて、でもどこか脆い部分もあって、毒舌で。でも、その毒舌に愛があるのが感じられるから、みんなアイリーンの元へ集まってくるのだろう。屋敷や村の者もクリストファーも叔父やアンジェリカも、父も母も。
そして、今日もいつもの賑やかで笑いに包まれた日常がはじまる。
これが、クズな夫だった私が捨てた妻に縋った結果である。
【クリストファーside end】
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