【完結】私は生きていてもいいのかしら? ~三姉妹の中で唯一クズだった私~【R18】

紺青

文字の大きさ
上 下
39 / 46
番外編

side クリストファー② 立派な公爵家当主になった私

しおりを挟む
 アイリーンと婚約し、その浮かれる気持ちを隠しきれていると思っていた自分のつかの間の幸せはすぐに消えた。アイリーンの外側にたぶらかされて、その中身をきちんと見れていなかったようだと気づいたのは結婚した後だった。

 結婚式に来た賓客と気の利いた会話ができない。
 結婚式に来た客への御礼状が書けない。
 公爵家での茶会の段取りができない。

 外国語は得意だし、字も綺麗だが、アイリーンは自分の持つ情報を組み合わせて考えたり、物事を段取りすることが苦手なことが判明した。貴族特有の遠回しな言い回しや腹のさぐりあいのような会話もできない。もともと苦手な上に、学園時代に、そういった課題や生徒会の仕事を妹に丸投げしていたせいで、公爵夫人に求められるそれらの事がまったくできない。

 心待ちにしていた初夜もおざなりに終わり、はじまった新婚生活はすぐに幕を閉じた。

 「仕方ないから、フェザーストン侯爵家のアンジェリカをあなたの秘書にするから。彼女にアイリーンができなかった次期公爵夫人の仕事をしてもらいます。わかっているわね、クリストファー。これはあなたの選択の結果なのよ。もう、この公爵家に釣り合うのはアンジェリカぐらいしかいないのよ。フェザーストン侯爵家にも借りを作っちゃったし……アイリーンの処遇はどうしましょうねぇ、病気になって徐々に弱って儚くなってもらうしかないかしら?」

 「お母様、アイリーンは公爵領の片隅に幽閉します。私の判断ミスなので、私財で彼女の面倒を一生みます」
 瞼の裏に浮かぶのはうさぎのぬいぐるみ。母の残酷な提案に頷くことはできない。アイリーンのしたことも酷いが、アイリーンに執着し、巻き込んだのは自分だ。

 「ふーん。まぁいいわ、見抜けなかった私の責任もあるし、許可しましょう。わかっているわよね? クリストファー、あなたは公爵家の当主なのよ。今日からアンジェリカと寝なさい。子どもが出来たら、アンジェリカと結婚して、公爵家を継ぐのよ」
 母の冷えた目線に、アイリーンへの執着もなにもかも見透かされていたのだと知る。クリストファーは母と父の手の平の上で踊らされていたのだ。きっとクリストファーに知らしめたかったのだろう。公爵家当主は大事な物を、弱みになりそうな物を作ってはいけない。そして、もし大事なものがあっても、公爵家と秤にかけ、時には無常に切り捨てなければいけないことを。自分を殺し、心を消して、公爵家と公爵領の領民を守るために。それが、クリストファーの存在意義なのだ。

 アイリーンを村まで送る役目を他人に任せることはできなかった。それは最後の抵抗だったのかもしれない。馬車で一日もかからない距離にある公爵家の片隅の村に送るのに五日をかけた。王都から近い場所に幽閉されているとわかると王都まで逃げ出すかもしれない、と理由をつけて。実際は自分の初恋との別れを惜しんでいたのかもしれない。

 最後まですがるアイリーンの身勝手な言い分に腸が煮えくり返るのに、涙のたまった瞳で見つめられると抱きしめてしまいたくなる。バラバラになりそうな自分の心を切り捨てて、無情な夫を演じきった。安全で安心して暮らせる環境を選んだのは、どこかに情が残っていたのかもしれない。アイリーンを公爵領の片隅のレッドフォード公爵家の暗部の人々が暮らす村に置いて帰る馬車の中、クリストファーは一人静かに涙を流した。

 会いたい。顔が見たい。裏切られて、中身は空っぽで最低な女だとわかっても、なお焦がれる気持ちが消えない。

 姿絵だけでも、残しておけばよかった。クリストファーはアイリーンへの執着を悟られないように、姿絵を描かせることはなかったし、自分の色を贈ったことはない。アイリーンからの贈り物もそれに添えられたメッセージカードも目に焼き付けた後、全て捨てていた。アイリーンへの執着を悟られないように。自分が公爵夫人として不要だと切り捨てたのに、脳裏によぎるのはアイリーンの姿。

 ずっとクリストファーに執着していたアンジェリカは学園時代の優秀な成績と相違なく、公爵夫人の仕事をこなした。まるで、はじめからアンジェリカがクリストファーの伴侶であったかのように。

 しかし、夜を迎えるのは苦痛だった。

 「何、被害者みたいな顔してるの? こっちの方が最悪なんだけど? いつまでもアイリーンに執着してないで、割り切りなさいよ」
 妖艶にほほ笑むアンジェリカは、閨事が初めてではなかった。

 「クリストファーってほんと、顔だけよね。つまんないし、気持ちよくないし」
 なんとかその苦痛な行為を義務的に終わらせた後も、辛辣だった。

 「閨事を他でもしているのか?」

 「だって、お父様はずっとレッドフォード公爵家を狙っているし、どうにかアイリーンを追い落とすか、どこかの後妻に入るかしか道がなかったんだもの。なんで、純潔を守る必要があるの? 安心してよ。公爵家当主夫婦もご存じだし、病気の検査もしているし、妊娠していないことも確認してから入っているわ。あなたの子を身ごもるまではあなたで我慢するから。まぁ、子どもを二、三人産んだら、お互い好きにしましょ」
 アンジェリカから語られる言葉は正論で、アンジェリカも侯爵家の駒としての自分を全うしているのだろう。クリストファーも割り切らなければいけなかったのだ。それでも、心に黒い染みが広がっていくのを感じた。

 自分は弱いのだろうか。
 なぜ、他の貴族のように、父のように、母のように、アンジェリカのように割り切れないのだろうか?
 きっと公爵家を背負える器ではないのだろう。
 そう思ったところで、公爵家には自分しか子どもがいない。簡単に自分の責務を投げ出すことはできなかった。

 なんでもない顔をして、昼間は父やアンジェリカと公爵家の仕事をして、夜はアンジェリカと寝る。まるで人形のように機械的に日々を送っていた。

 「よう、クリストファー、相変わらず冴えない顔してるな?」
 アイリーンを幽閉して一年経つ頃に、外国を放浪していた叔父がふらりと姿を現した。自由奔放な叔父は貴族の鏡のような父とはそりが合わず、数年間、顔を合わせていない。

 一か所にとどまることのなかった叔父がなぜか公爵家に落ち着いた。父も母も特に反対する様子はない。まるで、はじめからそこで暮らしていたかのように自然になじんでいった。

 叔父は、昼間は父とクリストファーの仕事の手伝いをし、クリストファーやアンジェリカと雑談して過ごしたので、クリストファーは少し息がつける気がした。気持ちにゆとりができたからなのか、アンジェリカが身ごもった。アンジェリカが妊娠している間は夜の営みをしなくてもよい。そのことにもクリストファーはほっとした。

 アンジェリカを第二夫人として迎え、盛大な結婚式をして、無事、長男が生まれた。第一夫人の病気療養、そしてすぐに迎えられた第二夫人という醜聞は、公爵家の金と権力で揉みつぶし、父から爵位を譲られ公爵家当主となった。それは傍から見たら、順風満帆な人生だろう。

 父と母はしばらく邸に留まったが、長男が生まれてから公爵邸から出て、別の屋敷で暮らし始めた。クリストファーは監視する人がいなくなりほっとする気持ちと、これから自分一人で背負って行かなければならないというプレッシャーと二つの気持ちに挟まれた。

 クリストファーは心のどこかに渇望を感じながらも、心を殺し、表情を消してレッドフォード公爵家の当主として立ち続けた。

 その心にヒビが入ったのは、アイリーンを幽閉して三年が経った頃だった。

 「ふふ、他から聞いても嫌だろうから、伝えとくわね。あの子、あなたの子どもじゃないから。叔父さんとの子どもなの」
 アンジェリカとは外聞を気にして、同じ寝室で寝ていた。長男が生まれてからもそういった行為はしていない。そろそろ、二人目をと言われる頃かと戦々恐々としていた時にアンジェリカから告げられた。

 「は?」

 「あなた、子種がないんですって。子どもの頃流行り病にかかったでしょ? その時高熱を出しているから、そのせいで、子種が死んでしまったそうよ。なによ、私だって、この家に入ってから聞かされたのよ。それでもご両親はあなたが可愛かったんでしょうね。もしかしたらと私と同衾させたけど、できる気配がない。それで叔父さんを呼び戻して、めでたくご懐妊ってわけ」

 「叔父さんと寝て、できた子どもなのか……?」

 「だから、いちいち、被害者みたいな顔をしないでよ。お母様から頼まれたのよ! その時の私の屈辱的な気持ちわかる? まぁ、あなたのことなんて愛していないけど、どれだけこの公爵家は私をないがしろにするのかしらね? さすがにお義父様と寝るのは無理だたから、叔父様が呼び戻されたってわけよ。だから、安心してね。そろそろ二人目が必要だけど、あなたと私が寝る必要はないから。まぁ、あなたに嫌々抱かれるより、叔父さんの方がよっぽどましだけど。彼、経験豊富ですっごく上手なのよね」

 自分の子どもだと思っていたのは、アンジェリカと叔父との間にできた子ども。
 それを指示したのは、父と母。
 叔父はアンジェリカとの間に子どもを作るために帰ってきた。
 自分には子種がない。

 自分が割り切れなかったのがいけないのか、自分の体が出来損ないだからいけないのか。

 色々な情報と感情がぐるぐるとクリストファーの中を駆け巡るが、アンジェリカも被害者だ。それをぶつけるわけにはいかない。

 父も母も叔父もアンジェリカも公爵家のためにしているのだ。
 わかっていても、クリストファーの心にはヒビが入って、ギシギシと軋む。

 執務中に、ふと窓から外を見ると、庭で叔父とアンジェリカが仲睦まじく長男と遊んでいる。まるで本当の親子のように。そこから目線を外して、仕事に没頭する。最近はクリストファーは夫婦の寝室で寝ていない。全てを忘れたくて、ただひたすら仕事をして、気絶するように執務室の仮眠室で眠りをとる。どんどん擦り切れていく心に気づかないふりをして。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します

けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」  五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。  他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。 だが、彼らは知らなかった――。 ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。 そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。 「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」 逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。 「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」 ブチギレるお兄様。 貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!? 「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!? 果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか? 「私の未来は、私が決めます!」 皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...