【完結】私は生きていてもいいのかしら? ~三姉妹の中で唯一クズだった私~【R18】

紺青

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2 夫と再会した後の私のそれから

16 夫と自分の歪な関係を清算する時

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 嵐の日にやって来たクリストファーは、翌日から高熱を出して寝込んだ。王都の公爵邸から雨の中、馬で駆けてきて、さらにアイリーンを朝方まで抱いていたせいかもしれない。都合のいい事に、近くでがけ崩れが起きていて、どの道帰ることはできなかった。

 「本来は、こういう時に鳥を飛ばすのね」
 王都の本宅へ連絡を入れるという家令のダンに、崖が崩れているのにどう連絡を取るのか聞くと、鳥にメッセージを運んでもらうらしい。ダンの説明にアイリーンは納得した。今までは、クリストファーのアイリーンへの贈り物やメッセージをせっせと運んでくれた鳥達だが、ようやく本来の仕事ができる時が来たようだ。

 熱のせいなのか、精神的なものなのか、時折うなされるクリストファーが心配でずっと付いていたかったが、ダンとタニアに止められた。アイリーンまで倒れたらみんなの手間が増えるらしい。なので、ダンとタニアとアイリーンは三人で交代でクリストファーの看病をして、アイリーンはできるだけクリストファーの傍にいた。

 「……帰りたくない」
 体調のせいなのか、自分の複雑な出生を知ったせいなのか、クリストファーの瞳には力がなく、珍しく弱音を吐いている。アイリーンだって、クリストファーにずっとここにいてほしい。でも、そうさせてあげられる力はアイリーンにはなかった。ただ、クリストファーの話を聞いて、手を握ることしかできなかった。

◇◇

 「奥様、今日は先代公爵様の弟様がみえます。身なりを整えましょう」
 鳥による公爵家の本宅とのやり取りで、前触れが来たらしい。緊張した面持ちのダンに告げられ、アイリーンにも緊張が走る。どんな用件かは、わからないが、クリストファーの不利にならないようにきちんと出迎えなければならない。

 アンジェリカが来た時はなんの前触れもなかったため、普段の格好で出迎えることになったが、一応、正装が昼用と夜用にそれぞれ一式だけ残してあった。久々にコルセットを締めると気が引き締まる気がする。ずっと付けていなかった、結婚指輪を左手にはめ、公爵家の家紋の入った少し大ぶりな石の付いた指輪を右手にはめる。

 「おやおや、これは噂通り美しい奥様だ。はじめましてかな?」
 現れたクリストファーの叔父にあたる男は、色彩や顔立ちは似ているが、クリストファーの血縁とは思えないような大柄で逞しい体つきをしていた。着ている服はシンプルでしっかりとした生地のもので、服装が違っていたら公爵家の縁戚の者だとは思われないだろう。クリストファーの父の弟だということだが、年が離れているらしく、義父と比べると随分若々しい。軽妙な口調とは裏腹に、瞳に表情はなく、感情が読めない。

 クリストファーが寝込んでいることを伝えると、アイリーンと話したいと希望があったようだ。

 「今日はどのような要件ですか?」
 なんとか淑女の仮面をかぶり、微笑みを貼りつけて、挨拶をすると訪ねて来た目的を聞く。アイリーンには貴族の腹を探るような会話はできない。きっと、そういったことも婚約者時代はクリストファーが担ってくれていたのだろう。目の前の、海外を放浪していたという人物はさまざまな経験や修羅場を切り抜けてきたことを感じさせる老獪な目をしている。アイリーンが話術でかなう相手ではない。
 
 「全部欲しいんだよね。俺って強欲でさ。公爵家も公爵家の領地も権力も財産も。アンジェリカも生まれた子どもも……ってまぁ、俺の子だしな。譲ってくれるように、クリストファーに言ってくれない?」

 「……それは……」

 「悪い話じゃないだろう? だって、公爵家の跡取りは俺の子どもだし、クリストファーには荷が重いんだろう? 自分の本当の父親を知っただけで、全部ほっぽり出して逃げ出しちゃってさぁ、向いてないんだよね」

 今の弱っているクリストファーだけを見ていたら、すぐに承諾してもいいように思える。ただ、アイリーンはクリストファーが公爵家の当主となるために、今まで積み上げてきた努力を知っている。そして、苦しみながらも、公爵家当主として責任を持って、仕事をこなしてきたことを。子どもを作れたという理由だけで、今まで自由に生きて来て、隠し子までいる叔父に、家督を譲るなんて無責任なことはきっと望まない。自分のためではなく、公爵家や領民のために。アイリーンには自分勝手なことを言う目の前の人物にふつふつと怒りが湧いてきた。

 「全部欲しかったなら、なんで、最初からそうしなかったんですか?」

 「だってさー、家って長男が継ぐもんじゃん? それに兄さんには、子どもが生まれちゃったしさー。って、クリストファーは俺の弟なんだっけ? ははっ、だったら兄の俺が継ぐべきじゃん!」

 「だったら、諦めずに最初からあなたが努力していれば、よかったんじゃないですか? そうすれば、クリストファーは辛い当主教育を受けなければいけない事もなかったし、自分に子種がないとか、自分の出生を知ることもなかったじゃないですか! クリストファーが今まで努力して築き上げてきたものをなんだと思ってるんですか? 勉強に励んで、生徒会の仕事をして、当主教育を受けて、婚約者のフォローをして。その間あなたは海外を好きに放浪して、好き勝手に生きていたんでしょう? その間、お義父様と公爵家と公爵領を支えてきたのはクリストファーですよ! それを、それを、後からぽっと出てきて、全部欲しいなんて我儘だと思いませんか?」

 「ふーん、ただお綺麗なだけの空っぽで我儘なお嬢さんって聞いてたけど、なかなかいいじゃーん。なに? クリストファーが当主じゃなくなると、困るから必死なの? それとも、クリストファーの事、アイシちゃってるの?」

 アイリーンをじっとりと眺めると、テーブルを回り込んで来て、アイリーンの隣に座る。腰のあたりに手を滑らせて、アイリーンの手にもう片方の手を添えてくる。その感触の気持ち悪さに、背筋に悪寒が走る。

 「クリストファーのことも体で落としたんだろ? 俺を満足させたら、このままここで囲ってやるよ」
 耳元でささやかれて、ぞわっとしたものが体を走った。アイリーンはクリストファーと以外、閨の経験がないので、他人に親密にされるのがこれほど気持ちの悪いものだと知らなかった。

 「アイリーンから離れろ!」
 そこへ、寝巻姿のクリストファーが現れる。まだ、本調子じゃなくふらついている。

 「あーらら、正義の味方参上ってかんじ?」
 叔父は、アイリーンに密着させた体を離さずに、挑発する。

 「なー、クリストファー。俺に公爵家の全部、ちょうだいよ」
 アイリーンはそのまま、両腕を後ろで捕まれ、喉元にナイフをつきつけられる。喉元にキラリと光る凶器に叔父の本気を知る。喉に当たる金属の冷んやりした感覚に、体が震えてくる。

 「クリストファー、私の代わりはいるけど、あなたの代わりはいないのよ! あなたが公爵家の当主でしょ! 無責任なこの人に公爵家を譲ったら、あなたは絶対に後悔するわ! だから、言う事を聞いちゃだめよ」

 「ほーんと、威勢のいいお嬢さんだね。ちょっと黙ってもらっていい?」
 ぐっと喉元に金属が押し当てられた感覚がすると思ったら、首筋に生温かい液体が流れるのを感じる。目線を向けると、赤い筋が滴り、ドレスに染みていた。不思議と痛みは感じない。さすがに、命の危機を感じて、アイリーンは口を噤む。

 「やめろ! やめてくれっ!! わかったから、話を聞くから。アイリーンは関係ないだろう? アイリーンを離してくれ。叔父さんの悪いようにはしないから」

 「話し合いをしにきたんじゃない。お願いにきたんだ。書類に黙ってサインしてくれよ」

 叔父の侍従がテーブルに書類を並べる。クリストファーはのろのろとテーブルの前に着いた。

 「早くしないと、手が滑っちまいそうだなぁ……なぁ、クリストファー、自分の妻、それも幽閉してるなんの役にも立たない女のために、言う事聞いちまうようならなぁ、俺じゃなくても、公爵家をどうとでもできちまうぞ? 公爵家の当主としてこれからもありたいなら、いっそのこと処分したほうがいいんじゃないか?」
 
 アイリーンは一瞬、頭が真っ白になった。ずっと体だけの関係だと誤魔化してきたけど、アイリーンにとってクリストファーが大事な存在になったのと同じように、クリストファーの中でアイリーンの存在が大きくなっていることはなんとなく感じてきた。それに、こんな歪な関係はいつか綻びが生じるのはわかっていたことだ。

 自分は結局、クリストファーの足を引っ張る存在でしかないのかもしれない。烏滸がましいことに、最近は自分の存在が少しでもクリストファーの慰めになるのかもしれないなんて思っていた。

 それに、叔父に公爵家を譲っても、アイリーンをまた人質に取られたら、クリストファーは陰で叔父の言いなりになって働かされるかもしれない。アイリーンの存在はクリストファーにとってマイナスでしかない。

 先ほど、自分が言った言葉が自分に突き刺さる。自分の代わりなどいくらでもいるのだ。クリストファーの代わりはいない。今はアイリーンに執着しているけど、もっと柵のない人ともっと穏やかな関係を築くことがきっとできる人だ。アイリーンさえいなくなれば。

 クリストファーは叔父の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、ぼんやりとして、それでも目はしっかりと書類の文言を追っている。やっぱり顔は好きなのよね。さらさらの金色の髪も、綺麗な空色の瞳も、すっきりとして整った顔立ちも。今、好きなのは顔だけではないけど。

 クリストファーは幸せになるべき人だ。

 クリストファーに注意が向いて、アイリーンの両手を押さえる叔父の片手が少し緩んだ。アイリーンは自分の右手をそっと引き抜くと、歯で公爵家に伝わる指輪に付いている石を外すと、中に入っている錠剤を飲みこんだ。

 「おいっ! なにを?」
 「アイリーン!!!」
 部屋にクリストファーの叫びが響きわたった。

 最後に名前を呼んでもらえた。それだけで、アイリーンには十分だった。
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