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第1話

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「肉うんめええ……じゃなくて大変おいしゅうございますわあ」

 肉は骨付き肉に限るとベアグレルは常々思っている。
 ヴァーリハ公国の君主主催の夜会での、骨付き肉との思いがけない再会。ダンスに興じる男女にくるりと背を向けて、無我夢中で肉にかぶりつく。
 優しき母の用意してくれたドレスを汚してしまわないように注意しながら、むちむちぃっ、と骨から肉をはぎ取っていく。
 ほどよく香辛料の効いた肉のおいしさに、鼻をふんふんと鳴らす。
 父や兄たちの言いつけ通りに充分に咀嚼してから飲みこむと、満足感にため息をついた。

「むは~。久しぶりのお肉……! うんめええ、っとと、美味! 美味ですわ……!」

 山での修行中は、食糧を入手するのもひと苦労だった。そのせいで、食べ物にありつけたときには食事のマナーを守るどころか口調が乱暴になりがちだった。
 食べ物に食らいついているときの荒っぽい口調がうっかり出てしまった瞬間、周囲からの視線を感じた。とはいえベアグレルは昨日まで山にいて魚や木の実、そして果物中心の生活を送っていた。一か月ぶりに食べる肉の前では、周りの目を気にする余裕などない。
 料理の並ぶテーブルのそばにはベアグレル以外誰もいなかった。遠巻きにいぶかしげなまなざしを向けられる。

「なんでしょうあの野生児は」
「レウムスク侯爵家の四女ですよ」
「ああ、レウムスク侯爵家といえば……ご子息様がたはそれぞれ第一、第二、第三騎士団長をお務めになってご立派でいらっしゃるのに、末娘のベアグレル嬢だけは騎士団の入団規定に身長が足りず、入団を希望されていたにもかかわらず試験すら受けさせてもらえなかったそうですね。一体なんのために体を鍛えつづけているのやら」
「あんな野蛮な娘、嫁のもらい手なぞないでしょうに、なぜ夜会にいらしたのでしょうね」
「料理を食い散らかすためでしょうか?」
「そうに違いない」

 どっと笑いが起こる。
 ベアグレルはしょっちゅう大自然の中で修行しているため、耳もよく視野も広かった。
 そのため、華やかな楽団の演奏の合間に聞こえてくるひそひそ話もすべて聞き取れたし、白い目で見られていることにも気付いていた。
 しかしベアグレルにとって今いちばん大事なのは、目の前の料理である。奇異の目で見られていても構わずに食事を続ける。

 一本目の肉をあらかた食べおえて、骨の端についた軟骨をぼりぼりと噛みくだいていく。その硬い歯ごたえを堪能していると、不意に香水の甘い香りが鼻先をかすめていった。

「ごきげんよう、ベアグレル様」

 口をもぐもぐと動かしながら、気取った声の聞こえてきた方に目だけを向ける。
 そこには派手な扇子で口元を隠した令嬢が立っていた。ベアグレルの食事風景を見て眉根を寄せている。
 きらびやかなドレスを身にまとい、髪もきっちりとセットされている令嬢は香水の香りがきつかった。山に咲く花をすべて集めてひとつの瓶の中に閉じ込めたような、甘すぎる香り。料理の匂いの方がよっぽどいい香りだとベアグレルは思った。
 無言のベアグレルを気にすることなく、令嬢が話を切り出す。

「ベアグレル様、貴女また【山ごもり】なさっていたんですってねえ? レウムクス侯爵家のご令嬢は相変わらず野蛮ですこと。いくらレウムクス家の方々が公国の剣として立派に騎士のお務めを果たされているからといって、女である貴女まで鍛える必要はないんじゃありませんこと?」
「……。もぐもぐ……」
「ちょっと! わたくしが話しかけてさしあげているのですから、ずっとお食事なさっていないでお返事なさい!」

 二本目の骨付き肉にかぶりつきながら視線を返して、『話は聞いていますよ』と言う代わりにうなずいてみせる。

(この方、夜会でお会いするたびにお声がけしてくださって、とっても親切なお方ですわね。ええっと、お名前は……)

 とベアグレルは胸の内でつぶやきながら、口の中のものを飲み込んだ。

「ごきげんよう、……もぐもぐ……様……」
「挨拶の途中でお食事を再開なさらないでくださいまし! 口の中にものを入れたまま人の名前を呼ぶなんて、本当に失礼な人ね!」

 令嬢がぷんすかと怒りだした次の瞬間。
 遠くでどよめきが起きた。
 ベアグレルはすっかり肉のなくなった二本目の骨をくわえつつ、令嬢と揃って騒ぎの元に視線を向けた。
 するとそこにはひときわ背の高い男性が立っていた。

 涼しげな目元、彫刻のように整った顔立ち。
 色白な肌。きっちりと撫でつけられた、艶やかな黒髪。
 真っ黒なタキシードにマントをまとっている。マントの内側だけが赤く、鮮やかな色が目を引く。

(あら。お兄さまたちより背が高い殿方なんて、初めて見ましたわ)

 高身長の男性は、会場中の注目を一身に集めていてもまるで意に介していないようだった。涼やかな笑みを浮かべて、夜会の主催者である公爵に挨拶している。
 ベアグレルがその男性を興味津々と見つめていると、人々が男性を褒め称えはじめた。

「これはこれは。まさか我が国の英雄一族の方とお目に掛かれるとは!」
「あの若々しいお姿であっても、御年百十二歳を迎えられているのですよね」
「ええ、かの一族の活躍は曾祖父から聞いたことがあります。我が国の誇りですな」
「ぜひともお近づきになりたいものだ」

 男性陣が賑やかに話す一方で、令嬢が扇子を手のひらに打ちつける動きで閉じつつ声を弾ませる。

「まあ、まあ! まさかあの方にお会いできる日が来るなんて……! これは僥倖ですわね! こうしてはいられませんわ、早速お声がけを……」
「おまちくだひゃいませ」

 ベアグレルは三本目の肉をくわえたまま、がしっと令嬢の細腕を捕らえた。料理の汁の付いたべとべとの手で遠慮なく腕を握りしめる。

「ひいっ!? ドレスが汚れ……いたたた痛い痛い!」
「あら失敬」

 男性を凝視していたせいか、握力のコントロールができなくなっていたのだった。
 ベアグレルは令嬢の腕をつかむ力を弱めると、素敵な男性を見据えたまま隣に問いかけた。

「あの方はどなたですか?」
「クラウラド・エンヴィアープ伯爵ですわよ! 吸血鬼一族の! 公爵閣下のお誘いすら断り続けていて、めったに山奥からお出ましにならないから貴女もご覧になったことがなかったでしょう!」
「山奥? あの方は山奥にお住まいなのですか?」
「吸血鬼一族の方はたいがい山深くのお屋敷にお住まいではありませんか。ご存じなかったのですか? とにかく! 教えてさしあげたのだからさっさと手をお放しくださる!?」
「あ、はい」

 ベアグレルが手の力を抜いた途端、乱暴に腕を振りほどかれる。
 令嬢は、料理の汁のついた辺りをしかめっつらで数回払うと、ぷいとベアグレルに背を向けて歩き去っていった。


 令嬢が、他の女性たちを掻き分けて男性の前に立ち、笑顔で挨拶する。
 食事を再開したベアグレルは、令嬢の様子を眺めながらしみじみ思った。

(大勢の人を差しおいてまっさきに話しかけるその度胸。素晴らしいですわ)

 まばゆい笑みを浮かべる令嬢からはすぐに視線を外して、男性を凝視したまま、もぐもぐと肉を噛みくだく。

(クラウラド・エンヴィアープ伯爵。山奥に住まわれていらっしゃる……)

 ごくんと肉を飲み込んだ瞬間、あることに気付いた。

「つまり、あの方のもとへ嫁げば、わたくしは毎日山で修行ができるということですわね!」

 そう叫んだ瞬間、周りに立つ人々が一斉にベアグレルに振り向いた。またひそひそと話す声があちらこちらから聞こえだす。
 周囲の反応は気にせず、ベアグレルは再び肉に喰らいつきながら頭の中で独り言を続けた。

(旦那さまになっていただく方は『お父さまやお兄さまたちと同じくらい背の高い方がいい』って思ってましたけれども、まさか、お父さまやお兄さまたちの背を方がいらっしゃったなんて。驚きですわ)

 自分が公国騎士団の入団条件に届かないほどに背が低いせいで、高身長の人に強いあこがれを抱いていた。
 広いホールに散らばる誰よりも頭ひとつ分抜き出ているその男性は、会場内で唯一その条件を満たしているように見えた。

 ベアグレルは、大好きな母から『早くベアグレルのウェディングドレス姿が見たいわ』としょっちゅう言われていて、その願いを叶えてあげたくて夜会に参加していた。しかし今まで【父や兄くらい背の高い人】と出会えたためしがなかった。そのため、夜会後に『お相手は見つかりませんでした』と報告するのが常だった。

(わたくしも、ぜひともお話ししてみたいですわね)

 しかし男性はすっかり令嬢たちに周りを取りかこまれていて、近づけそうにない。

(こういうときは、焦ってはいけませんわ)

 山ごもり中に小川で魚を手づかみして捕らえるときの集中力で、男性の一挙手一投足をじっとうかがう。
 ひとまず食事を続けつつ、さきほどの令嬢と言葉を交わしている様子を眺める。すると不意に、男性が顔を上げてベアグレルの方を見た。
 赤い瞳から繰り出される眼光は鋭く、まるで霧の中で予期せず巨大な蛇に出くわしたときのような緊張感を覚える。
 しかし男性はベアグレルと視線がぶつかった瞬間、はっと目を見開き、すぐに視線をそらした。
 目を伏せたその面持ちは、どこか寂しげだった。
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