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25 新たな施術の準備
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「ギルヴェクス様……! ありがとうございます……!」
ギルヴェクスの、一歩踏み出したいという宣言。ルエリアが感激に目を見開くのと、その場にいる一同が驚きの声を洩らしたのはほぼ同時だった。
「そしたら早速準備を始めないと……――痛たたっ!」
ベッドから立ち上がろうと身をよじっただけで、心臓がぎゅっとなるほどの強烈な痛みに襲われた。
屈み込んでうなり声を洩らしていると、ヘレナロニカの苦笑が聞こえてきた。
「ルエリア。まずは君の体の回復が先決だ」
「は、はい。すみません焦っちゃって」
怪我が治るまで、仕事は禁止されてしまった。
まだ物をつかめないルエリアは、メイドのマレーネに食事を口まで運んでもらっていた。
「……死んだ息子の子供の頃を思い出すねえ」
懐かしそうに目を細めて、ぽつりとつぶやく。マレーネもまた、つらい思いをしたことがあるのだろう。魔王事変のせいか、それ以外の原因か。
誰もが悲しみを抱えているこの世の中で、少しでも多くの人を癒してあげられたら――ルエリアはそんなことを考えながら、召使いの皆の想いのこもった料理を食べさせてもらったのだった。
一週間ほど安静にし続けたところで、王城から治癒魔導師が派遣されてきた。その人はルエリアが暴行を受けた直後にも呼ばれてきた魔導師だそうで、そのときは自分の治癒魔法が一切通らないという希有な状態に仰天し、勇者の魔力の凄まじさにひれ伏す勢いだったという。
まだ痛みの残る体から包帯が解かれ、改めて治癒魔法を掛けられて、ルエリアの怪我はすっかり完治した。
体を動かせるようになり、いよいよ施術の準備に取りかかる。
王都の薬草店から材料を取り寄せてもらい、調合していく。作成難易度の高いその魔法薬作りは何度も失敗してしまい、見たこともないようなおどろおどろしい色の液体を量産してしまった。そして二週間後、材料を使い果たす直前にようやく薬は完成した。
続けて被術者と同行者とをつなぐロープの補強に着手する。何の変哲もない細めのロープに魔法薬を染み込ませて、魔法を浴びせて魔力を定着させていく。万が一、被術者が暴れたりして切れることを考慮して、念入りに補強しておかなければならないのだ。
その作業は一日につき絵はがきの長辺の長さ程度しか進められなかった。一度、その長さまで作業を進めたところでルエリアの魔力が尽きて、魔力回復剤を飲んで作業を続けようとしたところ、『無茶なペースで作業を進めてはいけない』と、周りから止められてしまったのだった。
ルエリアが準備を進めている間、ギルヴェクスはというと――自身の魔法の暴発にルエリアを巻き込んだことを悔やみ、また部屋にこもりきりになってしまっていた。
ひと月かけて、準備が整った。
窓の外を見る。数日前から雨が降っていた。大降りの雨はしばらくやみそうにない。
蹄の音が聞こえてくる。外套をまとったヘレナロニカが到着したところだった。雨の降りしきる中、颯爽と白馬を降り、馬丁に手綱を預けている。
雨に煙る景色と雨音は、心の奥底に眠る記憶を呼び覚まさせる。
動かなくなった両親の元から外に飛び出したときも、大雨が降っていた。
顔に叩きつける雨粒の痛み。全身びしょぬれになりながら隣の家を訪ねたら、誰もが泣いていた。肌寒さが心臓をさらに締めつけた。自分の流す涙だけは熱かった。数多の悲劇の前で、ルエリアは誰にも相手にされなかった。
魔法薬とロープが完成し、ギルヴェクスの寝室で施術が行われることとなった。
ヘレナロニカとゼルウィドが見守る中、ヘレディガーに手伝ってもらいながら、ギルヴェクスとルエリア自身の手首をロープでつないでいく。
冒険者はギルドに登録する際に技能講習を受けなければならないのだが、そこで習ったほどけないロープの結び方は元冒険者であるヘレディガーも知っていて、ルエリアが特に指示を出さなくてもその通りに結んでくれたのだった。
ルエリアはおそるおそる広いベッドの上に乗り上げると、ヘッドボードに寄りかかって足を伸ばした楽な姿勢を取った。
少し離れたところで先に仰向けになっていたギルヴェクスが、ルエリアを見上げて不思議そうな表情を浮かべる。
「君は寝そべらないのか?」
「え! いや、なんといいますか……! ギルヴェクス様と並んで寝させていただくというのは恐れ多いというか……」
「ルエリア」
ヘレナロニカがやや鋭い声音で呼びかけてきた。
「何かあってからでは遅かろう。君も横になるべきだ」
「はっはいすみません……! そうさせていただきます」
ギルヴェクスと並んで横たわり、深呼吸を繰り返して心拍数を落ち着かせていく。
ルエリアは緊張でなかなか脈が遅くならず、いっそ落ち着ける魔法薬を飲みたい気持ちになった。とはいえこれから使う魔法薬と効能が被っている点があるため、鎮静作用のある他の魔法薬を飲むのはご法度だ。
(大丈夫、大丈夫。きっと、絶対、うまくいく)
ゼルウィドがロープを結んでいない方の手首を取り上げて、脈拍を測る。
「……規定の心拍数になりました」
「はい。ありがとうございます、ゼルウィド様」
慎重に起き上がり、用意しておいた魔法薬の小瓶を受け取る。隣でギルヴェクスもゆっくりと起き上がった。
「では、行きましょうか、ギルヴェクス様」
「……ああ」
ふたりで揃って小瓶の中の液体をあおり、無色透明の液体をすべて飲み下したあと、水面を波立てないようにするかのような慎重さで横たわる。
隣でギルヴェクスが深く息を吐き出し、目を閉じるのを見届ける。
ルエリアもまた腹の底から息を吐き出すと、そっと目を閉じた――。
ギルヴェクスの、一歩踏み出したいという宣言。ルエリアが感激に目を見開くのと、その場にいる一同が驚きの声を洩らしたのはほぼ同時だった。
「そしたら早速準備を始めないと……――痛たたっ!」
ベッドから立ち上がろうと身をよじっただけで、心臓がぎゅっとなるほどの強烈な痛みに襲われた。
屈み込んでうなり声を洩らしていると、ヘレナロニカの苦笑が聞こえてきた。
「ルエリア。まずは君の体の回復が先決だ」
「は、はい。すみません焦っちゃって」
怪我が治るまで、仕事は禁止されてしまった。
まだ物をつかめないルエリアは、メイドのマレーネに食事を口まで運んでもらっていた。
「……死んだ息子の子供の頃を思い出すねえ」
懐かしそうに目を細めて、ぽつりとつぶやく。マレーネもまた、つらい思いをしたことがあるのだろう。魔王事変のせいか、それ以外の原因か。
誰もが悲しみを抱えているこの世の中で、少しでも多くの人を癒してあげられたら――ルエリアはそんなことを考えながら、召使いの皆の想いのこもった料理を食べさせてもらったのだった。
一週間ほど安静にし続けたところで、王城から治癒魔導師が派遣されてきた。その人はルエリアが暴行を受けた直後にも呼ばれてきた魔導師だそうで、そのときは自分の治癒魔法が一切通らないという希有な状態に仰天し、勇者の魔力の凄まじさにひれ伏す勢いだったという。
まだ痛みの残る体から包帯が解かれ、改めて治癒魔法を掛けられて、ルエリアの怪我はすっかり完治した。
体を動かせるようになり、いよいよ施術の準備に取りかかる。
王都の薬草店から材料を取り寄せてもらい、調合していく。作成難易度の高いその魔法薬作りは何度も失敗してしまい、見たこともないようなおどろおどろしい色の液体を量産してしまった。そして二週間後、材料を使い果たす直前にようやく薬は完成した。
続けて被術者と同行者とをつなぐロープの補強に着手する。何の変哲もない細めのロープに魔法薬を染み込ませて、魔法を浴びせて魔力を定着させていく。万が一、被術者が暴れたりして切れることを考慮して、念入りに補強しておかなければならないのだ。
その作業は一日につき絵はがきの長辺の長さ程度しか進められなかった。一度、その長さまで作業を進めたところでルエリアの魔力が尽きて、魔力回復剤を飲んで作業を続けようとしたところ、『無茶なペースで作業を進めてはいけない』と、周りから止められてしまったのだった。
ルエリアが準備を進めている間、ギルヴェクスはというと――自身の魔法の暴発にルエリアを巻き込んだことを悔やみ、また部屋にこもりきりになってしまっていた。
ひと月かけて、準備が整った。
窓の外を見る。数日前から雨が降っていた。大降りの雨はしばらくやみそうにない。
蹄の音が聞こえてくる。外套をまとったヘレナロニカが到着したところだった。雨の降りしきる中、颯爽と白馬を降り、馬丁に手綱を預けている。
雨に煙る景色と雨音は、心の奥底に眠る記憶を呼び覚まさせる。
動かなくなった両親の元から外に飛び出したときも、大雨が降っていた。
顔に叩きつける雨粒の痛み。全身びしょぬれになりながら隣の家を訪ねたら、誰もが泣いていた。肌寒さが心臓をさらに締めつけた。自分の流す涙だけは熱かった。数多の悲劇の前で、ルエリアは誰にも相手にされなかった。
魔法薬とロープが完成し、ギルヴェクスの寝室で施術が行われることとなった。
ヘレナロニカとゼルウィドが見守る中、ヘレディガーに手伝ってもらいながら、ギルヴェクスとルエリア自身の手首をロープでつないでいく。
冒険者はギルドに登録する際に技能講習を受けなければならないのだが、そこで習ったほどけないロープの結び方は元冒険者であるヘレディガーも知っていて、ルエリアが特に指示を出さなくてもその通りに結んでくれたのだった。
ルエリアはおそるおそる広いベッドの上に乗り上げると、ヘッドボードに寄りかかって足を伸ばした楽な姿勢を取った。
少し離れたところで先に仰向けになっていたギルヴェクスが、ルエリアを見上げて不思議そうな表情を浮かべる。
「君は寝そべらないのか?」
「え! いや、なんといいますか……! ギルヴェクス様と並んで寝させていただくというのは恐れ多いというか……」
「ルエリア」
ヘレナロニカがやや鋭い声音で呼びかけてきた。
「何かあってからでは遅かろう。君も横になるべきだ」
「はっはいすみません……! そうさせていただきます」
ギルヴェクスと並んで横たわり、深呼吸を繰り返して心拍数を落ち着かせていく。
ルエリアは緊張でなかなか脈が遅くならず、いっそ落ち着ける魔法薬を飲みたい気持ちになった。とはいえこれから使う魔法薬と効能が被っている点があるため、鎮静作用のある他の魔法薬を飲むのはご法度だ。
(大丈夫、大丈夫。きっと、絶対、うまくいく)
ゼルウィドがロープを結んでいない方の手首を取り上げて、脈拍を測る。
「……規定の心拍数になりました」
「はい。ありがとうございます、ゼルウィド様」
慎重に起き上がり、用意しておいた魔法薬の小瓶を受け取る。隣でギルヴェクスもゆっくりと起き上がった。
「では、行きましょうか、ギルヴェクス様」
「……ああ」
ふたりで揃って小瓶の中の液体をあおり、無色透明の液体をすべて飲み下したあと、水面を波立てないようにするかのような慎重さで横たわる。
隣でギルヴェクスが深く息を吐き出し、目を閉じるのを見届ける。
ルエリアもまた腹の底から息を吐き出すと、そっと目を閉じた――。
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