25 / 34
25 一歩前進
しおりを挟む
「ギルヴェクス様……! ありがとうございます……!」
ギルヴェクスの、一歩踏み出したいという宣言。ルエリアが感激に目を見開くのと、その場にいる一同が驚きの声を洩らしたのはほぼ同時だった。
「そしたら早速準備を始めないと……――痛たたっ!」
ベッドから立ち上がろうと身をよじっただけで、心臓がぎゅっとなるほどの強烈な痛みに襲われた。
屈み込んで、うなり声を洩らしていると、ヘレナロニカの苦笑が聞こえてきた。
「ルエリア。まずは君の体の回復が最優先だ」
「は、はい。すみません焦っちゃって」
***
怪我が治るまで、仕事は禁止されてしまった。
まだ物をつかめないルエリアは、メイドのマレーネに食事を口まで運んでもらっていた。
「……死んだ息子の子供の頃を思い出すねえ」
懐かしそうに目を細めて、ぽつりとつぶやく。マレーネもまた、つらい思いをしたことがあるのだろう。魔王事変のせいか、それ以外の原因か。
誰もが悲しみを抱えているこの世の中で、少しでも多くの人を癒してあげられたら――。ルエリアはそんなことを考えながら、召し使いの皆の思いの込められた料理を食べさせてもらったのだった。
一週間ほど安静にし続けたところで、王城から治癒魔導師が派遣されてきた。
その人は、ルエリアが暴行を受けた直後にも呼ばれてきた治癒魔導師だそうだ。そのときは、自分の魔法が一切通らないという希有な状態に仰天し、勇者の魔力の凄まじさにひれ伏す勢いだったという。
まだ痛みの残る体から包帯が解かれ、改めて治癒魔法を掛けられて、ルエリアの怪我はすっかり完治した。
体を動かせるようになり、いよいよ施術の準備に取りかかる。
王都の薬草店から材料を取り寄せてもらい、調合していく。作成難易度の高いその魔法薬作りは何度も失敗してしまった。日々、見たこともないようなおどろおどろしい色の液体を量産した。
そして二週間後、材料を使い果たす直前にようやく薬は完成した。
続けて被術者と同行者とをつなぐロープの補強に着手する。何の変哲もない細めのロープに魔法薬を染み込ませて、魔法を浴びせて魔力を定着させていく。万が一、被術者が暴れたりして切れることを考慮して、念入りに補強しておかなければならないのだ。
その作業は一日につき絵はがきの長辺の長さ程度しか進められなかった。一度、作業中にルエリアの魔力が尽きて、魔力回復薬を飲んで作業を続けようとした。
回復薬は確かに効いていたのに顔色が悪かったらしい。『無茶なペースで作業を進めてはいけない』と、周りから止められてしまったのだった。
一方、ギルヴェクスはというと――自身の魔法の暴発にルエリアを巻き込んだことを悔やみ、また部屋にこもりきりになってしまっていた。
***
ひと月かけて、準備が整った。
窓の外を見る。数日前から雨が降っていた。大降りの雨は、しばらくやみそうにない。
雨音の中に、蹄の音が加わる。外套をまとったヘレナロニカが到着したところだった。雨の降りしきる中、颯爽と白馬を降り、馬丁に手綱を預けている。
雨に煙る景色と、途切れない雨音は、心の奥底に眠る記憶を呼び覚まさせる。
動かなくなった両親の元から外に飛び出したときも、大雨が降っていた。
顔に叩きつける雨粒の痛み。全身びしょぬれになりながら近所を訪ねたら、誰もが親兄弟を亡くして泣いていた。肌寒さが心臓をさらに締めつけた。自分の流す涙だけは熱かった。数多の悲劇の前で、ルエリアは誰にも相手にされなかった。
魔法薬とロープが完成し、ギルヴェクスの寝室で施術がおこなわれることとなった。
ヘレナロニカとゼルウィドが見守る中、ヘレディガーに手伝ってもらいながら、ギルヴェクスとルエリア自身の手首をロープでつなぐ。
冒険者はギルドに登録する際に、技能講習を受ける。そこでは【簡単にはほどけないロープの結び方】も教えられる。
元冒険者であるヘレディガーは、ルエリアが特に指示を出さなくても、その結び方の通りに結んでくれたのだった。
ルエリアはおそるおそる広いベッドの上に乗り上げると、ヘッドボードに寄りかかって足を伸ばした楽な姿勢を取った。
少し離れたところで先に仰向けになっていたギルヴェクスが、ルエリアを見上げて不思議そうな表情を浮かべる。
「君は寝そべらないのか?」
「え! いや、なんといいますか……! ギルヴェクス様と並んで寝させていただくというのは恐れ多いというか……」
「ルエリア」
ヘレナロニカが、やや鋭い声音で呼びかけてきた。
「何かあってからでは遅かろう。君も横になるべきだ」
「はっはいすみません……! そうさせていただきます」
ギルヴェクスと並んで横たわり、深呼吸を繰り返して心拍数を落ち着かせていく。
ルエリアは緊張でなかなか脈が遅くならず、いっそ落ち着ける魔法薬を飲みたい気持ちになった。とはいえこれから使う魔法薬と効能が被っている点があるため、鎮静作用のある他の魔法薬を飲むのはご法度だ。
(大丈夫、大丈夫。きっと、絶対、うまくいく)
ゼルウィドがロープを結んでいない方の手首を取り上げて、脈拍を測る。
「……規定の心拍数になりました」
「はい。ありがとうございます、ゼルウィド様」
慎重に起き上がり、用意しておいた魔法薬の小瓶を受け取る。隣でギルヴェクスもゆっくりと起き上がった。
「では、行きましょうか、ギルヴェクス様」
「……ああ」
ふたりで揃って小瓶の中の液体をあおる。無色透明の液体をすべて飲み下したあと、水面を波立てないようにしている風な慎重さで横たわる。
隣でギルヴェクスが深く息を吐き出し、目を閉じるのを見届ける。
ルエリアもまた腹の底から息を吐き出すと、そっと目を閉じたのだった――。
ギルヴェクスの、一歩踏み出したいという宣言。ルエリアが感激に目を見開くのと、その場にいる一同が驚きの声を洩らしたのはほぼ同時だった。
「そしたら早速準備を始めないと……――痛たたっ!」
ベッドから立ち上がろうと身をよじっただけで、心臓がぎゅっとなるほどの強烈な痛みに襲われた。
屈み込んで、うなり声を洩らしていると、ヘレナロニカの苦笑が聞こえてきた。
「ルエリア。まずは君の体の回復が最優先だ」
「は、はい。すみません焦っちゃって」
***
怪我が治るまで、仕事は禁止されてしまった。
まだ物をつかめないルエリアは、メイドのマレーネに食事を口まで運んでもらっていた。
「……死んだ息子の子供の頃を思い出すねえ」
懐かしそうに目を細めて、ぽつりとつぶやく。マレーネもまた、つらい思いをしたことがあるのだろう。魔王事変のせいか、それ以外の原因か。
誰もが悲しみを抱えているこの世の中で、少しでも多くの人を癒してあげられたら――。ルエリアはそんなことを考えながら、召し使いの皆の思いの込められた料理を食べさせてもらったのだった。
一週間ほど安静にし続けたところで、王城から治癒魔導師が派遣されてきた。
その人は、ルエリアが暴行を受けた直後にも呼ばれてきた治癒魔導師だそうだ。そのときは、自分の魔法が一切通らないという希有な状態に仰天し、勇者の魔力の凄まじさにひれ伏す勢いだったという。
まだ痛みの残る体から包帯が解かれ、改めて治癒魔法を掛けられて、ルエリアの怪我はすっかり完治した。
体を動かせるようになり、いよいよ施術の準備に取りかかる。
王都の薬草店から材料を取り寄せてもらい、調合していく。作成難易度の高いその魔法薬作りは何度も失敗してしまった。日々、見たこともないようなおどろおどろしい色の液体を量産した。
そして二週間後、材料を使い果たす直前にようやく薬は完成した。
続けて被術者と同行者とをつなぐロープの補強に着手する。何の変哲もない細めのロープに魔法薬を染み込ませて、魔法を浴びせて魔力を定着させていく。万が一、被術者が暴れたりして切れることを考慮して、念入りに補強しておかなければならないのだ。
その作業は一日につき絵はがきの長辺の長さ程度しか進められなかった。一度、作業中にルエリアの魔力が尽きて、魔力回復薬を飲んで作業を続けようとした。
回復薬は確かに効いていたのに顔色が悪かったらしい。『無茶なペースで作業を進めてはいけない』と、周りから止められてしまったのだった。
一方、ギルヴェクスはというと――自身の魔法の暴発にルエリアを巻き込んだことを悔やみ、また部屋にこもりきりになってしまっていた。
***
ひと月かけて、準備が整った。
窓の外を見る。数日前から雨が降っていた。大降りの雨は、しばらくやみそうにない。
雨音の中に、蹄の音が加わる。外套をまとったヘレナロニカが到着したところだった。雨の降りしきる中、颯爽と白馬を降り、馬丁に手綱を預けている。
雨に煙る景色と、途切れない雨音は、心の奥底に眠る記憶を呼び覚まさせる。
動かなくなった両親の元から外に飛び出したときも、大雨が降っていた。
顔に叩きつける雨粒の痛み。全身びしょぬれになりながら近所を訪ねたら、誰もが親兄弟を亡くして泣いていた。肌寒さが心臓をさらに締めつけた。自分の流す涙だけは熱かった。数多の悲劇の前で、ルエリアは誰にも相手にされなかった。
魔法薬とロープが完成し、ギルヴェクスの寝室で施術がおこなわれることとなった。
ヘレナロニカとゼルウィドが見守る中、ヘレディガーに手伝ってもらいながら、ギルヴェクスとルエリア自身の手首をロープでつなぐ。
冒険者はギルドに登録する際に、技能講習を受ける。そこでは【簡単にはほどけないロープの結び方】も教えられる。
元冒険者であるヘレディガーは、ルエリアが特に指示を出さなくても、その結び方の通りに結んでくれたのだった。
ルエリアはおそるおそる広いベッドの上に乗り上げると、ヘッドボードに寄りかかって足を伸ばした楽な姿勢を取った。
少し離れたところで先に仰向けになっていたギルヴェクスが、ルエリアを見上げて不思議そうな表情を浮かべる。
「君は寝そべらないのか?」
「え! いや、なんといいますか……! ギルヴェクス様と並んで寝させていただくというのは恐れ多いというか……」
「ルエリア」
ヘレナロニカが、やや鋭い声音で呼びかけてきた。
「何かあってからでは遅かろう。君も横になるべきだ」
「はっはいすみません……! そうさせていただきます」
ギルヴェクスと並んで横たわり、深呼吸を繰り返して心拍数を落ち着かせていく。
ルエリアは緊張でなかなか脈が遅くならず、いっそ落ち着ける魔法薬を飲みたい気持ちになった。とはいえこれから使う魔法薬と効能が被っている点があるため、鎮静作用のある他の魔法薬を飲むのはご法度だ。
(大丈夫、大丈夫。きっと、絶対、うまくいく)
ゼルウィドがロープを結んでいない方の手首を取り上げて、脈拍を測る。
「……規定の心拍数になりました」
「はい。ありがとうございます、ゼルウィド様」
慎重に起き上がり、用意しておいた魔法薬の小瓶を受け取る。隣でギルヴェクスもゆっくりと起き上がった。
「では、行きましょうか、ギルヴェクス様」
「……ああ」
ふたりで揃って小瓶の中の液体をあおる。無色透明の液体をすべて飲み下したあと、水面を波立てないようにしている風な慎重さで横たわる。
隣でギルヴェクスが深く息を吐き出し、目を閉じるのを見届ける。
ルエリアもまた腹の底から息を吐き出すと、そっと目を閉じたのだった――。
2
お気に入りに追加
92
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。

ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話7話。
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる