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20 大人びた少年医師

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 ルエリアは芳しい茶の香りをすんすんと嗅ぎながら、茶の準備を進めるヘレディガーに問いかけた。

「あれ? それってモキジョール茶ではないんですね」
「ええ。こちらはハービナクト茶といって、ハスナヒア国からマヴァロンド王室に献上されているお茶のひとつだそうです」
「ハービナクト!? うわあ、そんな希少なお茶を、私までいただけるなんて……!」

 ハービナクトとはマヴァロンド王国から遥か東に位置する島国、ハスナヒア国にのみ自生する柑橘類であり、しかもハスナヒアの中でも限られた地域にしか存在しない植物だった。修業時代、『これを使って魔法薬を作ってみたいな』と憧れを口にしていたら、『わしは作ったことあるぞ』とハスナヒアに招かれたことのある師匠に自慢されてしまったのだった。
 ルエリアが初めて飲む薬草茶に興奮する一方で、ゼルウィドが小声で『いただきます』と告げてからカップに口を付ける。

「ふむ……独特な味がしますね」

 ルエリアもゼルウィドと同じく『いただきます』と告げてから、茶をひとくち含んだ。スパイシーな風味が鼻に抜けていく。

「なんておいしいんだろう……! これ、ギルヴェクス様もお飲みにならないかな?」
「それは、今はやめておきましょう」

 すでに空になっているカップをソーサーに置いたゼルウィドが、ルエリアの独り言に言葉を被せてくる。
 ルエリアは、ティーカップに口を付けようとしたところで手を止めた。

「ダメでしょうか? おいしいお茶を、ギルヴェクス様にも味わっていただきたいと思ったのですが」
「現状あなたの魔法薬で容体は安定しているとはいえ、だからといってあれもこれもと日常に変化を付けていってしまっては、回復を急かされていると受け止められ、ご負担になることが予想されます。例えばあなたの焼かれたクッキーにギルヴェクス様の方からご興味を持たれたときのように、ご自身から動き出さない限りは見守りに徹するべきかと」
「おっしゃる通りだと思います……。はしゃいじゃってすみませんでした」
「はしゃぎたくなる気持ちくらいわかりますよ。私も、普段は王家の方々しか入れない書庫に入れてもらえて貴重な文献を拝ませていただけたときだけは、年甲斐もなくはしゃいでしまいましたからね」
「ぶっ」

 茶を噴き出しそうになり、ルエリアは咄嗟に口を押さえた。
 途端に怪訝な眼差しを向けられる。

「なんですか?」

 口を押さえたまま、首を振ってごまかす。

(今、『年甲斐もなく』って言った!?)

 あどけない声で発された言い回しとはおよそ信じられず、ルエリアはずっと気になっていた疑問を思わずぶつけてしまった。

「ぶしつけな質問で恐縮なんですけど、ゼルウィド様って今おいくつなんですか?」
「八歳です」
「はっ……えええええ!?」

 あまりに大人びた口調と表情をしているものだから、ルエリアはまるで同い年か年上の人と話す気分で会話してしまっていた。改めてその容貌を見れば、確かに十歳に満たない程度の幼い顔付きをしていた。

「それで『年甲斐もなく』って……」
「幼児のごとく声を上げて喜んでしまったという意味です。あのときの周りの大人たちの反応は、今思い出してもかんがんの至りです」

 珍しい本を手にした少年が声を出して喜ぶことの、どこが恥ずかしいことなんだろう――。

(私もその場に居合わせたら、きっとでれでれしながらゼルウィド様のことを見守っちゃっただろうな)

 そんな大人たちのゆるんだ顔を見て真っ赤になるゼルウィドを想像する。その反応もまたとても可愛かったんだろうなと、ルエリアは頬をゆるめたまま茶を飲み進めたのだった。


 二杯目の茶も堪能したあと、ルエリアはヘレディガーとゼルウィドに尋ねた。

「そういえば、ヴィオンブレネンってここら辺に生えてたりしませんかね」
「ああ、ここへ来る途中にちらほら生えているのを見かけたことがあります」

 ゼルウィドが即答する。

「魔法薬にするおつもりなのですか? ヴィオンブレネンにも鎮静作用はありますけど、他の同じ作用を持つ薬草と比べてその効能を引き出すために三倍の魔力と時間を要するため、同じ効果を持つ魔法薬を作る際にいちいちヴィオンブレネンを原材料にする理由がないという話ですが」
「んんーさすがお詳しい! でも魔法薬に使うんじゃなくて、クッキーに入れたいなって思いついたんです」

 ルエリアはこれまで皆のためにクッキーを二度焼き、二回とも公表を博したものの、三度目もまたシンホリイム入りのクッキーでは飽きられてしまう気がしたのだった。

「クッキーに少し使うだけだから、わざわざ発注していただくのも忍びなくて。もし近くにあるなら、ささっと採ってきたいなって思ってたんです。ゼルウィド様、教えてくださってありがとうございます。明日晴れたら採りに行ってみます」
「ところでそのクッキーは、いつ焼かれる予定……いえ、何でもないです」
「ゼルウィド様もお召し上がりになりますか?」
「え! いえ私は結構です……!」

 ルエリアが問いかけるなりぎょっとした表情を浮かべたゼルウィドが、ぷいっと顔をそむけた。その横顔は、耳まで真っ赤になっていた。
 ヘレディガーが、すすす……と静かにルエリアの背後に寄ってきて、そっと耳打ちする。

「(ゼルウィド様は、子供扱いされることを懸念してお菓子の類を避けていらっしゃるようです。ご自宅ではお召し上がりになっているようだとヘレナロニカ殿下から伺っておりますので、ぜひゼルウィド様の分もご用意して差し上げてください)」
「(わかりました)」

 少しだけ顔を振り向かせて、ヘレディガーと目を見合わせて微笑み合う。それから正面に向き直ると、横目で様子を窺ってくる視線と目が合った。
 ルエリアがゼルウィドに向かって笑みを浮かべてみせた途端、首の辺りまで赤くしたゼルウィドは元々横を向いていた顔をさらに逸らしたのだった。



 次の日は晴天で、風も穏やかで外出日和となった。
 ルエリアは屋敷から外に踏み出した瞬間、雲ひとつない青空を見上げて深呼吸した。

「んー、お出かけ日和だー!」

 天気の良さに喜ぶルエリアの背後には、召使いたちがずらっと並んでいた。彼らはルエリアを見送りに出てきたわけではなく――。

「いってらっしゃいませ、ギルヴェクス様」
「ああ」

 召使い一同が声を揃えて送り出せば、ほとんど聞こえるか聞こえないかくらいの小声でギルヴェクスが応える。室内では聞き取れる声量も、屋外では少し遠く感じた。


 昨晩ルエリアがギルヴェクスに魔法薬を渡しに行った際、薬草採りに出かけるということを報告したら『もしやひとりで行くつもりか? 僕も同行しよう』と言い始めたのだ。
 その後、屋敷中が大騒ぎとなったのは言うまでもない。『ギルヴェクス様がついにここまでお元気になられた』と召使いの皆で喜び合いながら、外出の準備が急ピッチで進められた。
 動きやすい服装、屋外でも食べやすい料理や飲み物の選定、剣やホルダーの手入れ――およそ一年ぶりに屋敷から外に出るギルヴェクスを思い、全員が笑顔を輝かせていた。


 日の光の下を歩くギルヴェクスを、ルエリアは横目でこっそり眺め始めた。
 今までは、ベッドかソファー、もしくは椅子に座っているところしか見ていなかったせいもあり、屋外を歩く姿が新鮮に思えた。
 上質な生地で出来た半袖のチュニック、その内側には長袖のシャツを着ている。斜め掛けのベルトと腰に巻かれたベルトはそれぞれ別の素材でできていて、どちらも高級そうに見えた。下半身は装飾の少ないズボンに膝下までの長さのブーツを履いている。
 久しぶりの日差しはまぶしいらしく、しかめた目はほとんど閉じているように見えた。

 そんな勇者の爪先から頭の先まで眺めるうちに、ルエリアはあることに気が付いた。
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