19 / 34
19 勇者の思いやり
しおりを挟む
ギルヴェクスが、口に運びかけていたクッキーを山に戻す。
(どうされたんだろう。もうお腹いっぱいになっちゃったのかな)
どんどん食べ進めてくれるだろうと期待していたルエリアは、その予想外の行動に緊張感を覚えずにはいられなかった。
何か問題があったのかと尋ねようとした矢先。
顔を上げたギルヴェクスがルエリアの方を見て、ほんの少しだけ顔を綻ばせた。
「先に感想を言わなくてすまない。とてもおいしいと思う。ありがとう、ルエリア」
「……! こちらこそありがとうございます! お口に合ってなによりです!」
感想を待っているだろうから先に伝えなくてはと、手を止める勇者の律義さ。
ルエリアは勇者の思いやりに感動し、涙のにじんだ目を何度もまばたかせた。
またギルヴェクスがクッキーを食べはじめる。ひとつ食べ終えたそばからすぐ次のひとつを口に放り込む様子は、ごちそうに夢中になる子供のようにも見えた。
(弟がいたら、こんな風に『かわいい!』って気持ちになるのかな? 私の方が三歳下なのに『弟みたいでかわいい』なんて思ったら失礼か。でも夢中でクッキーをお召し上がりになるギルヴェクス様、とっても可愛らしいな)
いつしか遠巻きに見た勇者の凛々しさと、目の前でクッキーを頬張る青年のギャップに心が温かくなる。
(素のギルヴェクス様って、こんな感じなんだろうな。このお屋敷にいるみんなはそれを知っているからこそ、ギルヴェクス様がご自身を責めて塞ぎ込まれているお姿に胸を痛めて、どうにかして差し上げたくて頑張ってるんだろうな。私もギルヴェクス様に、寝たいときに寝て、食べたいときに食べれるようになってもらいたい。おいしいものを食べて『おいしい』って言えるようになってもらいたい)
クッキーを平らげたギルヴェクスが茶を飲み干し、ほっと息を吐き出す。快晴の空色をした瞳には、かすかな光が宿っていた。
「ごちそうさま。おいしいクッキーを焼いてくれてありがとう、ルエリア」
「いえ! いくらでも焼きますので、いつでも遠慮なくおっしゃってください!」
ほとんど叫ぶ声の大きさで返事しながら、めいっぱい頭を下げる。
顔を上げて再びギルヴェクスを見ると、その目はクッキーの置かれていた辺りを眺めていた。和らいだ表情を浮かべている。
(落ち着かれていらっしゃる、かな。あの施術について、お話しさせてもらっても大丈夫かな)
ルエリアは今が好機だと判断すると、思い切って質問を投げかけてみた。
「ギルヴェクス様。少しだけ、お話を聞いていただいてもよろしいでしょうか」
「君の話を? ……わかった。聞こう」
と言ってソファーの向かい側を手で指し示す。
ルエリアは恐れ多さに肩をすくめつつ、言われた通りの場所に腰を下ろした。
思った以上に勇者の部屋のソファーはふかふかで、体が弾む感覚にルエリアは目を丸くしてしまった。
すぐに、表情を引き締めて気持ちを切り替える。今は、家具の品質の高さを堪能している場合ではない。
顔を上げたルエリアは、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着けると、まっすぐにギルヴェクスを見て話を切り出した。
「先日、ギルヴェクス様よりお聞かせいただいたお話を受けまして、ひとつ、私からご提案させていただきたいことがあるのです。これまでゼルウィド様が行ってきた投薬と、現在私がギルヴェクス様におこなっている投薬と、どちらも対症療法であり、表面化した症状を抑えているだけです。魔法薬を用いた施術法の中に、そういった症状を発生させる根本に向き合うものがあります。その施術をギルヴェクスにお受けいただけたらと、私は考えています」
そこまで言った途端、急激に緊張感が高まった。『そんなの僕には必要ない』と激高されるかも知れない――。その覚悟をもって、改めてギルヴェクスを見据えて説明を続ける。
「その方法とは……被術者の記憶の中へと赴き、被術者の心を苦しめている原因となる出来事に、被術者自身が客観的に向き合う、というものです。効果が認められた事例は数多くありますが、かえって体調が悪化してしまった事例もあり、人によって向き不向きがあります。私は、ギルヴェクス様がそれを望まれない限りは強要など決して致しません。ただ、こういう治療法もあるのだと知っておいていただきたくて、今回お話しさせていただきました」
話し終えたルエリアは、ほっと息を吐き出した。まずは、伝えたかったことを話し切れてよかった――。まだ返ってきていない反応に怯えつつも、今はただ、最後まで聞いてもらえたことに安堵したかった。
しん、と部屋が静まり返る。
耳の中に響く鼓動が、静寂の中に際立つ。
ルエリアは少しだけうつむくと、目だけで正面の様子を窺った。ギルヴェクスは、視線を落として黙り込んでいた。鼻から息を吸っては吐き出す、を繰り返している。一定なようで一定の間隔ではないその音から、動揺が伝わってくる。
(もう、出ていった方がいいかな。おひとりになりたいのかも)
ルエリアが立ち上がろうとした矢先、またもう一度、深く息を吸い込んだギルヴェクスがようやく口を開いた。
「……。……そうか」
たった一言を言い残して、寝室へと姿を消してしまった。その言葉は肯定でも否定でもなかった。
***
次の日。ルエリアは応接室で、医師ゼルウィドがギルヴェクスの診察を終えるのを待っていた。
広い部屋でひとり、緊張感に息を詰めつつ膝の上で手を握り締める。
ほどなくして応接室の扉が開かれて、ゼルウィドが入ってきた。その手には革製の大きな鞄を持っている。きっと中には診察道具が入っているのだろう。
少年医師の背後で、ヘレディガーが頭を下げて去っていった。
ソファーの向かい側の様子をおそるおそる窺う。すると、ゼルウィドがほのかな笑みを浮かべていることに気づいた。
(どうされたんだろう。もうお腹いっぱいになっちゃったのかな)
どんどん食べ進めてくれるだろうと期待していたルエリアは、その予想外の行動に緊張感を覚えずにはいられなかった。
何か問題があったのかと尋ねようとした矢先。
顔を上げたギルヴェクスがルエリアの方を見て、ほんの少しだけ顔を綻ばせた。
「先に感想を言わなくてすまない。とてもおいしいと思う。ありがとう、ルエリア」
「……! こちらこそありがとうございます! お口に合ってなによりです!」
感想を待っているだろうから先に伝えなくてはと、手を止める勇者の律義さ。
ルエリアは勇者の思いやりに感動し、涙のにじんだ目を何度もまばたかせた。
またギルヴェクスがクッキーを食べはじめる。ひとつ食べ終えたそばからすぐ次のひとつを口に放り込む様子は、ごちそうに夢中になる子供のようにも見えた。
(弟がいたら、こんな風に『かわいい!』って気持ちになるのかな? 私の方が三歳下なのに『弟みたいでかわいい』なんて思ったら失礼か。でも夢中でクッキーをお召し上がりになるギルヴェクス様、とっても可愛らしいな)
いつしか遠巻きに見た勇者の凛々しさと、目の前でクッキーを頬張る青年のギャップに心が温かくなる。
(素のギルヴェクス様って、こんな感じなんだろうな。このお屋敷にいるみんなはそれを知っているからこそ、ギルヴェクス様がご自身を責めて塞ぎ込まれているお姿に胸を痛めて、どうにかして差し上げたくて頑張ってるんだろうな。私もギルヴェクス様に、寝たいときに寝て、食べたいときに食べれるようになってもらいたい。おいしいものを食べて『おいしい』って言えるようになってもらいたい)
クッキーを平らげたギルヴェクスが茶を飲み干し、ほっと息を吐き出す。快晴の空色をした瞳には、かすかな光が宿っていた。
「ごちそうさま。おいしいクッキーを焼いてくれてありがとう、ルエリア」
「いえ! いくらでも焼きますので、いつでも遠慮なくおっしゃってください!」
ほとんど叫ぶ声の大きさで返事しながら、めいっぱい頭を下げる。
顔を上げて再びギルヴェクスを見ると、その目はクッキーの置かれていた辺りを眺めていた。和らいだ表情を浮かべている。
(落ち着かれていらっしゃる、かな。あの施術について、お話しさせてもらっても大丈夫かな)
ルエリアは今が好機だと判断すると、思い切って質問を投げかけてみた。
「ギルヴェクス様。少しだけ、お話を聞いていただいてもよろしいでしょうか」
「君の話を? ……わかった。聞こう」
と言ってソファーの向かい側を手で指し示す。
ルエリアは恐れ多さに肩をすくめつつ、言われた通りの場所に腰を下ろした。
思った以上に勇者の部屋のソファーはふかふかで、体が弾む感覚にルエリアは目を丸くしてしまった。
すぐに、表情を引き締めて気持ちを切り替える。今は、家具の品質の高さを堪能している場合ではない。
顔を上げたルエリアは、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着けると、まっすぐにギルヴェクスを見て話を切り出した。
「先日、ギルヴェクス様よりお聞かせいただいたお話を受けまして、ひとつ、私からご提案させていただきたいことがあるのです。これまでゼルウィド様が行ってきた投薬と、現在私がギルヴェクス様におこなっている投薬と、どちらも対症療法であり、表面化した症状を抑えているだけです。魔法薬を用いた施術法の中に、そういった症状を発生させる根本に向き合うものがあります。その施術をギルヴェクスにお受けいただけたらと、私は考えています」
そこまで言った途端、急激に緊張感が高まった。『そんなの僕には必要ない』と激高されるかも知れない――。その覚悟をもって、改めてギルヴェクスを見据えて説明を続ける。
「その方法とは……被術者の記憶の中へと赴き、被術者の心を苦しめている原因となる出来事に、被術者自身が客観的に向き合う、というものです。効果が認められた事例は数多くありますが、かえって体調が悪化してしまった事例もあり、人によって向き不向きがあります。私は、ギルヴェクス様がそれを望まれない限りは強要など決して致しません。ただ、こういう治療法もあるのだと知っておいていただきたくて、今回お話しさせていただきました」
話し終えたルエリアは、ほっと息を吐き出した。まずは、伝えたかったことを話し切れてよかった――。まだ返ってきていない反応に怯えつつも、今はただ、最後まで聞いてもらえたことに安堵したかった。
しん、と部屋が静まり返る。
耳の中に響く鼓動が、静寂の中に際立つ。
ルエリアは少しだけうつむくと、目だけで正面の様子を窺った。ギルヴェクスは、視線を落として黙り込んでいた。鼻から息を吸っては吐き出す、を繰り返している。一定なようで一定の間隔ではないその音から、動揺が伝わってくる。
(もう、出ていった方がいいかな。おひとりになりたいのかも)
ルエリアが立ち上がろうとした矢先、またもう一度、深く息を吸い込んだギルヴェクスがようやく口を開いた。
「……。……そうか」
たった一言を言い残して、寝室へと姿を消してしまった。その言葉は肯定でも否定でもなかった。
***
次の日。ルエリアは応接室で、医師ゼルウィドがギルヴェクスの診察を終えるのを待っていた。
広い部屋でひとり、緊張感に息を詰めつつ膝の上で手を握り締める。
ほどなくして応接室の扉が開かれて、ゼルウィドが入ってきた。その手には革製の大きな鞄を持っている。きっと中には診察道具が入っているのだろう。
少年医師の背後で、ヘレディガーが頭を下げて去っていった。
ソファーの向かい側の様子をおそるおそる窺う。すると、ゼルウィドがほのかな笑みを浮かべていることに気づいた。
13
お気に入りに追加
92
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
ダンジョンチケット
夏カボチャ
ファンタジー
1話5分のファンタジー。
ある少年の夏休みはふとした瞬間から次元を越える!
大切な者を守りたいそう願う少年
主人公の拓武が自分が誰なのか、そしてどうすればいいのか、力のあるものと無いもの、
その先にある真実を拓武は自分の手で掴むことが出来るのか
読んでいただければとても嬉しいです。((o(^∇^)o))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる