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19 勇者の思いやり

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 ギルヴェクスが、口に運びかけていたクッキーを山に戻す。

(どうされたんだろう。もうお腹いっぱいになっちゃったのかな)

 どんどん食べ進めてくれるだろうと期待していたルエリアは、その予想外の行動に緊張感を覚えずにはいられなかった。
 何か問題があったのかと尋ねようとした矢先、顔を上げたギルヴェクスがルエリアの方を見てほんの少しだけ顔を綻ばせた。

「先に感想を言わなくてすまない。とてもおいしいと思う。ありがとう、ルエリア」
「……! こちらこそありがとうございます! お口に合ってなによりです!」

 感想を待っているだろうから先に伝えなくてはと、手を止める勇者の律義さ。ルエリアは勇者の思いやりに感動し、涙の浮かび始めた目を何度もまばたかせた。
 またギルヴェクスがクッキーを食べ始める。ひとつ食べ終えたそばからすぐ次のひとつを口に放り込む様子は、ごちそうに夢中になる子供のようにも見えた。

(弟がいたら、こんな風に『かわいい!』って気持ちになるのかな? 私の方が一歳下なのに『弟みたいに可愛い』なんて思ったら失礼か。でも夢中でクッキーをお召し上がりになるギルヴェクス様、とっても可愛らしいな)

 いつしか遠巻きに見た勇者の凛々しさと、目の前でクッキーを頬張る青年のギャップに心が温かくなる。

(素のギルヴェクス様ってこんな感じなんだろうな。この屋敷にいるみんなはそれを知っているからこそ、ギルヴェクス様がご自身を責めて塞ぎ込まれているお姿に胸を痛めて、どうにかして差し上げたいって思って、それぞれができることを頑張ってるんだろうな。私もギルヴェクス様に、寝たいときに寝て、食べたいときに食べれるようになってもらいたい。おいしいものを食べて『おいしい』って言えるようになってもらいたい)


 クッキーを平らげたギルヴェクスが茶を飲み干し、ほっと息を吐き出す。快晴の空色をした瞳には微かな光が宿っていた。

「ごちそうさま。おいしいクッキーを焼いてくれてありがとう、ルエリア」
「いえ! いくらでも焼きますのでいつでも遠慮なくおっしゃってください!」

 ほとんど叫ぶ声の大きさで返事しながらめいっぱい頭を下げる。
 顔を上げて再びギルヴェクスを見ると、その目はクッキーの置かれていた辺りを眺めていた。和らいだ表情を浮かべている。

(落ち着かれていらっしゃる、かな。についてお話しさせてもらっても大丈夫かな)

 ルエリアは今が好機だと判断すると、思い切って質問を投げかけてみた。

「ギルヴェクス様。少しだけ、お話しを聞いていただいてもよろしいでしょうか」
「君の話を? ……わかった。聞こう」

 と言ってソファーの向かい側を手で指し示す。
 ルエリアは恐れ多さに肩をすくめつつ、言われた通りの場所に腰を下ろした。思った以上に勇者の部屋のソファーはふかふかで、体が弾む感覚にルエリアは目を丸くしてしまった。
 すぐに、ぐっと深くうつむいて気持ちを切り替える。今は家具の品質の高さを堪能している場合ではない。

 顔を上げて、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着けると、まっすぐにギルヴェクスを見て話を切り出した。

「先日、ギルヴェクス様よりお聞かせいただいたお話を受けまして、ひとつ私からご提案させていただきたいことがあるのです。これまでゼルウィド様が行ってきた投薬と、現在私がギルヴェクス様に行っている投薬と、どちらも対症療法であり、表面化した症状を抑えているだけです。魔法薬の中には、そういった症状を発生させるに向き合う施術法があるのです。その施術をギルヴェクスにお受けいただけたらと、私は考えています」

 そこまで言った途端、急激に緊張感が高まった。『そんなの僕には必要ない』と激高されるかも知れない――。その覚悟をもって、改めてギルヴェクスを見据えて説明を続ける。

「その方法とは……被術者の記憶の中へとおもむき、被術者の心を苦しめている原因となる出来事に、被術者自身が客観的に向き合う、という方法です。効果が認められた事例は数多くありますが、かえって体調が悪化してしまった事例もあり、人によって向き不向きがあります。私はギルヴェクス様がそれを望まれない限りは強要など決して致しません。ただ、こういう治療法もあるのだと知っておいていただきたくて、今回お話しさせていただきました」

 話し終えたルエリアは、ほっと息を吐き出した。まずは、伝えたかったことを話し切れてよかった――。まだ返ってきていない反応に怯えつつも、今はただ、最後まで聞いてもらえたことに安堵したかった。
 しん、と静まり返る。
 耳の中に響く鼓動が、静寂の中に際立つ。
 ルエリアは少しだけうつむくと、目だけで正面の様子を窺った。ギルヴェクスは視線を落として黙り込んでいた。鼻から息を吸っては吐き出す、を繰り返している。一定なようで一定の間隔ではないその音から、動揺が伝わってくる。

(もう、出ていった方がいいかな。おひとりになりたいのかも)

 ルエリアが立ち上がろうとした矢先、またもう一度、深く息を吸い込んだギルヴェクスがようやく口を開いた。

「……。……そうか」

 たった一言を言い残して、寝室へと姿を消してしまった。その言葉は肯定でも否定でもなかった。



 次の日、ルエリアは応接室でゼルウィドの診察が終わるのを待っていた。
 広い部屋でひとり、緊張感に息を詰めつつ膝の上で手を握り締める。
 ほどなくして応接室の扉が開かれて、ゼルウィドが入ってきた。その手には革製の大きな鞄を持っている。きっと中には診察道具が入っているのだろう。
 少年医師の背後で、ヘレディガーが頭を下げて去っていった。

 ソファーの向かい側の様子をおそるおそるうかがう。すると、ゼルウィドがほのかな笑みを浮かべていることに気付いた。
 ルエリアがその表情の意味を問うより先に、ゼルウィドが話を切り出す。

「ギルヴェクス様の容態が安定して、大変うれしく思います。あなたの魔法薬のおかげですね。本当にありがとうございます」
「え、え!? いやそんな! ギルヴェクス様が落ち着かれたなら、それはみなさんの献身的な看護のたまものであって、私の魔法薬はその補助的役割を果たしただけというかなんというか……!」
「はあ……。まあ、あなたのその反応は想定内です。ですが謙遜も大概にしていただきたい。あそこまでご不調を緩和させることの叶わなかった医師としてかんにさわります」
「うわあすみません、せっかくお褒めに預かったのにまともなお返事もできなくて……! ゼルウィド様、本当にありがとうございます!」

 低いテーブルに額をぶつけそうになるくらいにめいっぱい頭を下げる。自分を嫌っていると思っていた相手からの感謝の言葉は、涙が出るほどの喜びを胸に湧き立たせた。
 顔を上げて、再び少年医師をまっすぐに見る。ゼルウィドはそっぽを向いていた。その幼い横顔は、つつきたくなるほど真っ赤に染まっていた。

 不意に応接室の扉がノックされる。ヘレディガーがワゴンを押して入ってきた。

「ゼルウィド様、診察お疲れ様でございます。こちらはヘレナロニカ殿下より、おふたりへの差し入れでございます」

 ティーポットからカバーが外された瞬間ルエリアは首をかしげた。漂ってきた香りが予想と違ったからだ。
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