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16 一歩踏み込んだ治療法
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勇者を癒せる可能性のある、ひとつの案がルエリアにはあった。
それは【心を悩ませる原因となっている場面を、自分で見に行く】こと。魔法薬を使って自身の記憶の世界の中に飛び込み、その場面へとおもむいて、かつて経験した出来事を客観視するというものだった。
熾烈な戦いを余儀なくされて仲間を亡くした冒険者や、魔族に襲われた一般人等。心に強い衝撃を受けて傷を負った人を癒す手法として編み出されたものだが、その魔法薬の作成難易度の高さから、これまでの施術例は百件にも満たない。
そして、その魔法薬を患者が使う際、確実に目的の場面へと辿り着けているかを確認するために、施術を施す側も魔法薬を使ってその記憶の世界に同行するのだが、かつて実験中に一件だけ事故が起こった例がある。いわば【成功すれば治癒効果は高いが安全性が確立されたとはまだ言い切れない】方法なのだった。
そんなリスクのある手法を、一介の魔法薬師が、唯一無二の勇者に施してしまっても良いものなのだろうか――。
「そうだ。師匠に相談してみよう」
ライティングデスクの引き出しを開けると、案の定そこには便せんが入っていた。早速手紙を書き始める。自分が今ここにいる経緯は省いて、勇者ギルヴェクス・マグナセニアが直面している困難について記していく。続けて件の施術を勇者に施すことについて意見を求めた。
師匠に手紙を出したいと言ったところ、早馬を出してくれた。
王都からだと馬車で片道五日間かかるほど遠くに住んでいるにもかかわらず、勇者邸の衛兵は出発から四日で返信を持って帰還した。
また近衛兵をこき使ってしまったと申し訳なさを覚えつつヘレディガー経由で手紙を受け取り、緊張しながら封を切る。
中には一枚の便せんが入っていた。封筒サイズに折りたたまれたそれを震える手で開くと、そこにはたった二行の返事が書かれていた。
『効果は認められると思われる。
事故にはくれぐれも気を付けるように』
久しぶりに見た師匠の字。心の中で読み上げれば、懐かしい声が聞こえてくる。
「ありがとうございます、師匠」
ルエリアはそっと手紙を折りたたみ、封筒にしまうと、それをぎゅっと胸に抱きしめた。
日々、ギルヴェクスに魔法薬を渡しがてら容体を観察し、新たな施術について切り出すタイミングを窺う。最近もまた『ご自身を責める寝言を口にしていた』とヘレディガーから報告されて、なかなか提案に踏み出せなかった。
一方で、その施術についての研究を始める。百件に満たない施術例がすべて記録されている本がルエリアの元に届けられたのは、手紙の返信の数日後のことだった。
メッセージの添えられていないその師匠からのプレゼントには心底感動させられた――その魔法薬について書かれた本を自分で探そうにも、どの書店に売っているかすら知らなかったのだから。
ギルヴェクスに飲ませる魔法薬を作り、本を読み耽り、を繰り返す日々が続いた。
ルエリアは、施術例の記録をすべて暗記したくて毎日夜遅くまで一冊の本を繰り返し読んでいた。気になった点について紙に書き出し、また通読を再開する。
ある日、ふと気が付くと机に突っ伏して眠っていた。
机に腕を押し付けるように力を込めて身を起こせば、体のあちこちが軋む感覚がする。
「いたたた……。やっちゃった。ちゃんとベッドに移動するべきだったなあ……」
眠る直前のことを思い出す。眠くなってきてうつらうつらしていたとき、ちょっとだけ、と睡魔に負けて机に伏せてしまったのだった。
背筋を伸ばしたところで、肩からするりとなにかが落ちる感触がした。軽く体をひねりつつ視線を落とすと、椅子の背もたれと尻の間にストールが落ちていた。
見覚えのないそれを取り上げて、広げてみる。美しい光沢を帯びた布地はびっくりするくらいなめらかな手触りで、ルエリアはストールを丁寧に折りたたむと、何度も表面に手を滑らせた。
「これ、ヘレディガーさんが掛けてくれたのかな。優しいな」
しみじみとありがたみを噛みしめていると、ノックの音が聞こえてきた。
頭の先から爪先まで完璧に整えられた執事が、朝食の乗ったワゴンを押して部屋に入ってくる。
「おはようございます、ルエリア様」
「おはようございます、ヘレディガーさん。このストールって、ヘレディガーさんが掛けてくださったんですか? お気遣いをありがとうございます」
「お礼はギルヴェクス様にお伝えください。ギルヴェクス様が御心配されておりましたよ、『彼女は夜中まで起きていそうな気がするから、気にかけてやってくれないか』と」
「えええ……! そうなんですね……またご迷惑をお掛けしちゃってすみません」
ギルヴェクスにそこまで言わせてしまうなんて――ルエリアは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、しおしおとうなだれた。
「ルエリア様」
「はい」
「我々は、迷惑だとは思っておりません。ルエリア様のお体を案じているのです。ルエリア様がギルヴェクス様や屋敷の者たちを思いやってくださるのと同様に、我々もルエリア様に元気でいて欲しいと、そう願っていることを心の片隅にでも置いておいていただければと存じます」
「……! わかりました。ありがとうございます……!」
ヘレディガーが去ってから、ルエリアは今言われた言葉を口に出してみた。
「私がみんなを心配するのと同じくらい、みなさんが私のことを心配してくれてるって……。本当に私なんかを? すごいな……とってもありがたいな……」
両手を頬に当てる。心臓がどきどきしている。ルエリアは深呼吸を繰り返した。
改めて、自分が今まさに【英雄を支える者たちの一員】となっていることを実感して、武者震いが起きる。
「絶対に、ギルヴェクス様を回復して差し上げるんだ。私ひとりの力じゃなくて、みんなで力を合わせて」
朝食後、いつものように魔法薬の調合をし、終わったらまた本を読み始める。
そうして過ごすうちに昼となり、運ばれてきた昼食をいただき、また施術の記録と向き合う。
気付けば数時間が経っていた。椅子から立ち上がって手足を伸ばす。ずっと同じ姿勢でいたせいで、体のあちこちがこわばっていた。
「うん。元気でいるために、少し休憩しよう。なにか息抜きになることを……そうだ!」
あることを思い立ったルエリアは、いそいそと調理場へと向かった。
それは【心を悩ませる原因となっている場面を、自分で見に行く】こと。魔法薬を使って自身の記憶の世界の中に飛び込み、その場面へとおもむいて、かつて経験した出来事を客観視するというものだった。
熾烈な戦いを余儀なくされて仲間を亡くした冒険者や、魔族に襲われた一般人等。心に強い衝撃を受けて傷を負った人を癒す手法として編み出されたものだが、その魔法薬の作成難易度の高さから、これまでの施術例は百件にも満たない。
そして、その魔法薬を患者が使う際、確実に目的の場面へと辿り着けているかを確認するために、施術を施す側も魔法薬を使ってその記憶の世界に同行するのだが、かつて実験中に一件だけ事故が起こった例がある。いわば【成功すれば治癒効果は高いが安全性が確立されたとはまだ言い切れない】方法なのだった。
そんなリスクのある手法を、一介の魔法薬師が、唯一無二の勇者に施してしまっても良いものなのだろうか――。
「そうだ。師匠に相談してみよう」
ライティングデスクの引き出しを開けると、案の定そこには便せんが入っていた。早速手紙を書き始める。自分が今ここにいる経緯は省いて、勇者ギルヴェクス・マグナセニアが直面している困難について記していく。続けて件の施術を勇者に施すことについて意見を求めた。
師匠に手紙を出したいと言ったところ、早馬を出してくれた。
王都からだと馬車で片道五日間かかるほど遠くに住んでいるにもかかわらず、勇者邸の衛兵は出発から四日で返信を持って帰還した。
また近衛兵をこき使ってしまったと申し訳なさを覚えつつヘレディガー経由で手紙を受け取り、緊張しながら封を切る。
中には一枚の便せんが入っていた。封筒サイズに折りたたまれたそれを震える手で開くと、そこにはたった二行の返事が書かれていた。
『効果は認められると思われる。
事故にはくれぐれも気を付けるように』
久しぶりに見た師匠の字。心の中で読み上げれば、懐かしい声が聞こえてくる。
「ありがとうございます、師匠」
ルエリアはそっと手紙を折りたたみ、封筒にしまうと、それをぎゅっと胸に抱きしめた。
日々、ギルヴェクスに魔法薬を渡しがてら容体を観察し、新たな施術について切り出すタイミングを窺う。最近もまた『ご自身を責める寝言を口にしていた』とヘレディガーから報告されて、なかなか提案に踏み出せなかった。
一方で、その施術についての研究を始める。百件に満たない施術例がすべて記録されている本がルエリアの元に届けられたのは、手紙の返信の数日後のことだった。
メッセージの添えられていないその師匠からのプレゼントには心底感動させられた――その魔法薬について書かれた本を自分で探そうにも、どの書店に売っているかすら知らなかったのだから。
ギルヴェクスに飲ませる魔法薬を作り、本を読み耽り、を繰り返す日々が続いた。
ルエリアは、施術例の記録をすべて暗記したくて毎日夜遅くまで一冊の本を繰り返し読んでいた。気になった点について紙に書き出し、また通読を再開する。
ある日、ふと気が付くと机に突っ伏して眠っていた。
机に腕を押し付けるように力を込めて身を起こせば、体のあちこちが軋む感覚がする。
「いたたた……。やっちゃった。ちゃんとベッドに移動するべきだったなあ……」
眠る直前のことを思い出す。眠くなってきてうつらうつらしていたとき、ちょっとだけ、と睡魔に負けて机に伏せてしまったのだった。
背筋を伸ばしたところで、肩からするりとなにかが落ちる感触がした。軽く体をひねりつつ視線を落とすと、椅子の背もたれと尻の間にストールが落ちていた。
見覚えのないそれを取り上げて、広げてみる。美しい光沢を帯びた布地はびっくりするくらいなめらかな手触りで、ルエリアはストールを丁寧に折りたたむと、何度も表面に手を滑らせた。
「これ、ヘレディガーさんが掛けてくれたのかな。優しいな」
しみじみとありがたみを噛みしめていると、ノックの音が聞こえてきた。
頭の先から爪先まで完璧に整えられた執事が、朝食の乗ったワゴンを押して部屋に入ってくる。
「おはようございます、ルエリア様」
「おはようございます、ヘレディガーさん。このストールって、ヘレディガーさんが掛けてくださったんですか? お気遣いをありがとうございます」
「お礼はギルヴェクス様にお伝えください。ギルヴェクス様が御心配されておりましたよ、『彼女は夜中まで起きていそうな気がするから、気にかけてやってくれないか』と」
「えええ……! そうなんですね……またご迷惑をお掛けしちゃってすみません」
ギルヴェクスにそこまで言わせてしまうなんて――ルエリアは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、しおしおとうなだれた。
「ルエリア様」
「はい」
「我々は、迷惑だとは思っておりません。ルエリア様のお体を案じているのです。ルエリア様がギルヴェクス様や屋敷の者たちを思いやってくださるのと同様に、我々もルエリア様に元気でいて欲しいと、そう願っていることを心の片隅にでも置いておいていただければと存じます」
「……! わかりました。ありがとうございます……!」
ヘレディガーが去ってから、ルエリアは今言われた言葉を口に出してみた。
「私がみんなを心配するのと同じくらい、みなさんが私のことを心配してくれてるって……。本当に私なんかを? すごいな……とってもありがたいな……」
両手を頬に当てる。心臓がどきどきしている。ルエリアは深呼吸を繰り返した。
改めて、自分が今まさに【英雄を支える者たちの一員】となっていることを実感して、武者震いが起きる。
「絶対に、ギルヴェクス様を回復して差し上げるんだ。私ひとりの力じゃなくて、みんなで力を合わせて」
朝食後、いつものように魔法薬の調合をし、終わったらまた本を読み始める。
そうして過ごすうちに昼となり、運ばれてきた昼食をいただき、また施術の記録と向き合う。
気付けば数時間が経っていた。椅子から立ち上がって手足を伸ばす。ずっと同じ姿勢でいたせいで、体のあちこちがこわばっていた。
「うん。元気でいるために、少し休憩しよう。なにか息抜きになることを……そうだ!」
あることを思い立ったルエリアは、いそいそと調理場へと向かった。
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