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第五章
81 ダリオの異変(■)
しおりを挟む※嘔吐描写があります
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ヒナリが誰にともなく賢者という存在について問い掛けると、ベルトランが目だけでヒナリを見て眉をひそめた。
「バイオリンのときは、賢者が聖女様に向かって魔力を使った形だったから問題なかったのかも知れないけれど、今回ははっきりと他者を攻撃するために使ったからね……」
「女神様に罰されたりする?」
「賢者が聖女様以外の者に魔力を行使することを罪とするならば、罰を受けるべきではあるだろうね。ただ今回は、聖女様を助けるためにおこなったことだから……。その点を女神様が斟酌くださり、お目こぼしくださることを願うしかない」
願わくばダリオに恩赦を――とはいえクレイグが捕らえられたときに起こしたような奇跡など、そう何度も起こせるものとは思えない。もしもそれが頻繁に起こせてしまうならば、仕来たりを守る意義などなくなってしまうからだ。
高熱に耐えるダリオの苦悶の表情に、胸が締め付けられる。
苦しむ賢者に何もしてあげられない私は、なんて無力な聖女なんだろう――。
ヒナリはただ賢者の傍に寄り添うことしかできない己に、失望せずにはいられなかったのだった。
◇◇◆◇◇
今回の事件の首謀者であるウレリギッテ・シュネインゼルは、聖女並びに賢者誘拐の重罪により北の孤島の牢獄に入れられた。夜な夜な海棲魔獣の唸り声が響くそこは、極めて重い罪を犯した者のみが収監される牢獄で、一度そこに送り込まれた者は一生そこから出られないとのことだった。
シュネインゼル辺境伯の実の娘の犯行であるということから、辺境伯自身の関与が疑われた。しかし大勢の暴漢の手配も、書簡や馬車の偽造も全てウレリギッテの単独犯であることが確認され、ただし資金源が辺境伯領の財産であったことから、領地の一部没収だけで手打ちとなったのだった。
ダリオは一週間経っても起きなかった。痩けた頬と、栄養剤を点滴する姿が痛ましい。
ヒナリは一日のほとんどを、ダリオの部屋で過ごしていた。
執事のライズボローがダリオの寝間着を脱がせて体を拭いていく。その様子を見守るうちに、ヒナリはある異変に気が付いた。
「え、どうして……!?」
「どうされました、ヒナリ様」
信じがたい光景に目を見開けば、ライズボローが落ち着いた声で問い掛けてくる。
半裸姿のダリオをヒナリは愕然と見つめると、声を震わせた。
「私がそばに居るのに、ダリオの聖紋が輝いてない……!」
「――!」
一同に緊張感が走る。すぐ傍で控えていたミュリエルが、弾かれたように部屋を飛び出していった。
しばらくすると、三人の賢者がダリオの部屋に集合した。
ヒナリは衝撃的な出来事に涙が止まらなくなった。何度も涙を手の甲で拭いながら、不安を吐露する。
「ダリオ、賢者でなくなってしまうの……?」
重い沈黙。ダリオの行く末を知るのは女神ポリアンテスただひとりである。
「私、女神様に直訴してくる。ダリオを賢者のままでいさせてくださいって。ダリオを目覚めさせてくださいって」
ヒナリは賢者たちに振り返り、声を張り上げた。
「みんな、手伝って! 儀式を見て、私を女神様の元に送り出して!」
「……!」
瞠目したアルトゥールとクレイグが赤面する。一方で、ベルトランはただ寂しげな瞳でヒナリを見つめるばかりだった。
何も言ってくれない賢者たちに、向きになって訴える。
「ダリオだけが罰されるのはおかしいんだよ。私だって聖女であるに値しない発言をしてしまったのに、何のお咎めもなしなんて」
ベルトランがヒナリに歩み寄り、肩に手を置きヒナリの腕をさすってなだめようとする。
「考えられるとしたら、実際に魔力を儀式以外で使ったか、ただ女神様の意に反することを思い、言葉にしたかの違いだね」
「そんな! ダリオは私を護るためにしてくれたことなのに……!」
「うう……」
「――!」
不意に呻き声が聞こえてきて、全員が一斉にベッドに振り返る。そこには一週間ぶりに目を開いたダリオが居た。
「ダリオ!」
ヒナリはすぐさまベッドに駆け寄りダリオの顔を覗き込んだ。
「良かった、目覚めてくれて……!」
「ごめん、心配かけて……」
長らく眠っていたせいか、掠れ声が痛ましい。起き上がろうとするダリオの背を支えて慎重に体を起こさせた。
ぼんやりとした赤い目が、ゆっくりとヒナリの方に向けられる。
ヒナリと目を合わせたその瞬間。
「っ――!?」
ダリオが肩を震わせて、息を呑んだ。
「ダリオ、どうしたの?」
「魔眼が……」
「え?」
ダリオの呼吸がたちまち荒くなっていく。両手で目をつかむようにして顔を覆い、苦悶の声を絞り出す。
「君の、オーラが、見えない……!」
「――!」
絶望的なひとことに空気が凍り付く。直後、
「う、うぇっ……」
ダリオが口を押さえて全身を震わせた。指の隙間から黄緑色の液体が垂れ落ちる。
「ダリオ様!」
すぐさま駆け寄ったライズボローが素早く手巾で吐瀉物を受け止める。ミュリエルが風呂場へと飛んで行き、空の桶を持って戻ってくる。
ライズボローがダリオの背中を懸命にさする。
「僕は、僕は……!」
赤い目から涙を流すダリオが、震える声で呟きを洩らす。
ダリオは唾液しか出なくなっても嘔吐の動きを繰り返すばかりだった。
いつの間にか部屋を出ていっていたクレイグが、まっすぐダリオの元へと向かい、ベッドの端に腰掛ける。
「失礼」
と言って液体を染み込ませたハンカチをダリオの口にあてがう。呼吸を荒らげていたダリオは数回それを吸い込むと、ふと意識を失ったのだった。
ダリオの着替えと寝具の取り替えが終わったあと、執事もメイドも下がらせて、ヒナリと賢者だけの話し合いを開始した。ベッドの傍に向かい合わせで立ち、めいめいが考え込む。
ベルトランが、溜め息をつき首を振る。
「聖紋が光らなくなっただけでなく、魔眼も発動しなくなっているなんて」
「魔眼はアウレンティの血族固有の魔力で発動していると言われています。今回、ダリオが賢者の魔力を自ら制御するという、本来ならばできるはずのないことをしようとした結果、より多くの魔力が必要となり、魔眼を発動させる方の魔力まで消費してしまった、ということでしょうか……。いずれにせよ、いよいよ魔力が枯渇していることが証明されてしまいましたね」
腕組みしたクレイグが眉をひそめる。
ヒナリは賢者たちひとりひとりの顔を見て、脳裏に浮かんだことを次々と口にしていった。
「魔力を取り戻すためにはどうしたらいいんだろう。今までに賢者が魔力を失って、取り戻した例はあるのかな。私、歴代聖女様の記録を調べてくる!」
歴代聖女の行動すべてが記録された本ならば、かつて同じ事態に陥ったことがあるとしたら必ず記されているはずである。
初代以外の五人の聖女の、降臨時から神殿をあとにするまでの記録は膨大な量となる。
それでもダリオのためなら何日、何ヵ月、何年かけても読破して、先例を探し出してみせる――ヒナリがそう固く決意して、歩き出そうとした矢先。
手首をつかまれた。
ヒナリが振り向くと、考え込む顔をしたクレイグが、どこを見るともない目付きをしていた。
「余剰魔力……」
「え?」
「余剰魔力を取り込む、というのはどうでしょう」
途端にアルトゥールが不思議そうな顔をする。
「魔鉱石をかじるのか?」
「かじれるわけないでしょう! 人間の歯はそこまで丈夫ではありません」
ベルトランが、すぐさま異議を唱える。
「でも今は、浄化の効果が発動している最中だから、余剰魔力が発生している場所へ行くのは危険すぎないかな」
「えっ?」
ヒナリは意外な言葉を不思議に思い、何度も目をまばたかせた。
「どうして今、余剰魔力が発生している場所が存在するの? 祈りの効果は続いているのに」
「そう。僕らって、最終的には完全浄化を目指しているでしょう?」
「うん」
「でも、完全浄化と呼んではいても、余剰魔力が消失するのは【人が住まう土地とその周辺のみ】なんだ。完全浄化後も東方のモウシハヤ国と交易ができないのは、この国とモウシハヤ国との間に広大な未開の地が広がっていて、余剰魔力の絶えないそこに魔獣が発生し続けるからだよ」
ヒナリは、以前モウシハヤ国の王子が『魔獣を寄せ付けないようにするための聖水が足りないから、交易路を開拓できない』と話していたことを思い出した。
「以前、君は『見知らぬ土地に誰かが住んでいる可能性はないのか』と疑問を抱いていたけれど、誰も居やしないだろうと考えられているのはこういうこと。ただでさえ浄化で弱った魔獣が共食いをして強化個体が発生する状況で、浄化前と変わらず新たに魔獣が発生し続ける土地に、誰が好んで住むかって話だね」
「そうだったんだ……」
図書館通いをして勉強をしていたつもりが全く学びが足りていなかったことを知り、恥ずかしくなったヒナリは深く項垂れた。
「【魔力を取り込む】、か……」
そう呟いたクレイグが、はっと目を見開いた。
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