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第四章

68 ダンスのお手本と塗り薬

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 ダンスホールのちょうど真ん中で振り返ったダリオが、無表情でベルトランを見上げる。

「どっちがどっちをやる?」
「普段は僕が女性側なんだから、今日は君が女性側をやってよ」
「了解」
「普段って?」

 ふたりの会話が気になったヒナリは、つい口を挟んでしまった。
 すかさずベルトランが顔だけを振り向かせて微笑む。

「君が図書館へと出掛けている間、ダリオはダンスの練習をしているんだよ。僕はたまに付き合うくらいだけど」
「そうだったんだ」

 ダリオがベルトランの肩越しに顔を覗かせて、ヒナリと目を合わせてきた。

「王家主催の舞踏会があることは昔から決まっていることだったから。僕は夜会をずっと避け続けていたせいで、人前で踊る機会がほとんどなかったから、皆より見劣りしないように多く練習するようにしているんだ」
「なるほど……」

『ダリオは邸宅にこもって何をしているのかな』と若干疑問に思ったこともあったものの、ただのんびり過ごしていたわけではなかったらしい。陰ながら努力していることを知り、ヒナリはダリオに尊敬の念を抱いたのだった。


「さて。音楽なしだけど許してね」

 ベルトランとダリオが手を重ねて、構えたところで目を見合せる。

「曲は?」
「それじゃ……花のワルツで」
「いいね」

 ダリオの提案に頷いたベルトランが、小声で拍を取り始める。
 3カウントを二回唱えた後――すっと小船が水面を漕ぎ出すかのように、ふたり揃って滑らかに踊り出した。



(わ、素敵……!)

 淀みなくステップを踏む動きは一糸乱れぬ息の合い方で、まるでふたりの足の間に棒を渡してあるかのような完璧さだった。揃った足音と舞の流麗さに、鳴ってもいない音楽まで聞こえてくる気がした。
 不意に繋ぎ合わせた手が掲げられ、女性役のダリオがくるりと体を一回転させる。
 再び向かい合わせになった途端、ベルトランがダリオを見下ろして柔らかな笑みを浮かべた。

(素敵……王子様みたい……)

 ヒナリが胸をときめかせる一方で、その視線を受けたダリオはというと白けた目付きをして何かを呟き、苦虫を噛み潰すような表情を浮かべた。
 その反応を見たベルトランが、宙を仰いで笑い声を上げながらも両腕を伸ばして離れていき、またダリオを引き寄せて受け止める。
 特に踊りに集中せずとも自然と体が動くらしい。堂に入った身のこなしに、昔からずっと練習してきたであろうことが伝わってきた。


 横並びになったふたりがお辞儀して、ダンスの実演が終了した。
 ヒナリはアルトゥールやクレイグと共に手を打ち鳴らすと、感激のままにダリオとベルトランを褒め称えた。

「素敵! ふたりとも本当に上手なんだね! 映画……じゃなくてお芝居のワンシーンを見てるみたいだった! 踊ってみせてくれて本当にありがとう!」

 ヒナリの言葉にベルトランが笑顔になる横で、ダリオが肩をすくめた。

「君が喜んでくれたならいいけど。ベルトランが完全に女性に向ける目をしてきたから気色悪かった」

 途端にベルトランが「あはは」と腹を抱えて笑い出す。

「ごめんねダリオ、あれってもう習慣になっちゃってるからさ。踊りの動作と表情と、僕の中でセットになってるんだ」
「まあ、分かるけど」

 ふたりはばらばらに歩き出すと、ヒナリたちの居るソファーに腰を下ろした。


 向かいに座ったベルトランが、先生めいた頼もしげな顔付きでまっすぐに見つめてくる。

「さてヒナリ。これから少しずつ憶えていこうね」
「うん、よろしくお願いします! 頑張ります!」

 舞踏会の話を聞いた当初は乗り気ではなかったのに、ベルトランとダリオの華麗なるダンスにすっかり心を奪われてしまったヒナリは、『あんな風に踊れたら素敵だろうな』と強く思い、俄然ダンスの練習に意欲が湧いてきたのだった。



 ステップを教えてもらい、足元を見ながら動きを真似る。
 やる気が出たせいか、ヒナリはすんなりとダンスの動きを身に着けていった。

(前世で体を動かす習慣はなかったけど、結構楽しいな、これ)

 四人と練習に励むうちに、相手の足を思い切り踏みつけて平謝りする回数は減っていき、ダリオやベルトランのバイオリンに乗せて賢者たちと踊る時間はヒナリの毎日の楽しみとなっていった。


 そんな中、それまで使っていなかった筋肉を使ったからということなのだろうか、ふくらはぎが筋肉痛になってしまった。
 練習後、ソファーに腰を下ろし、足をさすりながら『痛たた……』と呟いた瞬間ダンスホールに緊張が走った。
 ヒナリが迂闊な発言を洩らした口を押さえても後の祭り、聖女が痛みを訴えたという事実は思いの外重く受け止められてしまった。賢者たちもメイドたちも皆、悲痛めいた面持ちで、口々に労わりの声を掛けてくる。

『大丈夫だよ』とヒナリが一同に笑みを見せて取り繕っている間にクレイグが自室に戻り、塗り薬を持ってきてくれた。丸く平たい容器を差し出して、説明を始める。

「ヒナリ、こちらは鎮痛消炎薬です。私が調合した魔法薬ではなく市販のものですから、薬効が強く出ることもないでしょう。塗って差し上げますね」
「ありがとう、クレイグ」

 クレイグが目の前に膝を突き、恭しくヒナリの靴を脱がせていく。
 思い起こせばメイドのふたり以外に裸足にさせられたのは初めてで、ヒナリはそれだけでどきどきしてしまった。
 クレイグの太ももの上に足の裏を乗せられて、ジェル状の薬を塗り込まれていく。広い手のひらがふくらはぎをなぞる感触は、くすぐったくもあったが、ミントのような清涼感のある薬は疲れた足にことさら心地よかった。ハーブの香りが鼻に届き、たちまち癒しの時間が訪れる。

「はあ……気持ちいい……」

 目を閉じて、溜め息と共に率直な感想をこぼす。ひんやりとした薬が沁み込んでいき、痛む部分に届いているような感覚がした。
 すっとする感触から、前世の湿布薬を連想する。貼り付けるタイプのものはあるのかな、などと考えながらふと目を開くと、四人の賢者に凝視されていることに気が付いた。アルトゥールとクレイグは頬を赤らめていて、ベルトランとダリオは口の端を上げた意味深な顔付きになっている。

「みんな、どうしたの?」
「んー? 気持ちよさそうなヒナリ、とても可愛いなと思って」
「えっ!」

 ベルトランに言われて初めて、ヒナリは自分が薬を塗られてうっとりとしてしまっていたことを自覚した。
 両手で顔を覆ってうなだれる。

「ごめん、変なところを見せちゃって……」
「ううん。もっと見せて欲しいくらいだよ」
「そういうこと言わないでよお……」

 手のひらの中に声をこもらせていると、そわそわとした声が聞こえてきた。

「ヒナリ。今度、私にも塗らせてもらえないだろうか」
「!?」

 予想外の問い掛けに素早く顔を上げると、アルトゥールの真剣な眼差しが待ち構えていた。しかし頬や耳はさっき見た以上に赤く染まっている。心なしか鼻息も荒い。

「顔を赤くしながら塗られるのは、ちょっとイヤかな……」
「そっ、それは……! そうならないように心掛けると誓うから、私にもその大役を授けてもらえると嬉しい」
「うーん。もしまた痛くなったらね」

 アルトゥールの必死さに絆されて、つい了承してしまった。


 とはいえはっきりとした筋肉痛を感じたのはこの一度きりで――毎回練習後にアルトゥールが落ち着かない様子で視線を寄越してくるので、ヒナリは『どこも痛くなってないよ!』と言い残してそそくさとダンスホールを出ていくのが恒例となってしまったのだった。


    ◇◇◆◇◇


 舞踏会当日。

「ヒナリ様、よくお似合いです……!」

 鏡の中に立つ令嬢を見て、ミュリエルとレイチェルが目を潤ませる。
 普段はシンプルなワンピースやローブを着ているだけに、スカート部分にボリュームのあるいかにもお姫様風な装いに、ヒナリも嬉しくなってしまった。

「ありがとう、ふたりとも」

 髪をアップにするのもまた新鮮で、つい鏡の前で首を振って自分の髪型を眺めてしまう。
 これから大勢の人の前で踊らなければならないのに緊張感もなく、ただパーティーというものに初めて出席できるということにわくわくしてしまったのだった。


 出発までにはまだ時間があるため居間へと向かうと、賢者たちは普段のソファーの方ではなく円卓の方に着いていた。四人とも燕尾服を着ていて、上着の後ろの長い部分が椅子から垂れ下がっている。
 髪もきっちりとセットされていて、想像以上の格好よさにヒナリは開いた口が塞がらなくなった。

「はわ……」
「どうした? ヒナリ」

 部屋に踏み込むなり固まったヒナリを見て、アルトゥールが口元を微笑ませる。
 ヒナリがその場に立ち尽くしていると、クレイグが眉をひそめた。

「なんです? そんな愛らし……間抜けな表情をして。この格好はそんなにおかしいですか?」
「ううん」

 見事に絵になる四人を見て、感激のあまりヒナリは目が潤んでしまった。

「みんな、とっても素敵……!」
「はは。ありがとう、ヒナリ」

 ベルトランが王子様めいた高貴な笑みを浮かべる。

「はうっ、眩しいっ」

 その目映い笑顔を直視できず、ぎゅっと目を閉じる。
 再びおずおずとまぶたを押し上げて、改めて四人の姿を眺める。ずっと眺めていても眺め足りなそうなくらい、賢者たちは見事に正礼装を着こなしていた。

「みんなかっこよすぎて、隣を歩くの気後れしちゃうなあ」
「ヒナリ、君それ本気で言っているの?」

 ダリオは不機嫌そうな早口でそう言うと、溜め息をついた。

「君は姿見で自分の姿を見なかったの? 僕らはこれくらいの格好をしないと見目麗しい君とは釣り合わないから、こうして着飾っているんだよ?」
「それは、ありがとう……」

 賢者たちがどんな格好をしていようとも釣り合わないなんてことは絶対ない、と思わず言い返したくなる。とはいえ正直にそれを言ったらますますダリオを不機嫌にさせそうな気がしたので、ヒナリは黙っておくことにしたのだった。
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