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第三章

54 諦めの悪い王子様

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『早く私のことを諦めて』と、心の中でヒナリが異国の王子に懇願しながら目を泳がせていると、ふと二階から四人の賢者たちに見下ろされていることに気が付いた。

(見てないで助けてよ~!)

 涙目で視線を送ると、賢者たちがすぐさま姿を消した。
 少しの間のあと、ばらばらと足音を立てながら駆け寄ってくる。

「その辺にしてもらいましょうか、殿下」

 アルトゥールは朗らかな口調だったが、目付きは鋭かった。
 続けてクレイグが怒りをあらわにした顔で王子を睨み付ける。

「いくら賓客とはいえ、聖女様を口説こうとするなんて無礼千万」

 賢者たちから咎められた王子は目を伏せて小さく息をつくと、ヒナリに向き直り、胸に手を当てた。

「ご無礼をお許しください、聖女ヒナリ様。貴女を焦がれるあまり、自らを制することすらままならなくなってしまった。王となるべく育てられてきたこの私が『国を捨てる』などと言い出してしまうとは。恋とは恐ろしいものですね」

 装飾具の音を鳴らしながらゆっくりと立ち上がり、ヒナリの前に膝を突く。

「貴女様との思い出を糧に、私はこれから生きて参ります。聖女ヒナリ様、いつでも我が国へお越しください。貴女様の御心を射止めるために、ありとあらゆる手立てを講じてお待ちしております」

(そんなトラップを仕掛けておくみたいなことを言われたら遊びに行きづらくない? まあ、行く予定はないけど)

 とヒナリが胸の中で呟いていると、立ち上がった王子が流麗な仕草で一礼した。

「名残惜しいですが……これにて失礼致します」
「道中の無事を祈ります」

 ヒナリの返答のあとに顔を上げた王子は、貴公子らしい顔付きに戻っていた。その場で身を翻し、颯爽と歩き出す。
 直後、王子の従者がヒナリに向かって小声で話し掛けてきた。

「(聖女ヒナリ様、どうかお気になさらず! 王子は初めての恋に混乱しているだけですので!)」

 従者は深々とお辞儀すると、王子に続いて去っていった。



 砂漠の嵐が過ぎ去り、取り残されたヒナリは四人の賢者に見下ろされていた。
 クレイグが腕組みして顎に手を添えて、眼鏡越しの目を鋭くする。

「ヒナリ。あの王子のこと、まんざらでもないなどと思ってはいないでしょうね」
「え。思ってないよ!」

 ヒナリが即答した直後、縋るような弱々しい声が聞こえてきた。

「ヒナリ……どこへも行かないでくれ」
「どこへも行かないよ!?」

 アルトゥールのあまりにも意外な懇願に、ついヒナリは声を張り上げてしまった。
 一連のやり取りを見ていたベルトランが苦笑する。

「ヒナリ、ああいうときはもっとはっきり冷たい態度を取っても大丈夫だよ」
「私、一応きっぱり断ったつもりだったのにな」

 少なくとも気のある素振りを見せた覚えはない。
 それでも食い下がられたのは、自分の態度がまずかったのか、それとも相手の想いが強すぎただけなのか――。

 腰に手を置いたダリオが、赤い目を鋭く光らせる。

「君にはさらなる特訓が必要そうだね。明日、いや今日から僕らが君を口説きまくるから、君はきちんと僕らをあしらうこと。いいね?」
「そんなのできないよ~」

 とんでもない特訓方法を提示されて、困惑せずにはいられない。賢者たちを見上げると、四人とも至らぬ聖女をびしばし鍛えてやろうという気概に満ちあふれていた。


 この日から始まった四人の賢者たちによる猛特訓は、数日後にヒナリがギブアップするまで容赦なく続けられたのだった。


    ◇◇◆◇◇


 聖女邸の正面は美しい花の咲き誇る庭園だったが、裏庭はというと、厩舎や菜園、洗濯室以外は石畳の広場となっていて、そこでは聖騎士団の十名が日々鍛練に励んでいるとのことだった。
 ラムラー国のカースィム王子との騒動後、若干図書館に行きづらくなったヒナリは普段と違うことをしてみようと思い立ち、邸宅内を隅々まで見て回っていた。
 その一環として、それまで一度も行ったことのなかった裏庭を訪ねたのだった。


 ミュリエルが扉を開き、ヒナリが裏庭に降り立った途端に剣戟がやむ。

「ヒナリ様!」

 聖騎士団の十人が、一斉に聖女に向き直り、敬礼の姿勢を取った。汗の流れる顔に、爽やかな笑みを浮かべている。
 鍛練を中断して迎えてくれた一同に、ヒナリはにっこりと微笑んでみせた。

「みなさん、精が出ますね」

 団長のヘルッタが、凛とした声で聖女の呼び掛けに応じる。

「恐れ入りますヒナリ様。もうすぐ神殿騎士団と王国騎士団の合同競技会がおこなわれるため、皆張り切って鍛練に勤しんでおります」
「合同競技会?」
「はい。神殿騎士団と王国騎士団とで腕を競い合い、勝利した一名のみがアルトゥール卿と手合わせをする栄誉を賜ることができる、という大会です」
「へえ。そういうのがあるんだ」
「我々はアルトゥール卿に時折鍛練を見ていただいており、幸運にも手合わせをする機会は他の騎士団の者より多く得られてはおります。しかしそれでも我々は聖女ヒナリ様をお護りする剣として、この国の誰よりも精強であることを示すべく、優勝を目指して参ります」
「そうなのですね。みなさまのご活躍をお祈りします」

 そう言ってヒナリが笑顔になると、騎士たちはまた見事に揃った動きで敬礼したのだった。



(アルトゥールと戦う人を決めるための大会があるなんて。アルトゥールって、本当にすごい人なんだな)

 大会について、アルトゥールからも話を聞きたくなってくる。
 屋内に戻ったヒナリがアルトゥールの部屋を訪ねると、満面の笑みで迎えられた。手に持っていた羽ペンをペン立てに刺し、勢いよく椅子から立ち上がる。

「ヒナリ! 儀式以外で私の部屋を訪れてくれるとは。私は何たる果報者だ」
「そんな、大げさだよ」

 アルトゥールの誇張しすぎな物言いに、つい笑い声をこぼしてしまう。
 書斎机から歩き出したアルトゥールにソファーを勧められる。ヒナリが示された通りに腰を下ろすと、アルトゥールが正面に腰掛けた。
 喜びに溢れた顔にヒナリも釣られて頬を綻ばせつつ、裏庭で聞いた話を口にする。

「さっきね、聖騎士のみんなに神聖騎士団と王国騎士団の合同競技会が行われるって聞いたんだけど。そこで優勝したらアルトゥールと手合わせできるからってみんな張り切ってたよ」
「ああ、それな」

 アルトゥールが歯を見せて笑った。どことなく照れているようにも見える。

「あの競技会は、元はそのような主旨ではなく、ただ互いに高め合い魔獣に立ち向かっていこうというものだったのだ。しかし私が世界最強と称されるようになって以来、いや騎士団長になって以降だったか……私と手合わせをしたい、という騎士が後を絶たなくなってしまってな。きりがないのでことごとく断っていたら、『代表者を一名選ぶから、その選ばれし騎士でとあれば対戦してもらえるか』と打診され、それならば私も望むところだったから了承したところ、その選抜のための手合わせが次第に大規模になっていってしまい……。元からある合同競技会と私との手合わせのための選抜会と、近しい規模の大会が二つあるのは通常任務に差し障りが生じるという話になり、それで結局、合同競技会の結果をもって私と手合わせする者を選ぶようになった、という流れだ」
「なるほど……」

 大勢の騎士たちから対戦を切望される、そんなにもすごい騎士であるというアルトゥールがどんな風に戦うのかと、ヒナリは胸を高鳴らせたのだった。


    ◇◇◆◇◇


 合同競技会当日。
 神殿騎士団本部には、大勢の騎士が集まってきていた。
 貴賓室に通されたヒナリはアルトゥール以外の三人の賢者と共に、闘技場に案内されるのを待っていた。

 ソファーの正面に座るベルトランが茶を口に含みつつ、ふと何かを思い出した顔をした。カップを皿に置き、足を組んで話し出す。

「そういえば、アルトゥールのご両親も、こんな風に両騎士団が手合わせをしたときに出会ったそうだよ」
「へえ、そうなの?」

 御礼の儀のときに一度だけ会ったことのある、アルトゥールの凛々しい両親の姿を思い浮かべる。

「当時、王国騎士団長だったアルトゥールの父君が、神殿騎士団の副団長だった母君と手合わせしたときに父君が母君に惚れ込んで、手合わせが終わったそばからその場にひざまずいてプロポーズしたんだって」
「ええ! 素敵!」
「騎士の間では今でも語り草になってるそうだよ」
「その場でプロポーズかあ……熱烈だね」

 そんなふたりの血を引くアルトゥールだからこそ、あんなに情熱的なのかも知れない――アルトゥールの熱さの秘密を知ることができて、ヒナリは嬉しくなってしまったのだった。



 不意に扉がノックされる。
 応じたダリオが貴賓室の警備兵と少し言葉を交わしたあと、ヒナリたちに振り向き眉をひそめた。

「ヒナリにどうしても会いたいっていう騎士が訪ねてきたけど。どうする?」
「え。どうしよう」

 競技会が始まる直前に、ただの見学者である聖女を訪ねてくる意図がさっぱり分からない。
 ヒナリがすぐには判断しあぐねていると、ベルトランが安心させるような笑みを浮かべた。

「ヒナリ。断るも断らないも君の自由だよ。聖女様に謁見を申し込んで断られたからって、怒って暴れ出す騎士なんてこの国には存在しないからね」
「うーん。でもこんなタイミングで会いたいなんて、よっぽどのことだよね。うん、会います」

 ヒナリがそう答えると、ベルトランもクレイグも即座に立ち上がり、円卓の椅子を置き直して急ごしらえの謁見の場を作ってくれたのだった。
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